「頼む、頼む、殺さないでくれ……」
守衛をしていた兵士は頭皮が軽く裂け、血を流していた。
怯え、両手で頭部を庇い、乞う。
くすんだ赤いコート、深く被ったフードの奥で冷静さを保つ碧眼が、悪魔に見えた。
「私の銃はどこですか」
奪い取った軍用ナイフの切っ先を向け、訊ねる。
「そ、そこに」
守衛が指した場所には、武器保管庫の棚。
「開けてください。抵抗さえしなければ、殺したりしません」
「わか、分かった、あぁ、あぁ!」
震えながら南京錠に鍵を差し込んだ、捻り、扉が開く。
ボルトアクションライフルと45口径のダブルアクションリボルバー。
「良かった」
安堵した表情で銃を手に取り、ライフルを背に、リボルバーを握りしめた。
「ありがとうございます兵士さん」
黙り何度も焦り頷いた守衛に礼を言い、赤ずきんは町の最奥にある高い巨木に建つ小屋を目指す。
土を踏みしめ、冷静さを欠かさない足取りで歩きだしたが、雑貨店近くの道で止められてしまう。
道を塞ぐ障害物みたくスコップやノコギリを武器として構えた、人々とヴォルフの仲間たち。
「お、長のところには行かせない、悪く思うな」
「命令は、絶対なんだ!」
『うぅ……』
震えるアルジーボの姿もあった。
暴力を好まないその手で握りしめる角材。
肩をすくめる赤ずきんは、穏やかな碧眼で呟く。
「申し訳ありませんが、今、かなり気が立っているんです――」
――空高く遠く、響き渡る破裂音。
『あーあぁ、撃っちまったなぁ』
『ねぇ、赤ずきんのところに帰してよ!』
体長130センチほど、茶と白が混じった若い狼は怒りを込めて訴える。
鉄製の檻に閉じ込められ、何度も頭突きをしたり、噛みついたりするも、無情にも金属が擦れ、寂しく軋む音だけが鳴った。
純黒の体毛をもつヴォルフは、左目の琥珀に愉快を浮かばせる。
『ははぁ! ママぁ、ママぁってか。人間なんかに飼われちまって、情けねぇ。あの女が一体何をしたか知らずにぬくぬくと育てられたんだな、パック』
『赤ずきんはボクを助けてくれたんだ! ずっと一緒にいてくれた!』
『まぁそれも間違ってねぇな。だがなんでそうなった? 能天気なお前にハッキリ言ってやろう、お前の母親は、赤ずきんが撃ち殺したのさ』
純粋に染まった琥珀の両眼を曇らせてしまうが、すぐに首を振る。
『っだ、だ、騙されないもん!』
ヴォルフは左目を指す。
『獣の目はオレの目だ。常に真実が集まる。なぁパック、オレはお前を助けてやりたいのさ』
『助けなんていらない!』
『目を覚ませ。あの女はお前なんか興味ねぇ。エゴで過去に老いぼれ狼とやってきた旅を続けてる』
『そんなの信じない、信じないからっ! そもそも老いぼれ狼って誰のことなの?!』
訝しく睨み吠えた。
『言葉を話す狼さ、ひとりの女を愛しちまった』
『あ、赤ずきんのこと?』
『そうだ。微塵もお前なんか愛しちゃいない、見ちゃいない』
『うぅ、ぅぅうぅ……すぐに、赤ずきんがここに来るよ。その時に、分かるもん』
『ははぁ人間じゃあこんな高い場所、到底登れねぇ。町や森どころか、もっと遠くまで見える場所だぜ? 梯子もなきゃ、階段もねぇ』
狼はそれでも赤ずきんがここに来ることを信じる。
純粋かつ溢れ出る自信で満たされた琥珀は、ずっとずっと檻の外、ヴォルフの背後、小屋の扉を睨んだ。
『赤ずきんはね、どんな手を使ってもボクを助けてくれる!』
滑稽な物を見る目で笑った――爪が小刻みに、荒々しく木を削る音と獣の吐息も合わさる、必死さがこもった呼吸に消えた。
ヴォルフは左目をどんどん大きくさせ、やがて琥珀の瞳孔が揺れ動き、純黒の毛が逆立つ。
馬鹿な、あり得ない、と慌てた様相で振り返った。
『長……町が、人食いに――』
巨木の小屋に現れたのは、灰色の体毛を汗だくに濡らしたアルジーボ。
町の状況について話そうとした仲間に対し、ヴォルフは疑惑の眼差しで遮る。
『なんでお前がいる?』
『な、なんでって、もうみんな、人食いにやられたのに、町はおしまいだ』
震えた喉で必死に伝えるが、ヴォルフはどうってこともない、といった具合に頷く。
『あぁ、あの異分子が撃っちまったからな』
アルジーボは納得がいかず、血まみれと人食い狼の群れを振り返り見下ろす。
『俺の名前をつけてくれた人間も、食べられてしまった……』
『んなこたぁどうだっていい! あの異分子はどうした!』
優し気な琥珀は、憂いと戸惑い、内に引っ込めた怒りを混ぜて、アルジーボは懐から赤いコートと、45口径のダブルアクションリボルバーを取り出す。
くすんだ赤に赤黒い体液が染み込んでいる。
『赤ずきんの!?』
狼は絶句に近い、喉を鳴らし、悲しみに伏せてしまう。
ヴォルフは始末した証拠を睨んだあと、アルジーボの瞳孔を覗く。
『知らなかった。人食い狼達が、こんな、銃の音ひとつで町に入ってくるなんて……どうして俺達に教えてくれなかったんだ』
『奥の手は最後まで隠すもんだろ。支配者はオレだ、全てオレが決める。お前らは従ってりゃいいんだ』
『ちゃんと、ハッキリ教えてくれれば、彼女に詳しく教えられたのに……っ人間のみんなを逃がせたのに……』
『人間共は奴隷だ。なぁアルジーボ、あの女がそう簡単に死ぬと思うか? これも罠って可能性もあるだろ、お前は、何を見た?』
問いかけに対し、アルジーボは首を振る。
『彼女は、前にいた人間を撃ち殺した。そのあと、一気に人食い達が押し寄せてきて、俺は助かったけど、もう人間はみんな食べられたあとだったから……ただ、コートと銃だけは拾ったんだ。あぁあと、ポシェットにリンゴが――』
真っ赤に熟したリンゴ――ヴォルフが嘲笑気味に笑って、乱暴に受け取った瞬間のこと。鼓膜を揺らす、破裂音が小屋全体に響き渡った――。