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危険な森

 2階のバルコニーで、丸テーブルを挟んで向かい合う。

 山菜と魚のムニエル、リンゴのソルベを、ナイフとフォークを使って、むしゃむしゃ、しゃくしゃく、と愛らしく食す、背丈190センチのヴォルフ。


『さてさて、オレに何の用だ?』


 右目は切り傷によって塞がり、琥珀の左目、純黒の体毛を持つ。


「右目は、人間にやられたものですか?」

『いや、縄張り争いの時にできた。なんだお嬢さん、オレに恋をしちまったか?』


 穏やかに微笑み、首を小さく横に振る。

 大きな手で琥珀の目を押さえたヴォルフは、空を仰いだ。


『ねぇねぇボクも聞いていい?』

『あぁそういやいたな。話せ』


 仕切り直したヴォルフは、残りを食べながら尖った耳を傾ける。


『ボク、前に別の町でフーゴと会ったんだ』

『フーゴ? 誰だそりゃ』

『フーゴはフーゴだよ』

『はぁ?』

「フーゴさんは、ヴォルフさんたちと同じ狼なんです」


 あぁなるほど、と理解できたヴォルフは続きを待つ。


『フーゴはね、リヒャルトの大切な親友で、愛し合ってたんだ。でも、リヒャルトは死んじゃった。ボク、分からなかった、フーゴがどうして……愛してるって食べることなの?』


 ムニエルを一口、むしゃむしゃ、ごくん、と音を立て、笑う。


『哲学チックなこと言われても分からねぇよ。オレはこの町を外敵から守り、穏便に共存してるだけだ。もし愛が食べることだとしたら、滅多にしか食えない魚は愛おしいぜ』

『ボクはリンゴ好きだけど、なんか違うもん。ねぇ、ヴォルフは誰かを愛したことある? もしも、目の前で……その』


 琥珀の両眼はバルコニーの床を覗き、喉を悲しくクンクン鳴らす。


「狼クン、無理に考えなくていい。そろそろ出よう」


 赤ずきんは立ち上がった。


『待って! ねぇ、ボクたちは、いったい何?』

「狼クン」


 ヴォルフは純黒の毛並みを鋭い爪で掻く。


『歴史を学んだ覚えもねぇ。こんな生まれを作った先祖に聞けりゃ分かっただろうな。確かめようがない、だからオレは、呪いだと思ってる』

『のろい……ボク』


 赤ずきんは早口になって、遮った。


「ヴォルフさんありがとうございました。私たちはこれで失礼します」

『あぁ出ていく前に、赤ずきん……お前は狼を愛したことがあるか?』


 俯く狼と、嵐の静けさを保つ鋭い左目が、碧眼に映り込んだ。


「湖近くの深い森に置いていきました」

『詩人と哲学者しかいないのかよ、はぁーあ、右目に傷がある老いぼれ狼』

「なんです?」

『獣の目はオレの目だ。10年ばかし、悲しいかな寿命の壁は越えられないが、深い絆で結ばれていたんだろ』

「……だから、なんだっていうんです」


 冷たさを込めた、棘のある言葉。

 ヴォルフは席を立ち、巨体で覆うように見下ろす。


『パックとの因縁、はっ、くだらねぇな。ガキ、お前はまずこのエゴから離れ、独り立ちすることだ、そうすりゃ自ずと全てが分かってくるさ』

『え、や、ヤダ、離れたくない!』


 嘲笑気味に大きな口を開いたヴォルフが、ひと吠えすると、軍用ナイフを構えた兵士が2人現れた。


『そいつを殺せ。異分子だ』


 鈍く光った刃先が迫りくる。


『ダメっ! わぁっ!』

『パックお前はオレと一緒に来い』


 軽々と首根っこを抱えられ、ヴォルフと共にバルコニーから飛び降りてしまう。


「……」


 テーブルをなぞり、銀を右手に掴んだ。

 切りかかる兵士の腕をテーブルに叩きつけ、食器用のナイフを手の甲に突き刺した。

 持ち主の元から離れた軍用ナイフを奪い取り、呆気にとられたもう1人の手首を捻る。


「あぁっ!」


 膝で蹴り落とされ、軍用ナイフが床に、くるくると滑る。

 グリップの底で蟀谷を殴打。

 脳震盪を起こして、兵士は倒れた。


「まいったね……」


 穏やかに呟き、深くフードをかぶり直した赤ずきんはバルコニーを後にした。


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