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*┈┈幕間┈┈*




「生徒会長〜〜〜〜〜ッ!!」


 鼓膜を裂かれそうなけたたましい声とともに生徒会室に駆け込んできたのは、ラエルと同じ帝王学科三年生のサムエルだ。


 円卓に着席している数名の生徒会役員のメンバーたちが一斉に扉の方を向く。

 少し遅れて、円卓の最奥で机上の議事録を眺めていたラエルが、目だけを上に向けた。


「……なんだ、また君か」

 生徒会役員の一人が呆れたふうに額に手を遣り、呟くように言う。サムエルが会議中の生徒会室を訪れたのは放課後二度目だった。


「困るよ、そう何度も会議の邪魔をされたら」

「知っての通り、カルロスを除く生徒会の面子は帝王学科所属だ。同じ帝王学科の君ならわかるだろう? 我々にとって『時間』は、たとえ一分一秒でさえ貴重なんだ」


「副会長、分かってます、ですが……」

「今度は何なんだ、手短に言えよ?」


 急かされたサムエルは、薄茶色の巻き毛の奥の目を申し訳なさそうに上目使いしながら、ラエルのすぐそばの壁に背を預けて腕組みをしているカルロスに熱っぽい視線を送った。


 カルロスは腕を解き、「え、俺?」とばかりに人差し指を鼻先にあてる。


「魔導科の生徒が、その……実験途中で失敗をっ」

「実験だと? 放課後の実習は禁止されてるだろ」


 胡乱な視線をサムエルに流しながら、カルロスが「ふん」と鼻を鳴らした。切れ長の涼しい目元には呆れと失望の色を宿している。


「はぁ……」

「それで、どうしたんだ」


「魔導科の一年生がふざけていて、手首から下が消えました」

「なんだって?! 吹っ飛んだのか……!」


 ガタンと椅子を鳴らしたのは、髪をびっちり後頭部に結え眼鏡をかけた女性の風紀委員長だ。


「いえ、実態はちゃんとあるんですが、ただ見えなくなった、というか。彼女は医務室に運ばれたんですが、医務課の先生はもう帰っちゃってて……可視化術を扱えるのは、その……学園ではカルロスさんだけなんで」


 新入生がふざけて問題を起こす事はよくある。

 けれどそれが魔術を操る魔導科の生徒となると、やらかしの内容が少し厄介だ。


 希少な魔導士一族の子息令嬢を預かる魔導科は教師の数も少なく、何かあった時の対応も十分であるとは言えない。

 だからこそ放課後の居残り実習は固く禁じられているのだが、新入生の中にはその危険性への理解がまだ乏しく、こうした問題を起こす者が一年に一度は必ず出てくる。


「……ったく、何やってんだ」

「去年もあったよな。転移魔法の練習だとか言ってフザけてた奴らが、他の生徒らを巻き込んで戦禍の異空間に飛ばされたってやつ」

「あれよりだいぶマシだろう」

「そういう問題じゃないだろ。おい風紀委員、監視が甘いんじゃないのか?」

「言い掛かりだ、魔導科の実習は我が委員会の管轄外だよ」

「立派な規則違反じゃないか」


 口々に飛ぶ野次は、学園の生徒会長──ラエルの一言で瞬時に鎮静する。


「わかった、対処する。カルロス、一緒に来てくれ」


 その口調は落ち着いていて、『なぎの生徒会長』の異名を持つほど沈着冷静そのものだ。

 ラエルはすっと立ち上がると資料をまとめてトントンと束ね、揃えて机上に置く。


「あの、わざわざ会長のお時間を頂くような案件じゃっ」


「ああいや、悪いがカルロスと私はこのまま退場させてもらうよ。今日の議題の取りまとめは副会長に任せてもいいだろうか。このあと、王城で所用があってね」


 目を瞬かせながら胸の前で両手を振るサムエルを見遣ると、ラエルは引き結んでいた口元をすっと緩めた。



 *



 王立学園の白亜の廊下を並んで歩く彼らを一目見ようと、居残りをしていた女生徒たちが遠巻きに集まってくる。


「ねぇ、皆さん、熱心に何を見てらっしゃるの?」


 目を輝かせながら教室の外に向かおうとする者に、新入生の女生徒が尋ねた。


「いいから、あなたもいらっしゃい……来ればわかるわ!」


 十八歳の成人を迎え、王国の王太子を戴冠したばかりの生徒会長、ラエルは──白銀の礼服を纏う。 

 一方で名門の黒魔道一族の末裔であり、剣・体術部の部長と生徒会役員を兼務するカルロスは在学中から国属の騎士団に入隊しており──黒灰色の騎士服を纏っている。


 色素の薄いラエルの銀糸の髪色と白銀の礼服、カルロスの黒灰色の長髪と同色の騎士服とが相まって、まるで白と黒の絵画を描くような彼らの風貌は見目麗しい。


 色恋沙汰にせわしない年頃の女生徒たちには眼福そのものだ。

 中には彼らの姿絵をお守りのように持ち歩く者たちがいるとか、いないとか。


「ラエル様とカルロス様の魅力は、何と言っても浮いた噂を一切聞かないところなのよ」

「でも王太子様なら、既に婚約者様がいらっしゃるのでは?」

「そんなの知りませんわ。学園内に恋人がいないお二人を拝めるだけで、王立学園の生徒たる僥倖というもの!」


 彼女たちの黄色い視線を気に留める事なく、ラエルとカルロスは颯爽と歩を進めていく。彼ら二人が見聞きするのは目の前に山積する責務の呼び声だけだ。


「相変わらず見事だった、カルロス」

「両手程度の小さな物体を可視化の状態に戻すなど、大した魔法じゃないさ」

「君の抜きん出た実力には国王も大いに期待している。肝要不可欠な戦力として、我が国は君を筆頭とした魔導士たちの力に頼らざるを得ないからね」


 真剣な面差しを崩さないラエルを茶化すように、カルロスは大きく伸びをして虚空を仰ぎ見る。


「かの大国たいこくの王太子殿下は、自分の親友さえ掌握する気まんまんだな」


 親友の冗談めかした挑発に乗るでもなく、ラエルの口調は真剣だった。


「ああその通りだ……私は君を頼りにしてるんだ、君が思う以上に」


 二人の上背の高さは同じくらいだ。

 ラエルの蒼い瞳が、真っ直ぐにカルロスのそれを射抜く。

 マリンブルーの瞳同士が重なって、カルロスはおもむろに目を逸らせた──少し、照れたふうに。


「そう言えば、異空間戦争。君の一族の聖地奪還の話だが、その後の進捗は?」

「四つの関門のうち二つまでは奪還が叶った。三つ目は我が軍でも苦戦してるがな」


 そうか、とラエルが長い睫毛を伏せて小さく呟く。

 その視線の先には、カルロスの首に生々しく残る、刃物を掠めた紅い傷跡があった。


「……カッコつけて死ぬなよ」


 ラエルのこの言葉を聞くのは、これでもう何度目だろう。

 すん、と息を吸い、天を仰ぎ見るようにしてカルロスが答える。同じく何度目かの変わらぬ文言で。


「ああ。カッコつけて生きてやる」


 ラエルが安心したふうに頬を緩めたのがわかる。

 カルロスの脳裏には、最後の聖地・第四ベルツに掲げられた勝利の旗とともに、覇聖剣エクラが晴天の陽の下で煌めいていた。


 ──俺は生きる。

 少なくともヴァーレン卿の娘から覇聖剣あれを奪い返し、一族の百年の悲願を遂げるまではな。


 ぐ、と両手の拳を強く握りしめた。

 強い風が、背中にまとめた彼の長い髪を揺らす。

 カルロスは先日対面したばかりの、十歳の少女のあどけない面差しを眼裏に描いた。


 幼いながらも、あの少女は育ちの良さから来る凛とした品が溢れ、幼子の愛らしさの中にも必ず美しい娘に成長するだろう美貌を備えていた。


 ──彼女と接した時、確かな手応えを感じた。

 八年後だ……覇聖剣エクラは我らの元に還る。

 ヴァーレン卿の娘を洗脳し、彼女が十八歳の成人を迎えた時、その記憶の封印に秘された覇聖剣エクラの在処を必ず突き止める。


「見送ろう」

「ふっ、雨が降るんじゃないか?」

「どういう意味かな」

「言葉通りだろう」


 そうこうするうち、二つの長身の影は学園の正門前のロータリーに差し掛かっていた。

 王立学園は全寮制だが王城の広大な敷地内にあるため、王太子を戴冠したラエルは王城と学園の寮とを必要に応じて馬で往来している。


「所用があると言ってたな。生真面目な君が会議を放り出してまで向かおうとするその先には、どんな奇特なお宝が?」


「お宝? ……そうだな」


 門前で馬を待ちながら、今度はラエルが眩しそうに目を細めて空を仰ぎ見た。


「婚約者との顔合わせなんだ」

「ほう。王太子きみの婚約者なら、知的な絶世の美女なんだろ」


 さあな、とラエルが息を吐く。


「十歳になったばかりの少女だ」


 十歳になったばかり、と聞いて、ヴァーレン卿の娘が過ぎる。

 自分とラエルは、どうやら互いに十歳の少女と縁があるらしい。


「……年齢差は王族アルアルか。どっかの国の姫君?」


 ラエルもまたカルロスと同じで、一族の血に運命を左右される者の一人であった。


「いや。国王の縁者の娘らしいが、詳しくは聞かされていない。結婚も彼女が成人する八年後だ」


 王族の縁談は基本的に政略的なものであるため、多くの場合、結婚相手を自分で選ぶことはできない。婚約が決まった時点では相手が幼すぎる場合も多い。

 そのため、不慮の事故や何らかの理由で婚約解消にならない限り、婚約相手が成人するまでは婚約者同士という形を取りながら相手が成人するのを待つ。


「……八年先、か」

「ウン?」

「予想つかないよな」

「と言うと」

「八年先の未来で、ラエルとその婚約者がどうなってるか」


 言いながらも、カルロスの胸の内では八年先の自分を想像していた。


 ──俺とヴァーレン卿の娘……レティア・ヴァーレンが、その頃どんな状況下にいるのか。八年という長い歳月が全てを変えてしまう可能性だってあるのだ。


 前庭のトビアリーを縫うようにしながら、立派な白馬が連れられて来た。

 銀糸のタテガミを風に靡かせ、利発そうな黒い瞳を瞬かせながら主人に甘えるようにブルンと鼻をもたげている。


「婚約者に逃げられないよう、せいぜい気を配るんだな」

「ふっ、今日はどうした? 無口な君がやたら饒舌じゃないか」


「相手が子供だからってあなどるなよ。最近の子どもはからな。俺の親友は、仕事は早いが恋愛に関しては奥手だから教示しておく。相手がまだ子供でも、しっかり伝えて射止めておけよ」

「……その子に何を伝えろと?」


 鎧に足を掛けながら愛馬に跨る親友を見上げ、いつもの如く腕を組んだカルロスが冗談めかした花向けらしい言葉を贈る。


「妻になって欲しい、ってな」


 騎乗して踵を返したラエルの背中が、馬のいななきに大きく揺れる。

 肩越しに振り返り、白い手袋の片手を振ったラエルの口元が ── 一瞬だが、笑ったように見えた。






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