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第60話 母の部屋

 俺がこの家に住むことになったとき、閑から二階にある奥の部屋には入るなと強く言われた。


 その部屋は亡くなった母親の部屋らしく、彼女にとっても思い出深い場所であるのならば、居候の俺が足を踏み入れるべきではないと、気づけば入るという選択肢は頭の中から消えていた。


 けど、そうだよな。

 普通に考えれば、母親の日記帳は母親の部屋にあるのが当たり前だ。


「……けど、勝手に入って怒らないかな」


 この部屋だけは入るなと言っていた場所に、俺は勝手に入ろうとしている。


 部屋の前に到着し、一度足を止めたところで俺はそう呟くと、隣りにいた玲奈が不思議そうな顔をこちらに向けた。


「怒られるよ。まちがいなく」


 何言ってるの? みたいな顔をしている玲奈。

 ああ、怒られることはもう覚悟の上なんだ。


「自分の部屋でも勝手に入られたらちょっと怒るよ? それが、絶対に入らないでって注意をした場所に勝手に入るんだから怒られるよ」


「……だよなぁ。けど、入るしかないし」


「うん。だから、一緒に怒られよ?」


 ひとりじゃないよとでも言うように、優しい笑みを浮かべた玲奈はドアノブに手をかけた。


 鍵がかかっていたらどうしようか、と思ったけれど、ドアノブはしっかりと最後まで回ってくれた。玲奈も同じ不安は抱いていたようで、同じタイミングで小さな安堵の息を漏らす。


「開けるよ?」


「ああ」


 ごくり、と喉が鳴る。

 それが自分のものか、玲奈のものか分からないまま、玲奈がゆっくりとドアを開く。


 部屋の中は暗くて、よく見えない状態だった。視界が悪く、どこか不気味で、一瞬だけ中に入ることを躊躇ってしまう。


「俺が先に入るよ。電気点けるから」


 俺の言葉に玲奈が頷く。

 辺りが見えない状態で不用意に入るのは危険だ。なにかが床に落ちているかもしれないし、お化け屋敷的な意味でなにかがあって声が漏れるかもしれない。閑に心配をかけたくないし、悪い言い方をすると現時点でバレても困る。どうせ怒られるなら、成果を得てからがいい。


 玲奈を部屋の前に置いて、俺が一足先に侵入する。

 壁に手を当て、電気のスイッチを探す。真っ暗な部屋の中を見渡してみるけど、やっぱりなにも見えないままだ。


 心臓の動きが激しくなる。ドクン、ドクン、とまるで耳元で動いているかと錯覚するくらいの大きな音を心臓が鳴らし始めたとき、ようやく壁に明かりのスイッチを見つけた。


 パチ、とスイッチを入れると天井の電気がチカチカと光り、やがて部屋の中を明るく照らした。外で待っていた玲奈も中に入ってきて、俺の隣に立つ。


「なんか、思ってたのと違ったかも」


「そう?」


 部屋を見渡し、玲奈が呟く。

 俺の相槌に彼女はなおもこくりと頷いた。


「あたしのママの部屋はもっと何もないから」


 言われて、ふと思い出したのはお祭りの日に一瞬だけ顔を合わせた玲奈の母の姿だ。


 白髪で整った顔立ちの綺麗な女性。当然だけどどこか玲奈と似たような雰囲気があって、柔和な表情の中に凛々しさが混合していた。パッと見ただけの第一印象だとどちらかと言えば厳しそうっていう感じだったけど。


「なにもないっていうと?」


「本当になにもないよ。タンスと化粧台くらいかな。和室だから、ベッドもないし」


「本当に必要最低限って感じなんだ」


 俺もどちらかと言えば物がないほうだけど、玲奈ママもそんな感じなのかな。


 そんな俺達と比べると、閑の母の部屋には物がある。特に多いのは本だ。ベッドがあって、机があって、あとは壁を囲うように本棚がずらりと並んでいる。寝室というよりは書斎とでも言うべきなのかもしれない。


「本好きだったんだな」


「……そうとも限らないかもよ」


 何気なく呟いた俺の言葉に玲奈が否定の言葉を被せてきた。

 普通に考えれば、この本の量を見れば本好きと思うだろうに、どうしてそう思ったのか不思議に思い彼女を見ると、本棚に並ぶ本を眺めていた。ちょうどこっちに視線を移した玲奈と目が合う。


「見てよ、これ」


 自分がいた場所から一歩ズレて、俺が入るスペースを作ってくれる。

 俺は言われるがままに彼女が見ていた場所の本を確認する。


「……」


 そこにある本を見れば、確かに玲奈の意見にも納得がいった。

 何冊か上げるならば、『魔女の誕生』『都市伝説を解明する方法』『三日月町の歴史』とか。


 つまり、それらのほとんどが都市伝説に関係する本なのだ。

 中には好きで買ったんだろうなという趣味の本もあったけど、それは多くある本のうちの一部で、一箇所にまとめられていた。それ以外は、とにかく何かしら都市伝説に関わる本。昔のものから最近のものまで並んでいる。


「これって双葉さんのお母さんもいろいろ調べていたってことだよね?」


 玲奈はずらりと並ぶ本を順番に眺めていきながらそんなことを言う。


 俺はそれに頷いた。


「だな。きっと、閑のお母さんだけじゃなくて、お祖母さんとかから続いていたんだろ。それくらい前の本もあるわけだし」


 そして、閑の代らしき本がない。

 そこから考えられるのは、閑がこの部屋の本を集めることに関与していないことだ。部屋に入るなというのは、自分以外がという意味だと思ったけど、まさか彼女もこの部屋に入っていないのか? さすがにそれはないだろうけど。


 そんなことをぐるぐる考えていた俺だったけど、玲奈からのレスポンスがないことに気づき、彼女の方を見てみた。


「どしたの?」


 なんか、何とも言えない複雑そうな顔で俺を見ていた。


「双葉さんのこと、閑って呼ぶようになってるなって!」


 言われて、ハッとする。

 東京旅行のときにボロが出ないよう癖づけた結果、本当に癖づいてしまったらしい。口がそう動くことに、俺はもはやなんの違和感を抱いていなかった。


「いや、これには理由があってだな」


「理由って、付き合ったってこと? あたしを振って間もないのに……もしかしてあたしが告白したときにはもう!?」


「違うわ! ていうか、告白の自虐は反応に困るぞ」


「そうでもしないとやってられないよ。それじゃあ、どういう理由があるっていうの?」


 唇を尖らせながら呟く玲奈に、俺は事情を説明する。

 それを聞いた玲奈はなるほどと納得してくれたようだ。これで一安心ではあるんだけど、同時に浮かんできたのは罪悪感のようなもの。


 玲奈は俺に告白をしてくれた。

 俺のことを好きだと言ってくれたのだ。


 けど、俺はその好意を受け入れなかった。あのとき俺は、閑の魔女の問題があるからだと玲奈に言った。そのときは何とも思わなかったけど、今思えばそれはただの言い訳のように聞こえる。


 そのあと、自分と向き合うことで気づいた気持ち。

 あのときには自覚していなかった本当の思い。


 俺は玲奈にそれを伝えなければならない。それが、告白をしてくれた彼女に対して俺ができるせめてもの誠意で、それを伝えていない限りどこか後ろめたさがあるような気がして、罪悪感が拭い切れない。


「まあ、理由は分かったよ」


 話し終えたとき、玲奈は短くそう言った。


 言って、そして俺を見る。

 揺れる瞳はなにを訴えかけているのか。ぶつかる視線に考えを巡らせる。


 そして。


「……あのときは自分でも気づいてなかったんだけど」


 言わなきゃいけないと思ったわけではない。

 ちゃんと伝えたいと思った。


 それはもしかしたら自己満足でしかないのかもしれないけれど、それでもそうしたいと思った。


「俺、双葉閑のことが好きなんだ。だから、彼女を助けたいと思う。これから先も、あいつと一緒に生きていきたいから、こんなところでわけ分かんない呪いで死んでほしくなんかないから」


 俺が目を逸らさずに言うと、玲奈は小さく息を吐いて肩をすくめた。


「なんであたしに告白するのさ。それは双葉さんに伝えるべき言葉でしょ?」


「いや、そうなんだけど……なんというか、ちゃんと言っておいたほうがいいと思って」


 やれやれとでも言いたげな言葉に俺は拍子抜けした。

 いや、まあ、よくよく考えれば玲奈のリアクションが尤もなんだけど。


「なんてね。紘くんが今そのことを話してくれた気持ちは分かってるし、紘くんが双葉さんのことを特別に思っていたことは分かってた。だから、もうだいじょうぶだよ。とにかく、なんとかして双葉さんを助けよう?」


 玲奈は力強く笑う。

 俺はそれに頷くだけだった。


 きっと、俺よりもずっと賢いのだ。いろんなことに気づくし、意外と物事を冷静に見ている。だから、俺が気づいていなかった自分自身の気持ちさえ、彼女は垣間見ていた。そんな玲奈が味方になってくれて、心強いことこの上ない。


「これ、見て」


 話し終えて、二人で改めて部屋の中を捜索する。

 本棚の他、とにかく部屋の中のあらゆる場所を探す。しばらくそんな時間が続いた頃、玲奈が何かを見つけた。


「ん?」


 机の引き出しを開けた玲奈が手に取ったものを見る。


「これ、そうじゃない?」


「……多分」


 どこにでもあるような有り触れたデザインの日記帳。

 表紙には何も書かれていない、裏にもなにもない。随分前のものなのか、全体的に古びている印象を受ける。


 俺と玲奈は頷き合って、そして彼女が表紙を捲る。



『山神の呪いを受けた。私の命は、そう長くはないことでしょう』



 ふと視界に入ったのはそんな言葉。

 それを見て俺は確信した。それが、本庄さんの言っていた日記帳だということを。

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