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第67話 記憶の扉

「……さっきは、その、お見苦しいものを見せてしまって」


 適当に半袖のシャツと短パンを着た俺は玲奈を自室へ招き入れた。


 触れるべきか、それとももう流してしまうべきか悩んだけど、不完全燃焼でモヤモヤしていたのでしっかりと消化することにした。


「ああ、いや、こっちこそ勝手に入っちゃって。それに、あれだよ、結構しっかりしてて良かったと思うよ?」


「え、そんなしっかりしてた?」


 タオルが落ちて、瞬間的に玲奈は視界を覆っていたからそんなにしっかりは見えていなかったはずだけど、そんな一瞬で分かるくらいなのか? そもそも、玲奈は何を以てしっかりしていると捉えたのだろう。自分で言うのもなんだけど、多分普通サイズだと思うんだけど。


「う、うん。思ってたよりカチカチだったよ?」


「え、カチカチだった!?」


 勃ってたのか? 全然そんなことなかったはずなんだけど。朝の生理現象にしては遅すぎるし、見られることに興奮する質だったのかな。それで一瞬で元気に? いやいや、そんなことはないだろ。


 それに思ってたよりって、玲奈は俺のモノを想像したことあるってのか?


 でも、自分で言うのも恥ずかしいけど玲奈は俺のことを好きだと言ってくれていたし、夜な夜なそういうことを考えたりするものなのかもしれないな。これ以上はやめておこう。なんか変な気分になりそう。


「うん。鍛えてるの?」


「どうやって鍛えればいいんだよ」


「普通に、腹筋とかじゃない?」


「ああ、腹筋……」


「ん?」


 いろいろと間違っていたらしい。

 きょとんとした顔で首を倒す玲奈を見ていると、汚れきった自分の思考が恥ずかしくて、この場から逃げ出したくなった。でもそういうわけにはいかないので、せめてさっさと話題を変えよう。


「それより、随分朝早くに来てくれたんだな?」


 時間を確認すると、まだ朝の七時だ。

 友達の家を訪れるにも十分すぎる早さである。なんなら、こういう事態じゃなければ迷惑と思うまである。もちろん、彼女だってこういう事態だからこその訪問なんだろうけど。


「心配で目が覚めちゃって。居ても立ってもいられなかったの。ごめんね?」


「いや、全然。むしろ、心強いよ」


 閑の容態は今なお安定している。

 けど、いつ悪化するか分からない。不安を抱かざるを得ないこの状況で、協力者が近くにいるというのはとにかく心強い。それに、昨日実感したけど、玲奈は意外と冷静だ。こっちが慌てているときもしっかり落ち着かせてくれる。


 いつもののほほんとした様子からは想像がつかなかったけど、本当に頼もしい。


「昨日のことなんだけど」


 とりあえず、玲奈には状況を知っていてほしいので、俺は昨日のことを軽く共有することにした。本来ならばあまり言いふらすことでもないんだろうけど、玲奈の考えはきっと俺達を助けてくれる。


 だから、情報は共有しておくべきだろう。


「えっと、つまり双葉さんの一番大切なものは、自分の命じゃないってこと?」


 俺のざっくりとした説明を聞いた玲奈が眉をひそめる。


「おそらく、だけどな」


「でも、黙り込むってことはそうだよね。もしそうなら、頷くはずだし」


「やっぱりそうかな。でも、認めちゃったらどうしようもなくなるから黙ってたって可能性もあるんじゃないか?」


 考えてみたところ浮かび上がった可能性を口にしている。

 玲奈は少し考え、かぶりを振った。


「絶対とは言えないけど、それはないんじゃないかな。双葉さんはそういう考えで黙り込んだりしないと思う」


「だよな」


 性格上、どっちかというとハッキリと認めてしまうタイプだと思う。その上で、別の作戦を考えるのではないだろうか。きっと、玲奈も同じことを思ったに違いない。


「それと同じ理由で、もう一つ言えることがあるの」


「なに?」


 難しい顔をしたまま玲奈はそう続けた。俺は一言添えて続きを促す。


「どうしようもないものだったら、やっぱり黙り込んだりしないと思うんだよね」


「どうしようもないものって?」


 ううん、と玲奈は唸った。

 例えばと言われると、まあ難しいか。


「例えば、お母さん……とか」


「お母さんって、日記にあった?」


「そう。双葉遥さん? お母さんはもうこの世にはいなくて、差し出すことができないでしょ? それだったら、きっと双葉さんはそう言うと思う」


 なるほど。

 自分の命と同じってことか。


 一番大切なものを差し出す、という問題解決手段では解決できないことがハッキリする。むしろ自分の命よりもどうしようもない。だって、玲奈の例で言うなら遥さんはもうこの世にはいないから。


 だから、同じようにさっさと可能性は潰して別の方法を考えようとするはず。


 けど。

 だったら。


「……なんで、閑は黙り込んだんだよ?」


 俺は顎に手を当て考える。

 そんな俺を見て、玲奈は小さく溜息をついた。


「わからない?」


「玲奈は分かったのか?」


「んー、まあ確信はないけどね。なんとなくはわかるよ」


 その声には自信は伴っていなくて、けど全くもって掠りもしないとは思っていなさそうで。


「どうしようもないことだったら双葉さんはきっと口にする。けど、黙り込んだ。つまり、双葉さんの中ではその答えはどうしようもないことじゃなかったの」


「うん」


「でも、言えなかった。それはきっと、言ってしまえば双葉さんの願わないほうへ物事が進んでしまうと考えたからじゃないかな」


 答えへ向かっているようで、けれど核心を突くようなことはしない曖昧な言い方。


 思わず俺は「つまり?」と訊いてしまう。


「ごめんね。双葉さんが言いたくなかったその答えを、わたしの口から言うのは違うと思うからそれは言えないや」


「……そっか」


 玲奈の思っていることが正解なのかどうかは分からないけど、もしも正しかった場合、閑の気持ちを蔑ろにして心の中へ踏み入れるようなものだ。玲奈はどこまでも冷静で、それでいて相手のことをしっかりと考えている。さすがとしか言いようがない。


 けど、昨日黙り込んだ閑が今日、心変わりをしているとは思えないし、かといってここでじっとしているのは時間がもったいない。


 そう思い立ち上がった俺を玲奈は不思議そうに見てくる。


「どこか行くの?」


「ああ。ちょっとだけ気になることがあってさ。玲奈はここで閑の様子を見ててくれるか?」


 閑一人にするのは気が引けたから諦めていたけど、玲奈がいるなら心配いらないだろう。


 彼女はなにかを考え、しかし言葉を飲み込んで頷いてくれた。


「分かった。でも、できるだけ早く帰ってきてね。それと、無茶はしないこと。約束できる?」


「ああ。約束する」


 そして、閑のことは玲奈に任せ、俺は一人家を出た。

 向かう先は昨日と同じ、山神の祠がある場所だ。








 三日月山を少し降り、道中で細くなる道に逸れた先にある広まった空間に祠はある。


 俺を見下ろすようにそびえ立つ木々が太陽の光を遮ってくれているおかげでかろうじて僅かにほんのちょっとだけど暑さはマシだ。けど、普通に空気がむわっとしているので汗はかく。


 ふう、と息を吐き頬を伝う汗を拭った俺は祠の前に立つ。


「……」


 呼ばなきゃダメなんだろうか。

 昨日は玲奈がいたから、彼女に無理やりさせられたという感じだったから受け入れたけど、こんなところで一人で山神を呼ぶなんて恥ずかしいにも程がある。でもなあ、やらなきゃ出てこないしなあ。まあ、やっても出てこないかもしれないんだけど。


 よし、覚悟を決めるぞ。決めたぞ、いくぞやるぞ。せーの!


「……ッ」


 くうう、やっぱ恥ずかしいいいいい。

 俺は口をパクパクと開くが音が出ない。全然覚悟決まってなかった。



「なんだ、呼ばんのか。山神様、と」



 ぞわっと悪寒が走ると同時。

 後ろから聞こえた声に思わず振り返る。


「山神……」


 昨日と変わらない狐のお面で顔を隠した姿がそこにあった。

 山神は肩を落として息を吐く。


「様をつけろ。私は神だぞ」


 タン、と地面を蹴った山神は人間の力では有り得ないジャンプ力を見せ、俺を跨いで祠の上に乗る。まるで重力を失ったようなふわっとした跳躍に、俺は言葉を失った。


「なんで」


 呼んでもいないのに現れた?

 いや、もちろん有り難いことではあるんだけど。


「暇だったかな。久しぶりに顔を見たお前と話でもしようかと思うてな」


 神様の気まぐれってやつなのか、兎にも角にもこうして目の前に現れてくれたことには感謝だ。それに、どうやら俺と会話をする気があるらしいし。おかげで話ができる。


「昨日も言ってたけど、その久しぶりってのはどういう意味なんだよ? 悪いけど、俺はあんたみたいなスピリチュアルキャラクターと会った覚えはないぞ?」


 閑のことを話したい気持ちもあったけど、正直こっちも気になっていた。


 山神の言葉からして、こっちに触れたほうが自然だと思い、思い切って尋ねてみたのだが、山神はなおも呆れたように溜息をつく。


「無理もない。忘れているのだからな」


「忘れてるだと?」


 別に覚えが悪いことも、まして忘れっぽいつもりもないんだけど。

 しかも仮に山神の言うことが正しいのだとすれば、神様とこうして対面して会ったことがある記憶だぞ。そんな衝撃的なエピソード忘れるもんかよ。


「そうだ」


「いや、待てよ。そんな衝撃的な話忘れるわけないだろ」


「だが、事実忘れているじゃないか。お前は私をお覚えていないんだろう?」


「……」


 山神の言うとおり、俺は覚えていない。

 あいつの雰囲気からして冗談を言っているようにも思えない。


 だとしたら、俺は本当に忘れているってことなのか?


「まあ、私だけ覚えていてお前に忘れられたままというのも腹立たしい。出血大サービスで思い出させてやろう」


「思い出させるって、そんな都合よく……」



 忘れている。

 思い出させる。

 都合よく。



 俺の中で一つ一つのパズルのピースがカチッカチッとはまっていくような気がした。


 だとしたら、もしかして。



「思い出せ。お前は子供の頃、私と会ったことがあるはずだぞ?」

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