目次
ブックマーク
応援する
8
コメント
シェア
通報

46・秘された墓標



 * * *



「あれっ……さっきまで、ここにいたんだけど」


 曲がり角を折れた廊下の一端を見回しながら、首を傾げるノア。

 居たはずだという王太子殿下の姿はすでになく、だだっ広く長い廊下が閑散と続くばかりだ。


「こんな辺鄙な場所に、王太子殿下が?」


 レティアたちが滞在する部屋から僅か十数歩ほどの距離、想像以上の近さ。

 ノアによると、花束を抱えた王太子がこの辺りをうろついていたと言う。


「私たちの他にも、客間に王太子殿下のお知り合いが滞在なさっているのかしら」


 ──なんらかの事情で不要になった花束を、通りがかったノアに託した……とか?


 根拠もない想像に、レティアとノアは揃って首をかしげる。

 王城に来てから部屋を出たのはほんの数回だが、食事を運んでくるメイドと見張り役の侍従の他に人の気配を感じたことは一度も無かった。

 部屋の入り口で見張っていた侍従ふたりも、今はもういない。


「ご不要になったのだとしても、こんなに可愛らしいお花だもの。婚約者のアーナス様に差し上げれば喜ばれたでしょうに」


 アーナスが王太子に向けていた熱っぽい視線を思い出す。あの日、アーナスは恋する乙女の顔をしていた。


「私がいただいてしまって、本当に良かったのかな」

 顎に手を当てて何気につぶやけば、ノアがぶんぶん首を振った。


「アーナスっ、あの女は嫌いだ。あいつに渡すくらいなら、レティアが貰っちゃって良かったんだ!」

「あの女だなんて、ノア……?!」


 あからさまに嫌悪するような言いぶりにヒヤリとしてしまう。

 目を丸くしたレティアに、ノアは重ねて言い募った。


「僕は知ってるんだぞ、あの女、レティアをいじめるんだろ」

「ぇっ」

「アーナスの我がままで王都の針子ふたりが寝屋宮殿に幽閉されてるって、レティアたちのことだろ?」


 レティアは絶句してしまう。まだ幼いノアの耳に、そんな形で伝わっているとは思わなかった。

 彼の周囲の大人たちも大人たちだ。あからさまにアーナスに対してノアが嫌悪感を抱くような物言いの大人たち。感受性の高い子供の前でする話ではなかろうに。


「違うの、ノア。私たちがお城に滞在しているのは、アーナス様のドレスの修繕をするためよ?」

「そのドレスだって、アーナスが破ったんだろ」

「……っ」


 ノアはいったいどこまで知っているのだろうと、絶句してしまう。

 誰もが人知れず複雑な事情を抱えている。アーナスがあのような行為に及んだのも、きっと何か理由があるはずだ。


「ねぇ、ノア。そんなふうに言わないで? アーナス様は王太子妃になられる方ですもの。王妃教育が大変だったり、私たちが想像もできない重圧を抱えておられるのだと思うの」


 ──我がままになるのも仕方がないことなのかも知れないわ。私のせいで、ノアにアーナス様を嫌いになって欲しくない……。


 レティアが真摯な心で訴えるように見遣れば。

 ノアは眉を寄せて視線を逸らし、呟くように言うのだった。


「レティアの事だけじゃない。あいつが来てから、おかしな事ばっかり起こるんだ」

「おかしな、こと……?」

「うん。殿下の様子もおかしいし、怖いことが続いてる、人が死んだり。レティアが怪我したのだって」


 しばしの沈黙があった。

 ノアは奥歯を一度強く噛み締めると、レティアの腕を取る。


「……来て」

「ぁ、え?!」


 ぐい、と腕を引く力は、六歳の子供とは思えないほどに強い。包帯を巻いた手で花束を抱えたままもう片方の腕を引かれ、前のめりになりながら小走りにノアの後を追いかけた。


「ノア、待って……! どこに行くの? 腕が、痛いわ」

「レティアに見せたいものがあるんだ、ついてきて」

「でも、私……」


 仕事部屋のミアには「ちょっと出てくる」と伝えただけ。

 しかも、王城の中を許可もなく勝手に歩いても良いものだろうかと心配になった。

 ノアの手はすぐに離れたものの、すばしっこい子供の足で廊下をどんどん進んでいってしまう。


「……っ」


 仕方がないので、後ろ髪を引かれながらも慌ててついていく……何だか妙な展開になってしまった。



 *



 その場所は、レティアたちが滞在している棟を出てすぐの、ひっそりとした裏庭の片隅にあった。

 建物の影になっていて陽があまり当たらないのもあるが、他の場所よりも空気が冷たく感じられる。


「ここって……」


 灰色の壁に沿うようにして、三つの白い墓石が並んでいる。

 誰かが手向けたばかりなのか、まだ新しい花束が三体それぞれに置かれていて、時折吹いてくる冷ややかな風に白百合の花びらが儚げに揺れている。


「……うん」


 仁王立ちをするようにして、ノアが墓石を睨みつけた。

 いや、墓をと言うよりも──何か別のものを。


「あの女が来てから死んだメイドたちだよ」

「ぇ…………」


 たどたどしく愛らしいノアの口ぶりには似合わない「死んだ」という言葉に、ぞわりと背中が粟立った。

 それにしても、亡くなった人たちを弔うにしては、ここはあまりにも寂しすぎる。


「その人たちは、なぜこんな場所に埋められてしまったの?」


 ──まるでお墓の存在を隠そうとしているみたいだわ……。


 ノアが理由を知っているか否かはさておき、聞かずにはいられなかった。

 通常ならば死者の屍は王都内にある平民用の墓地に葬られるか、故郷の地に運ばれて手厚く埋葬されるはずだ。なのに、何故。


「三人ともって、母上が。お葬式もできないって……。それ以上は、聞いても教えてくれなかったけど」


「変な、死に方……?」


 葬式も出せないような形で命を落とした者たちが、あの白い墓標の下に眠っていると言う。ふとレティアを襲ったあの女の、恐ろしい形相が目の前に蘇った。


「ひっ」


 花束を抱える両腕に力がこもる。

 形も残らないほどドロドロに溶けた薔薇の花。

 あの女が持っていた液体が、もしも自分の顔や身体にかけられていたら。


「…………」


 もしもあの時、カルロスに助けられていなければ。

 今頃自分も、この場所に、四体目の白い墓の下に───。


「レティア、どうしたの、平気?!」


 恐ろしくなって、ガクガクと肩が震えた。

 きっと青い顔をしていたのだろう、ノアが心配そうに見上げている。


「……っ、ええ……ごめんね、もう、大丈夫」


 いけない、ノアを心配させている。

 何度も深い呼吸を繰り返して、冷静さを取り戻そうと努めた。


「この人たちが亡くなったのも、私の、怪我もっ……偶然が重なっただけかもしれないし。アーナス様が関わっておられるなんて、そんな、こと」


 王太子殿下に恋心を抱くあの愛らしい姫君が、人の辛辣な変死に関わっているなんてとても考えられない。

 けれどノアは、確信に満ちた声で言う。


「ううん……絶対そうだ」

「どうして、そんなふうに言い切れるの?」

「あの女は深いって。恐ろしい女だって、母上が侍女と話してるの聞いたんだ」


 この年代の子どもたちは大人の事情なんか知らずに、全てを包み込む優しさと大きな愛情だけに包まれているべきなのだ。

 なのにノアが、そのような恐ろしい話を耳に入れてしまったのかと思うと、いたたまれなかった。


「だからって、アーナス様が彼女たちを手にかける理由にはならないでしょう?」

「ううん、違う。してる」


 ノアが、真剣な目をしてレティアをすっくと見上げる。


「この者たちは皆んな、王太子殿下のメイドだった」


 はっとするが、一瞬の間のあと、レティアは深呼吸を重ねて冷静になろうと心がけた。


「どういう、事……?」

「王太子殿下と彼女たちは仲良しだったって、母上が」


 かの王太子殿下がメイドと「仲良し」なはずがない。ノアの母親は、きっとノアにわかりやすいように言葉を選んだのだ。

 おそらく「彼らの主従関係は良好だった」という事だろう。


「でもっ、私は……違うわよ?」


 実際、レティアと王太子殿下との間に接点はない。

 もしあったとしてもノアを通じて花束を受け取っただけだ。けれど花束を受け取ったのはつい先程で、レティアが襲われた事とは無関係だ。


「それは、そう……だけど」


 さっきまでの勢いはどこへやら、ノアはしゅんとそっぽを向く。けれどそれは一瞬の事で、すぐに威勢を取り戻したノアの瞳がレティアの視界に入り込んだ。


「何があったって、レティアは僕が守るから! 安心してていいよ!」


 鼻息まで荒くしたノアは、まるで騎士さながらの意気込みだ。

 それでもレティアにとっては弟と同年代の可愛らしい男の子。膝を折って身を屈めると、ノアの視線の高さに目線を合わせる。

 大人の青年さながらに整えられた柔らかな髪をぽんぽん叩くと、レティアはにっこり微笑んだ。


「ノア、有難う。とても心強いわ」


 優しいノアは、彼の世話をするメイドたちにもかしづかれているのだろう。大人顔負けの身なりをしているものの、声はまだ幼く、素直にはにかむ様子は子どもらしくて愛らしい。


 「えへへ」と赤くなった頬を指で掻きながら、少し照れたふうなノアに癒されながらも──怖気おぞけがまた背中を襲ってくる。

 心と身体に刻まれた恐怖は、そう簡単に消えるものではないらしい。


「…………っ」


 花束を抱えた腕に力がこもる。

 この場所は、ひどく冷たい。


 湧き上がる心細さと静けさのなか、レティアには眼下に並ぶ真新しい三体の墓標が悲しげに何かを訴えているように思えてならなかった。





この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?