深い淵のような、森の道。
奥へどうぞ、と誘う看板と敷かれた小道を、1人と1匹は進んだ。
「例の町に向かってるんだろうね。森の中なのに、人食い狼が出てこないなんて、噂は本当かも」
『うん……』
「狼クン、行けそう?」
『平気、何かあったらボクが守るもん』
「頼もしいね、ありがとう狼クン」
狼は赤ずきんよりも10歩先に出て、辺りを警戒している。
『ニオイはする。多分ボクたちのこと見てるよ』
赤ずきんは終始穏やかな碧眼で辺りを見回す。
深い雑木林の隙間から光る睨みに気付き、呟いた。
「私たちの出方次第ってわけだ」
微かな緊張が張り詰めるなか、ようやく丸太小屋ばかりの町に到着。
門は重々しく閉ざされ、守衛をしている男に声をかけた。
「こんにちは」
「こりゃ珍しい、観光?」
「はい、噂を耳にしまして」
「ほぉ噂、軍の調査隊員か、それとも彼ら?」
「両方ですね」
『両方だよ』
守衛は少し考え込んだ。
「お嬢さん、狩人?」
「いいえ、何でも屋をしながら旅をしています」
「このパックはどこで?」
渋く目線で指す。
「2年前、牧場近くの森で保護しました。私の大切な相棒なんです。ずいぶんと慎重ですね、何か、問題でも?」
「軍の武器を所持、何より絶滅したはずのパックを従えてるなんて、警戒するだろ。この町は、ヴォルフが仕切ってるんだ、そしてパックと因縁がある」
『因縁?』
「詳しいことは長に聞いてくれ。入るなら、武器はこちらで預かる」
赤ずきんは躊躇してしまう。
『大丈夫だよ赤ずきん、ボクが守るもん』
「もちろん信じてる、でも銃がないと君を守れないでしょ」
『ボクなら大丈夫!』
胸を張る。
赤ずきんは、ふぅ、と呆れを混ぜて微笑んだ。
「長居せず、軽く見たらすぐに出よう」
『うん!』
武器となる全てを守衛に預けた。
守衛が指笛を鳴らすと、ゆっくり門が上がっていく。
中にいたもう1人の守衛がロープを手繰り寄せ、カラカラと乾いた音がよく響く。
一歩踏み込んだ。門の近くにあるのは製材所。
伐採した木をノコギリで、素材用に切断している職人たちは、赤ずきんに一瞬目を奪われたが、リーダー格のヴォルフに注意される。それでも、チラチラと覗く。
町の大通りは真っ直ぐ続き、遠く高い巨木を支柱代わりに小屋が見えた。
一望できる高さを、赤ずきんは密かに睨む。
狼の姿に、ざわつく声も聞こえてきた。
「あれが、例の狼?」
「ヴォルフ達はどう出るんだ……」
立ち止まり、誘導のように連なる人々。
食品雑貨店から覗く、大きな口と琥珀の瞳をした獣と目が合う。
「雑貨に寄っていこう」
『うん!』
お店に入ってくる、と分かった途端慌ててカウンターに引っ込んでいく。
『い、いらっしゃいませ』
灰色の体毛、鋭く並んだ牙と、優し気な琥珀。
丸メガネを突き出た鼻と目の間に掛け、控えめに迎えた。
「こんにちは、少し、質問をしてもいいでしょうか?」
『あ、あぁ、どうぞ』
「この町を統治しているのは、ヴォルフの皆さん?」
『いや、ヴォルフは長の名、俺はアルジーボ。みんな、人間に名前をつけてもらった。外にいる奴らとは違う』
「人食い狼のことですか?」
『そう。あいつらは、理性の欠片もない、ただの獣。君たち名前は?』
赤ずきんの足元に居座る狼は、傾げる。
「皆さんに赤ずきんと呼ばれています」
『ボクはボクだよ』
アルジーボは訝し気に唸った。
『2人とも名前がないだって、辛くない?』
『つらくないよ』
「特別不便はありませんね」
平然とした答え。
『はぁー君たちは変わってる。長も興味を持つだろうね』
「そうですか。私たちは買い物を済ませたら、出ていきます」
興味を示さない赤ずきんに対し、狼は少し考えた。
『ちょっと会ってみたいかも』
「えぇ、狼クン、今回はさすがに……うーん」
いつも穏やかな表情が苦く歪む。
『ちょうど今日は見回りの日だ、隣の食堂にいるよ。右目に傷のある俺たちより大きい、すぐに分かる』
赤ずきんの言葉を待たず、狼は店を出ていく。
「やれやれ……すみません」
赤ワインとリンゴを購入したあと、大通りに出た。
狼は隣の食堂前でお座りしたまま、店主と対面している。
困った表情で腰に手を当てる店主は、赤ずきんと目が合うと息を吐く。
「お嬢さん、この子の飼い主ですよね? 今、町の長が食事中なんで入れませんので、言い聞かせてもらえませんか」
「……すみません。こら狼クン、困らせちゃダメだよ」
『だ、だってだって』
「だってじゃない。会っても、良い話は聞けない、もう行こう」
『ヤダヤダ、ボクのこと、ヴォルフのこと色々訊いてみたいんだ』
強情な態度を見せ、後退る。
「君のことは私がよく知ってる」
『赤ずきんもボク自身も知らないこと!』
「狼クン……分かった。出てくるまで待っていよう、お店の人を困らせたらダメ」
『うん! ありがとう!』
『あぁうるせぇ!』
2階からハスキーな声が聞こえた。
自己中心的な声色に、狼は驚き跳ね、赤ずきんの足元へ。
店主は、関係ない、と奥に入り込んでいく。
顔を上げると、バルコニーの柵から赤ずきんを睨みつける誰か。
フードを深くかぶり、突き出た鼻と口、微かに見える純黒の体毛。
「食事中に申し訳ありません」
『ははっ』
渇いた小さな笑い。
穏やかを濁した碧眼で睨む。
『こりゃ珍しい……パックがまだ生き残ってるなんてな。わざわざ殺されにきたわけか』
「もう出ていきます」
『待て待て、冗談だ。美しいお嬢さん、坊やはオレと話をしたいんだろ? 2階に来い。せっかくだからご馳走しよう』
手招きに、睨みを緩めない。
『ねぇ赤ずきん、入っていいって』
「そうだね。でも、少しでも危険だと感じたらすぐに帰るよ」
『分かった!』