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第65話 報告

 玲奈と別れた俺は月光洋館へと戻ってきた。


 閑が寝ているだろうと考え、ゆっくりと洋館の中に入る。極力音を立てないようキッチンへ向かい、乾いた喉を潤した。冷蔵庫から取り出したお茶をコップに注ぎ、ぐびっと一気に飲み干す。


 田舎町の夜と言えど夏なので外は暑い。

 そんな暑さの中、山を登り、人と喋れば喉は乾く。


「……ふう」


 コップをシンクに置いて、俺はキッチンを出た。


 広いエントランスを眺める。ここってこんなに広かったっけ、とセンチメンタルな気持ちに浸ってしまう。このままではダメだと俺はマイナス思考を振り払うように首をぶんぶんと振った。


 二階に上がり、閑の部屋を訪れる。

 中からは何も聞こえない。おそらく眠っているのだろう。寝ている間は彼女も苦痛から解放されるので少しだけ安心した。けれど、体を襲う激痛で目を覚ましたりするから油断はならない。


 音を立てないようにドアを開けて中の様子を窺ってみる。

 電気は消えていて、彼女が眠るベッドには動きがない。音もなく、まるで時が止まったような光景が広がっていた。


 起こすのも悪いし、ここは出直そうか。けど、何かあったときにはすぐに駆けつけられるようにしないと。


 そう思いながら、ドアを閉めようとしたときだった。


「……紘?」


 ぽつり、と声がした。

 それを耳にした俺の体は動きをピタリと止まる。


 視線を部屋の方に戻すと布団がもぞもぞと動いていた。そして、冬眠を終えたクマのようにのっそりと閑が体を起こした。


「起こしちまったか?」


 せっかくぐっすり寝ていたところを悪かったな、と思う。人の気配に敏感なのだろうか。


 しかし、窓から差し込む月明かりに照らされた彼女は、ふるふると首を横に振った。


「あなたが来る少し前に目が覚めていたわ」


「そうなのか」


 どうしたものか、と思ったけど、起きたのならば話すべきことがあるので俺は開いたドアを再び閉めた。


「体調はどうだ?」


「今は、大丈夫」


 言葉のとおり、激痛に襲われている様子はない。声も、表情も、今は穏やかだ。

 眠って少しだけ体調が回復したのかもしれない。とはいえ、いつまた激痛が体を襲うかは分からない。一ミリの油断もするべきではない。


 だが。

 だというのであれば、話をするには有り難い。


「ちょっとだけ、話したいことがあるんだけど」


 俺が言うと、彼女はこくりと頷き体勢を整える。

 自分の格好がパジャマであることに気づいたからか、布団を自分を守るように抱え込む。


 そして、むむむと難しい顔をした。


「どうかしたか?」


 俺は彼女の隣に移動する。

 ベッドの隣には勉強机があり、その椅子に腰掛ける。


「……もしかしてだけど、あなたが私を着替えさせた?」


 部屋の明かりは点けていない。

 彼女を照らすのは窓から差し込む月明かりだけだ。なので、はっきりとは見えないんだけど、それでも分かるくらいに顔が赤い。熱のせいじゃないだろう。


「いや、違う」


「けど、私は着替えた覚えは……」


 どうやらここまでの記憶はひどく曖昧らしい。

 一応、玲奈と遭遇したときや、彼女に着替えさせてもらう直前なんかも意識はあったんだけどな。激痛に襲われていて、それどころではなかったのだろう。


「帰り道に玲奈に会ったんだ」


「白石さん?」


 驚いた顔をする閑。やはり覚えていないのか。

 ぐしぐしと頭を掻きながら頭の中を整理する。どこから説明したものか。


 とりあえず三日月町に戻ってきた辺りからの説明をすることにした。

 玲奈に遭遇し、彼女にいろいろと手伝ってもらったこと。それに際し、説明をする必要があったこと。だから、悪いと思いながらも事情を説明したこと。すべてを信じて、納得してくれたこと。


「……そう。話したのね」


 そこまでを話したところで、閑がそう呟いた。


「勝手に話すのは悪いと思ったんだけど、状況が状況だったからさ」


 魔女のことは、これまで閑がずっと周りに隠していたことだった。それを許可もなく話したのは、やはり気分のいいことではないのだろう。


 そう思ったけれど、彼女ははあと小さく息を吐いて口元に笑みを浮かべた。


「ま、仕方ないわね。白石さんが手伝ってくれなかったら、私はあなたに素肌をさらすことになっていたわけだし?」


 その言葉に、俺はははっと笑うことしかできなかった。

 しかし、その口調や声色から怒気は感じられず、俺が覚悟していたよりは怒っていないようだ。助かった。胸の中でほっと息を吐き、そうであればと俺は話を続けることにした。


 ここからが本番なわけだし。


 まず話したのは玲奈のこと。白石家と山神の関係。玲奈の曾祖母さんが山神を助け、それ以来白石家は山神の御加護を受けていた。それは玲奈も例外ではなく、具体的にどうこうという話はなかったけれど、それでも彼女はずっと守られてきたと言っていた。


 そして。


 その玲奈の協力もあってか、実際に山神と対面したことを俺は彼女に伝えた。


「……会った、の?」


 詰まった言葉をようやく吐き出したように言った閑の言葉に、俺はこくりと頷いた。


 すると、閑の表情は深刻というか、神妙なものへと変わっていく。一体、なにを思っているのだろうか。俺にはそれが分からなくて、彼女が口を開くのを待つことにした。


 時間にすれば数秒程度。

 眉をひそめて俯いていた閑がゆっくりと顔を上げた。


「それで、なにを話したの?」


「まあ、いろいろ話したんだけど……」


 玲奈とのこともそうだけど、山神は俺のことも知っているような口ぶりだった。


 けれど、今はそのことは置いておこう。とにかく閑に伝えなければならないのは、確認しなければならないことはそれじゃない。


「お前の命を蝕む山神の呪い。それを解く方法を、山神から直々に教えてもらったよ」


「本当に?」


「ああ」


 ごくり、と喉が鳴った。

 俺のものだろうか。それとも閑のものだろうか。それが分からなくなるくらい、部屋の中に緊張の空気が張り詰めていた。彼女の表情は不安げなものに変わっていく。答えを聞くのが怖いのかもしれない。だって、最悪の場合、どうしようもないことが明らかになるわけだし。


「それで、その方法っていうのは?」


 覚悟を決めたのか、彼女が低い声で尋ねてきた。

 俺は一拍置いてから口を開く。俺だって緊張するし、不安に襲われている。


 閑には死んでほしくないと思っているし、だからこそ彼女の気持ちを確認するのが怖いのだ。


「双葉家がその呪いを受けることになった根本の原因は、その昔に山神との約束を破ったからだ。子供を助ける対価として払うはずだった『一番大切なもの』を差し出す。それが条件だって言ってた」


「……それって、私の?」


 眉をひそめたまま、彼女は言った。

 口から漏れた声は震えていた。必死に抑えようとしていたけれど、それでもどうしようもなく震えていたのだ。


「ああ」


 頷き、俺は顔を上げて閑を見た。


 はっきりさせないといけない。

 でなければ、前に進めないから。


「なあ、閑。お前の一番大切なものってなんなんだ?」


 断崖絶壁の果てまで追い込まれたような、深刻な表情を浮かべながら閑は俯いていた。


 必死に考えているのか、口は開かれない。

 質問を投げかけた俺は、彼女が答えを出すのを待つ。


 どれくらいの時間が経っただろう。それが分からなくなるくらいには、俺も緊張していた。


 そして。


「私が……」


 ようやく彼女が口を開く。

 言って、顔を上げた閑が俺を見る。


「私の、一番大切なものは……」


 今にも泣き出しそうな、悲しそうな顔をしていた。



 俺の勘違いだと思いたいけど、そんな閑の顔を見たとき、俺は彼女の中に諦めたような気持ちがあるように思えた。

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