「シェリエル嬢!しかし、君は死んだと…」
「そうよ。あの日、マーシャン家は火に焼かれ、一家全員の魂を傷つけられたの。ここにいる私はその亡霊なのよ!」
残酷な言葉を口にするが、シアは表情は微笑みをたたえている。
それだけでなぜか、目の前の男は震えあがった様子を見せた。
何かやましい事があると明かしているようなものだわ。
「私が貴方に会いに来た理由は分かっているわよね?」
「何を言ってるのか…」
「私ね。見たのよ。ルシアが身を投げたあの日、あの忌まわしい部屋から血相を変えて出てきた貴方を…」
正確には近くの廊下を走り去っていく彼の姿を目に捉えただけ。
でも、手がかりがない以上、賭けにでるしかない。
「俺は何も…何もしてない」
そう口では語るが、目の前の女がルシアの姉だと確信したアバロニアは明らかに狼狽し、口がさらに青白くなっていた。冷静さを欠くその様子に疑惑が確信へと変わる。
この男はルシアの件に関わっている。いえ、当事者かもしれない。
こみあげる怒りを何とか抑え込み、真実を聞こうと彼の手に優しく触れた。
「別に責めているわけではないのよ。ルシアは愛らしかった。男性達が恋焦がれるのも姉として当然だと思うの。特にエヴィウス男爵の親戚筋だと言う男性からの手紙には頬を染めていたのよ。あの子は恋をしていたのね。多分、それって、貴方の事でしょう?」
どれもこれも、真っ赤なウソだ。
ルシアはどの手紙もぞんざいに扱っていた。
アバロニアの名前も口にした事すらない。
「本当に?」
「ええ~。姉の私が言うんだから信じてちょうだい。ルシアはアバロニア様を愛していたのよ。きっと、あの日も貴方との逢瀬を楽しみに…。だから、パーティーを抜け出したのでしょう?でも、どうして、それが自死を選ぶ結果になったのか…私はそれが知りたいの」
そう、それが私の願い。運を味方に付ける力を手にしたと言うなら、この男の口から聞かせて。ルシアの身に起きたすべてを…。そのためなら、吐き気がするほどの嘘だって口にするわ。
「ああ…。俺は何てことを。彼女は俺を選んでくれていたのか!それなのにルシアにヒドイ真似を。シェリエル嬢。俺はやめようと言ったんだ。言ったんだ…だが、ユリウスが…」
「ユリウス?」
「ミルモット侯爵の子息ですよ」
そう言えば、ルシアが手紙を貰ったと言っていた中にミルモット侯爵家の名があったわね。
「ユリウス様がどうされたんです?」
「恋を叶えるという聖装飾物を見つけたと言ったんだ。その持ち主が売っても言いと…。だから、ユリウスは俺やリアット…彼はウッドヴィット伯爵の従兄なんですが、とにかく、ルシアに恋焦がれていた仲間達に声をかけたんです」
「どうして、恋敵をわざわざ集めたの?」
「売り手の提示した額が大きすぎたからです。どれほど裕福な家の者でも躊躇するほどの大金。まだ、当主にもなってもいないユリウスでは到底、動かせない金額でした。ですが、売り手はそれも見越していたようで、ある提案をしてきたそうです」
「どんな提案を?」
「買う前に試作させてあげると…恋を分け合う姿が見せてくれと」
「えっ?」
「売り手の男は言いました。“この恋を叶えるという聖装飾物を望むのはその相手が手に入らないからでしょう?ここに集まった全員が一人の令嬢を想っている。ならば共有すればいいのですよ”とあの男は笑っていました」
共有ですって?
「最初は俺もみんなも何を言っているのか分かりませんでした。でも、男は建国祭の日に彼女をある場所におびき寄せてあげるとも語りました。俺達に指定した場所、時間に来るようにと告げた。皆、疑心暗鬼でしたが、そこに行くと、ルシアが…。彼女が彼に連れられて来たんです。目の前に恋焦がれていた彼女が立っていた。色めき立ちましたよ。でも、その時になってようやく気付いたんです。恋を叶えるという聖装飾物の効果が何なのかを…」
それ以上を語るのがおぞましいようにアバニは口を閉じた。
だが、ここまで来て、それはない。
「効果とは?」
「俺達に手渡された聖装飾物は一定の空間にいる者達の本能、相手を捕食したいという原始的な願いの実現度をあげるのです」
そう語るアバロニアは首元を開けた。
そこには肌と同化した宝石が埋め込まれている。
「要は媚薬です。あの時、あの場所にいた男達は恋焦がれている彼女を前にして、自我を止められなかった。集まった男達は一斉にルシアに襲い掛かった」
それだけ聞けば十分だった。考えただけでゾッとする。
「聞いてください。俺は耐えたんです。俺だけは耐えたんです。だから…」
「だから、何だと言うの?その場にいて、止めなかったのだから同罪よ」
「そうですね。そうですよね。でも、俺だけが助かっているんです。それは彼女に…ルシアの肌にすら触れなかったからでしょう?」
「どういう意味?」
「あの場所にいた全員がここ数日で皆、突然死しているんです。今朝、また一人死にました。ユリウスです。これで生きているのは俺だけです」
突然死?
ルシアを穢した男達が死んだの?
この男を除いて全員?
なら、アバロニアを殺せば、すべて終わるのかしら?
いいえ、まだよ。そもそも、アバロニアの言い分が正しいのなら、彼らをたき付けた聖装飾物の売り手とやらも同罪だわ。
「その売り手というのは誰なの?」
「分かりません。けれど、独特の香りを漂わせていました。嗅いだことのない不思議なものです。そう言えば、何かの飾りを…」
「飾り?それは何!」
「うっ!あああっ!」
「ちょっと!」
突然、苦しみだしたアバロニアは走る馬車から転がり落ちる。
その衝撃で馬車は急ブレーキをかけ、馬たちの荒い息が漏れてきた。
「やめてくれ!」
叫びながら、ユラユラと歩いていくアバロニアを掴もうとする。
「シア様」
叫ぶトーマスの声も聞こえない。だが、動けないのはアバロニアの周りにまとわりついている見たこともない小動物たちが這いまわっているからだ。ネズミのようでいて、けれど、背筋に何かが這い上がっていくような気持ち悪さがある。
あれは何?
アバロニアの体が得体の知れない何かに喰われているのが見える。
悲鳴をあげる彼の姿が骸骨に変わっていくようにすら思える。
視界が暗闇に包まれていく。発生した霧の中で馬車の姿も見えなくなり、別の空間に移動させられたような感覚に陥った。
足音が聞こえる。
誰かがこちらに向かってくる。
「遅かったか」
フードを被った男?
どこかで見た覚えがあるけれど、思い出せない。
「誰?」
細目の男はゆったりと苦しむアバロニアを見下ろした。
「不運鬼に見舞われたか。最近、多いな」
不運鬼?
「そしてお前は…」
その視線はシアへと向けられた。
「運の乱用のしすぎだな」
「えっ!」
「幸運鬼の数が多すぎる」
そこでようやく、自分の周りにも小さな小動物たちが張り付いているのに気づく。
だが、それも一瞬ですぐに消えていった。
「これは何?」
「知りたいか?なら、ここへ来るといい」
投げつける紙を咄嗟に掴んだ。
「幸運骨董品店?」
名刺に書かれていた単語を読み上げる。
顔をあげると青年は消えていた。
変わりにアバロニアがスローモーションのように下水道に落ちていく。
その時になってようやく、我に返った。
まだ、聞きたい事もあったのに…。
せめて、奴の運を空にするぐらいは…。
いえ、その必要はなかった。
アバロニアの運は底をついていたから。
「シア様。大丈夫ですか?あの男は?」
走ってきたトーマスの姿を目に止める。
霧はすっかり晴れていた。
「それが…」
アバロニアが流れて行った下水道に視線を移す。
物凄いスピードで泥水が流れていた。
アバロニアの姿はどこにもない。
「数日前に大雨が降っていたのです。その影響が出ているのでしょう?」
「あの男と何を話していたのか知りませんが、帰られたのですか?」
「えっええ…。そうね」
「全く、失礼な男です。シア様と二人きりになれたというのに飛び降りるほど、嫌がるとは…」
「そういう事ではないのよ」
「シア様にはもっといい男がおります」
もしかして、トーマス。私がアバロニアが好きだから接触したかったと思っているの?
勘弁してよ。でも、まあ、彼にはそう思ってもらっていた方が良いかもしれない。
再び、下水道に視線を向けた。
さっきの男は誰?
私が見たものは何なの?
それにアバロニアはどうなったの?
分からない事だらけだわ。
なんだか、ムカムカする。
それに…
ズキリと頭に鈍い痛みが走る。
気持ちが悪い。
考えはまとまらなかった。