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第55話 本庄百合子

「ここ、か」


 自宅から自転車を飛ばして三十分。


 うちの周辺と景色はさして変わらない住宅街の中にあるマンションの前で俺は高い建物を見上げた。うちのマンションよりも随分と高く見えるので、二十階以上はあるだろう。今からここに入るのかと思うとちょっとテンションが上がってしまう。閑の気持ちを理解してしまった。


 母さんから教えてもらった住所を地図アプリで設定してナビに従いここまで来た。


 ここに本庄百合子さんが住んでいるらしい。殊の外、家から近くて驚きだ。


 俺の心配しすぎという可能性もあるけれど、閑は連れてこないことにした。本庄百合子さんの口からどんなことが話されるのか予想もできないので、必要な情報を彼女には俺が伝えると説得し一人できた。彼女は今頃、母さんと二人で買い物でもしていることだろう。ボロを出さなきゃいいんだけど。


 俺は敷地の中に入り、駐輪場の空いているスペースに置いて正面玄関に向かう。


 郵便受けの他に、総合インターホンがあり、俺はそこで聞いていた部屋番号を打ち込む。

 ピンポンピンポンと呼び出し音が続く間、俺の心臓が不安と緊張でバクンバクンと激しく動く。


『はい?』


 ブツッという音の後、穏やかそうな柔らかい声が機械を通して聞こえてきた。


「あの、僕、上村紘といいます。上村花恵の紹介で本日、お会いいただけると聞いて伺ったのですが」


『ああ、はいはい。聞いてますよ。どうぞ』


 閉まっていた自動ドアが開き、俺はカメラ部分に一礼してから中に入る。


 奥に進み、エレベーターで一八階に向かう。ボタンを見ると二五階まであるらしい。いいところに住んでる人なんだな。


 エレベーターが止まり扉が開いたので外に出ると、目の前に窓ガラスがあって外の景色が見えた。下を通る車や人がおもちゃのように見える。数秒、窓からの景色に感動していた俺は気を取り直して部屋へと向かった。


 インターホンを押すと、少ししてドアが開く。


「いらっしゃい」


 見えた姿は想像していた年齢よりずっと若く見えた。

 小説に登場していたのが閑の曾祖母なので、もちろん本庄さんもそこそこの年齢だろうとは思っていた。事実そうだったし、ちゃんと歳は取っているようには見えるんだけど、それでも若い。美魔女ってやつか? まさか彼女も魔女だったとは。


 黒く長い髪、垂れ気味な穏やかそうに見える目元、口元には笑みが浮かんでいて声色通りの優しい雰囲気がにじみ出ていた。身長も俺より少し低いくらいで、女性にしてはきっと高いくらいだと思う。スキニーパンツにシャツとラフな格好をしているけれど、耳元にはピヤスかイヤリングかの装飾がしてあり、しっかりと化粧も施されている。


「どうぞ」


「あ、はい」


 招かれるままに、俺は家にお邪魔する。

 玄関で靴を脱ぎ、用意してくれていたスリッパに履き替える。まっすぐ進んでリビングに向かう。その道中、幾つかドアがあったけど、恐らくトイレや風呂場だろう。明かりはついているけど、少し薄暗い。


 まっすぐ進んだ先にあるドアを開け、リビングに足を踏み入れる。


 右手にキッチンがあり、広いリビングには中央に食卓用テーブルが置かれていた。イスは五個あるけれど、五人が住んでいるようには思えない静けさだ。奥にも部屋が見えたけど、扉が閉まっていて中は見えない。


「お茶を淹れるわね。座って待っててちょうだい」


「あ、はい。お構いなく」


 こういうの久しぶりだから緊張するな。

 これでも過去には芸能界で生きていたわけで、大人や知らない人と関わる機会はごまんとあった。だから、自分でもそれなりに上手くやる手段というのは身につけたつもりだけど、ちょっと離れるだけで衰えるもんだな。


 落ち着かなくて部屋の中を見渡していると、テレビの近くにあった写真立てが視界に入った。最近のものではないことがくだびれ具合から読み取れる。写っているのは若い女性が二人。楽しげに笑っている。


「どうぞ。ごめんなさいね、若い子が好きなお菓子がなくて」


 俺の前にお茶を置いてくれた本庄さんが笑いながらそんなことを言う。一緒に置かれたのはカステラと煎餅だった。


「ありがとうございます。僕、どっちも好きです」


 湯気が立つ湯呑みを手に持ち、ふうふうと冷ましてから口をつける。美味い。


 さて、どうしたものか。

 世間話をしに来たわけではないんだけど、いきなり本題に入るというのも不躾な気がする。


「本庄さんは今はお一人なんですか?」


「ええ。随分前に娘も出ていってね。こうしてのびのび暮らしているわ」


 娘さんがいたのか。

 ということは旦那さんもいたのだろう。けれど、今は一人ということは何か理由があってもうここにはいない。触れるべきではないな。


「あなたのような若い男の子と話をする機会なんて滅多にないから、久しぶりにおめかししたもの」


 ふふ、とおかしそうに笑う本庄さん。俺はどうリアクションすればいいのやら。


 想像していたよりも穏やかな人だな。小説に登場した主人公はもう少し破天荒なキャラクターだった気がする。まあ、歳を取れば落ち着きもするよな。


「それで」


 コン、と湯呑みを置いた本庄さんが俺を見る目を細める。

 どうやら本題に入ってもいいようだ。


「今日はお伺いしたいことがあります。そのために、母にコンタクトを取ってもらいました」


「話は聞いているわ。もちろん、ただのファンじゃないということも理解っている」


 俺は乾いた唇を舐めてから、ふうと息を吐く。

 どう話し始めようかと、頭の中の考えを改めてまとめてみた。


「まず最初に確認なんですけど、本庄さんが書かれた『私と魔女』という小説。あれは、あなたが実際に体験した実話ということで間違いないんですか?」


 俺の質問に本庄さんは小さな笑みを浮かべた。

 そして、視線をテレビの近くの写真立てに向ける。


「ええ、そうよ。あれは全て実話。普通の人が読めば、そんなことは思わないわよね」


「そう、ですね。きっと、何も知らなければ僕もそう思っていたと思います」


「双葉泉は私にとって生涯忘れられない友達だったわ。もちろん、今でも彼女のことは忘れていない。忘れるつもりもないし、忘れるとは思っていないけれど、それでも何かに書き記しておかないとと思って書いたのがあの小説なの」


「あの写真が?」


 懐かしむように温かな瞳を浮かべる本庄さんに確認すると、彼女はこくりと頷く。


「ええ。私と、泉さん」


 言われて、改めて見てみると右側の女性にはどこか閑の面影がある。いや、逆か。閑に双葉泉さんの面影があるということになるのか。


「ところで、あなたは? 一体どういう境遇にいるのかしら?」


「あ、と、すみません。こっちのことを何も話さないまま」


「いいのよ。時間はたっぷりあるもの。ゆっくりお話しましょう」


 さて、どう話せばいいのか。

 そう思ったけど、本庄さんは魔女についてを理解している。むしろ、俺よりも知っているに違いない。だったら、別に難しい話をする必要はないな。ただ、俺が三日月町に来てからのことを話せばいいんだ。


「俺は夏前から三日月町に住み始めて、生活をしていました。学校にも通って、新しくできた友達と楽しい毎日を過ごしていたんです」


 本庄さんは俺の言葉に頷くだけだった。

 その反応を確認してから、俺はそのまま続ける。


「夏休みを前にした頃、クラスメイトから三日月の魔女の都市伝説を聞いたんです。そういう話を聞いたら確かめたくなる性分だったみたいで、俺はその日、三日月広場のバス停に向かいました」


 そのとき、本庄さんがふふっと笑いをこぼした。


「あなたも、好奇心旺盛なタイプなのね」


「だったみたいです。そんなつもりはなかったんですけど」


 ごめんなさいね、と一言添える本庄さんに促されて、俺はさらに続けていく。


「そこで俺が体験したのは、あなたと同じです。月光洋館で魔女と出会い、話をして、気づけばバス停で眠っていた。本庄さんはバス停で目を覚ましたとき、魔女とのやり取りを忘れてたんですよね?」


 俺の質問に本庄さんは迷いなく頷く。

 思い出す素振り一つ見せないところ、本当にちゃんと覚えてるんだな。こんな非日常のイベント忘れることはないか。


「そうね。後に町中で泉さんを見かけるまではすっかり忘れていたわ。あのときも、調べに来てそのまま寝てしまった、というくらいにか思わなかった」


 俺は話を聞いて、少し考えた。

 ここが俺と本庄さんの異なる点なのだ。


 閑は魔女の魔法で記憶の完全消去はできないと言っていた。あくまでも記憶の奥底に沈めるだけ。けど、刺激されなければ本来浮かんでくることはないらしいんだけど、泉さんはよほど魔女の存在が衝撃に残っていたらしく、町中でその姿を見かけたことで思い出した。


 けど。

 俺はそうじゃないのだ。


「俺は、あの日記憶を失ってないんです」


 短く言うと、本庄さんは驚いたように目を開いた。


「それは、どうして?」


「それは俺にも分からないんです。今も調べてる途中で」


 そう訊いてくるということは、本庄さんもそれは知らないのか。


「まあ、それはどっちでもいいんです。結果として、俺は再び魔女に会いに行きました。本庄さんと違って、俺の場合は同じクラスにいたので」


 俺の記憶が消えなかった理由について、もしかしたらと思っていたけど、知らないのであれば仕方ない。本題はそこじゃないからな。


 俺は話を戻す。

 本庄さんは『同じクラス』という青春っぽいワードに反応した。


「あら、そうなの? でも、そうよね。魔女は女の子で上村くんは男の子。私と泉さんのようにはいかないわよね」


 楽しげに話す本庄さん。

 女の人って何歳になっても恋バナが好きなんだな。


「魔女は俺の記憶が消えていないことに驚いてました。これまでにそんなことは一度だってなかったから無理もないですね。で、いろいろ話した結果、俺は魔女というものに興味を持って、魔女の方は俺に魔法が効かなかった理由をハッキリさせるため、一つ屋根の下で暮らすことになったんです」



「なんですって?」



 今日一大きな声で、しっかりと動揺した声色の疑問を口からこぼした本庄さん。


 ……まあ、そうなるよな。

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