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第61話 日記帳に書き記されていたこと

 見つけた日記帳を読み進めていくと、随分前から続いているものだということが分かる。


 以前、五十嵐から三日月の魔女の誕生話を聞いた。そのときの女性が書き綴っているのかは分からないけれど、何代にもかけて知り得た情報や経験を残している。そこには本庄さんの書籍である『魔女と私』に登場した双葉泉さんの名前も、閑の母親であろう女性の名前もあった。


「えっと、あたしあんまり理解してないんだけど、結局魔女の呪いっていうのはなんなの?」


 一緒に日記帳を読み進めていると、玲奈が申し訳無さそうに尋ねてくる。


 そういえば、都市伝説を四人で調べてはいるけれど、情報量は結構差があるのか。


「あくまでも聞いた話だけど、魔女の呪いっていうのはある行動を取り続けなければ死んでしまうっていうものらしい。閑がそう説明していた」


「ある行動っていうのは?」


「謝儀……まあ、平たく言えば人に感謝され続けなければならないって感じかな」


「感謝、か。双葉さんはそれをしてたってことなんだ?」


 玲奈の言葉に俺はこくりと頷く。


「この町には天使様と呼ばれている時々町に現れては人助けをする女の人がいるって話は玲奈も知ってるか?」


「あー、うん。聞いたことある」


 あれはまだ、俺が閑と同居を始めた頃のことだ。

 学生寮を出てその後どうしているのかクラスメイトに訊かれた際に知り合いのところに住んでいると言い訳をした。その知り合いの特徴として、休日の閑の格好を並べたところ、クラスメイトは天使様と類似していると言った。


「その天使様っていうのが双葉さんなんだ。変装して、人助けをしてたってことか」


「そんな感じだな。あれを変装と言うのかは分からないけど」


 合点がいったように頷く玲奈に、俺は「けど」と言葉を続ける。


「最近、もう一つの仮説を聞いたんだ」


「仮説?」


 俺達は謝儀を受け続けることが呪いに対する贖罪のようなもので、それを必要分受け続けることで呪いの症状を無くすことができるのだと思っていた。けど、本庄さんが口にしたのは俺達が思っていたこととは全然違っていて。


 結論だけで言えば、死に向かっていることは同じなんだけど、その中身が違っていた。


「呪いっていうのは命を蝕むもので、感謝の気持ちを受けるとそのスピードを遅くすることができるっていう」


「それってなにか違うの?」


「ニュアンス、かな。謝儀を受けていないと死の危険があるってところは一緒なんだけど、前者だと呪いは都度発症で、後者だと常に命を蝕んでいるみたいな?」


「……んー」


 どうやら難しいらしい。

 俺もいざ説明してくれと言われると言葉にするのは難しいと改めて思った。この話はこれ以上続けてもきっと意味はないな。


「まあ、その話は置いておいて。俺達はその魔女の呪いを解く手段を探しているわけだ」


「その謝儀っていうのを受けていれば治ったりしないの?」


「それこそ、前者の解釈だとその可能性はあるかもしれないけど、後者の解釈だと根本的な解決にはならないんだ。別の手段が必要になる」


「別の手段っていうのは?」


「それがわからないんだ。で、そのヒントが欲しくてこの日記帳を開いてるわけ」


 ふうん、と分かったか分かっていないか判断できないような反応を見せる玲奈と一緒に、改めて日記帳を読み進めていく。その内容はまさしく日記帳そのもので、得た情報を書いていたりもするんだけど、苦しいという辛さや死を前にした恐怖なども書き綴られていた。


 しかし、双葉泉さんの代まで読み進めても、ヒントになり得る情報はなくて、諦めかけていたとき、閑の母――双葉遥がこんなことを書き残していた。


『三日月山の祠で、山神の声を聞いた』

『私は山神に願った。私で呪いを終わりにしてほしいと』

『山神は言った。呪いから解放されたくば、犯した罪を滅ぼせと』


 犯した罪。

 かつて、双葉家の女性が山神に対してついた嘘。


 ――なんでもするから、子を助けてくれ。


 子が助かった代償は自らの命だった。けれど、女性は命を捧げることなくその場から逃げた。


「犯した罪っていうのは、自分の子供の病気を治してもらった対価を払わなかったってやつだよな」


「昔話が真実だとするなら、そうだと思うけど。でも、だとすると、もうその人はいない……どう頑張っても、その命を差し出すことはできないんじゃないかな」


 俺の呟きに玲奈が続く。

 確かに彼女の言う通りだ。けど、違う考え方もある。


「命を差し出すってだけなら、閑のお母さん――遥さんの命を差し出すって解釈もできる」


「……そう、だけど」


 玲奈が目を伏せる。

 ここでどうこう言っても仕方がない。そう思い、俺と玲奈は日記帳の続きを読む。


『私の命を差し出すことで満足いただけるのであれば、この命惜しみなく捧げます』

『自分の命一つで、大切な娘の未来が守れるのならば躊躇いはなかった。それだけの覚悟が、私の中にはあった』

『けれど』

『山神は私の言葉を受け入れなかった』

『違う。正確には、私の差し出すべきものが、自らの命ではなかったのだ』


 文字がぶるぶると揺れていた。

 きっと、この字を書くときの遥さんの手が震えていたのだろう。


 どうして?

 それは多分、その差し出すべきものが自分の命ではなかったということと関係している。


 ちょうどそこでそのページが終わり、続きを読むにはページを捲らなければならなかった。


 けど、俺の手が一瞬止まる。この躊躇いは恐怖が起こしたものか。それとも別の感情か、俺には分からなかった。


「どうしたの?」


「……いや、なんかちょっと怖くて」


「怖い?」


「ああ。差し出すべきものが自分の命じゃなかったって、じゃあなんなんだろうな。もし、これがかつて罪を犯した女性の命だったのなら、もう手の打ちようがないってことになるかもししれない。じゃあ、もう閑を助ける手段はないかもしれない……そう思うと、この先を見るのが怖くなって」


 やっぱり、これは恐怖だった。自分で言葉にして、改めて実感した。


 けれど、玲奈はそうは思っていないようで、いつものような軽い雑談でも交わすような調子で口を開いた。


「あたしはそうは思わなかったけどな」


「そうか?」


 彼女の方を見ると、うんと頷いてこっちを見てくる。


「何となくだけど、そうじゃないと思う。震える文字とか、書かれている言葉とか、そういうのから感じるのは、もっと悲しいことなんじゃないかな」


「もっと悲しいこと……」


 結局のところ、このページを捲る他に答えを知る方法はない。

 ごくりと喉を鳴らし、手をページにかける。そして、ふうと息を吐いてページを捲った。


『山神は言った。差し出すべきは、一番大切なものだと』

『自分の命よりも大切なものはありません、私は山神にそう訴えかけた』

『けれど、その訴えは届かない』

『言いながら、自分自身で分かっていた。どうして山神が納得しないのか』

『本当は気づいていた。私の一番大切なものが、自分の命ではないことを』

『だって私は、一番大切なものの為にこの命を差し出そうとしていたのだから』

『――』


 ふう、と息を吐き、俺は日記帳を閉じた。

 最後の一文を以て、この日記帳を全て見終えたからだ。


「……」

「……」


 俺も玲奈も吐き出そうとした言葉が喉に詰まって何も言えないでいた。


 自分の命よりも大切なもの。

 考えてみても、本来はそんなものありはしない。少なくとも、まだまだ子供である俺にとってはそうだった。みんな自分が可愛いんだ。それは誰だってそう言うはず。けど、中にはそうじゃない人もいる。


 双葉遥はそうだった。


 だから、どうしようもなかった。


 呪いを解くことができなかった。


「差し出せるわけなかったんだね」


「ああ。もしかしたら、あのときの女の命を差し出せとか言われてたほうがまだ良かったのかもな」


 自分よりも大切なものを差し出せるはずがない。

 山神に突きつけられたどうしようもなく残酷な現実を前に、双葉遥はどうすることもできなかった。



『――私が一番大切なのは、娘の閑なのだから』



 一番大切なものを差し出す。



 例えばもし、それが呪いから解放される手段なのだとしたら。

 果たして、双葉閑の一番大切なものはなんなのだろう。



 彼女は、何を差し出さなければならないのだろう。

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