そんな海水浴から数日が経つも、結局海の中から感じた謎の気配の正体はわからずじまいだった。
ボクは悶々としつつも、日常に戻っていた。
「……本日の配達依頼は、アレッタちゃんですわ!」
そんなある日。ボクはシンシアからそんな依頼を受けて、アレッタを連れてモンテメディナ家のお屋敷を訪れていた。
配達依頼……なんて言い方をしているけど、つまりは一緒に遊びたいのだ。
この間の海水浴以来、アレッタとシンシアはすごく仲良くなっているし。
「本日はお招きいただきまして、本当にありがとうございます!」
真珠をあしらった、いかにも王族らしい衣装に身を包んだアレッタは、整った所作でシンシアやその父親であるモンテメディナ伯爵様に一礼していた。
その仕草を見ていると、さすがお姫様だと思う。
「はは、元気のいいお嬢さんだ。ゆっくりしていくといい」
その正体を知らない伯爵様は、アレッタににこやかな笑みを向ける。
「それではアレッタちゃん、いきましょう!」
「はい! 伯爵様、失礼します!」
アレッタはもう一度一礼し、シンシアに手を引かれて屋敷の奥へと消えていった。
どうやら家の中に図書館ばりに広い書斎があるとかで、そこに本を読みに行くようだ。
「さて、私もナギサ君と話がしたかったのだ。応接室に行こうじゃないか」
仲良しな二人の背を見送っていると、伯爵様がそう声をかけてきた。
◇
やがて立派な応接室に通されると、革張りのソファに座るように促される。
「それで伯爵様、お話って?」
「うむ。まもなく島でゴンドラレースが開催されるのは、君も知っているだろう?」
「もちろん知ってるよ。今年はラルゴも出るしね」
「そのゴンドラレースで、救助班を頼まれてはくれないだろうか?」
「……救助班?」
「そうだ。私も去年のレースを見たが、優勝を目指すあまりに操舵を誤り、船を転覆させてしまう事例が多発していた。気持ちはわかるが、死者が出なかったのが不思議なくらい荒々しいものだった」
そこまで言って、伯爵様は大きく息を吐いた。
「じゃあ、ボクはレース中に運河を駆け回って、海に落ちた人を助けてあげればいいの?」
「話が早くて助かる。これは海魔法が使える、ナギサ君にしか頼めない」
「そういうことなら、喜んで受けるよ。海の安全はボクが守るから!」
「ありがとう。恩に着るよ」
ボクが自分の胸を叩くと、伯爵様は立ち上がって握手を求めてきた。
それに応じながら、今年のゴンドラレースは当日も忙しくなりそうだ……なんて、考えたのだった。
◇
それから数日後。ボクは幼馴染たちやアレッタと一緒に、ゴンドラの製作所を訪れていた。
目の前にあるのは、黒塗りの立派なゴンドラ。これはレース当日、ラルゴが乗る予定の船だ。
シンシアとの島観光を成功させて以来、ラルゴとその父親――ブリッツさんとの関係は良好で、この船もブリッツさんが息子のために用意したものらしい。
「近くで見ると大きいですね。これにラルゴ様が乗られるのですか」
「ああ。
「なら、決起集会は早めにしちゃわないとね。明日か明後日の夜、時間ある?」
腕組みをしながら自分の船を見上げるラルゴに、イソラが尋ねる。
「そんなの、してくれなくったっていいのによ」
「私たちがしたいのよ。ね?」
ラルゴは渋るも、イソラは胸の前で手を合わせながらボクたちを見る。
皆で同意するように頷くと、ラルゴは諦め顔をした。
「ま、そこまで言うんなら参加してやるか」
「もー、素直じゃないなぁ。もっと喜べばいいのに」
「うっせ」
ボクが腰に手を当てながら言うも、ラルゴは口を尖らせてそっぽを向いた。本当、素直じゃないなぁ。
◇
その次の日の夜。ボクたちはラルゴの家に集まり、決起集会を開く。
ブリッツさんは船頭ギルドの話し合いがあるとかで家を空けていた。どうやら、ボクたちに気を使ってくれたらしい。
「んー、このブルスケッタ、おいしいー」
「だろー。酒も進むってもんだよな」
幼馴染たちがそれぞれ料理を持ち寄ったほか、今日はお酒も用意されていた。
ボクたちも成人しているし、こういう席では飲むべきだとわかっている。
なので、ボクも少しずつ飲んではいたのだけど……。
「はふっ……ラルゴ、このお酒、けっこう強いんじゃない?」
「どーだろーな。オヤジの酒だし、それなりだとは思うけどよ」
手元のジョッキはまだ半分ほどしか減っていないけど、ボクはだいぶ酔っていた。
おばあちゃんいわく、お父さんたちもあまりお酒に強くなかったらしい。グランデ家、お酒に弱い血筋なのかな。
「ロイ様、お水です。大丈夫ですか?」
「うーん、ありがとう……」
ちなみにロイは早々に酔いつぶれてしまい、アレッタの介抱を受けていた。
当然、アレッタは未成年だから飲んでいないのだけど……最初は普通に飲もうとして、皆で必死に止めた。ルィンヴェルの反応からして、
「くー、イソラ、もう一杯くれよ」
「いいけど、あまり飲み過ぎちゃダメだよ?」
「いいじゃねーか。お前の作ってきた料理がうますぎるのが悪いんだ」
「もう……褒めてもお酒は増えないからね」
ラルゴはお父さんがあんな感じだし、お酒に強いみたいだ。多少饒舌になってはいるけど、普段のそれとあまり変わりはない。
その隣に座るイソラもお酒には強いようで、顔を赤くしながらもテキパキと料理を取り分けていた。
……そんな中で、かなりの量のお酒を飲んでいるはずのルィンヴェルは顔色一つ変えていなかった。
「……ねぇアレッタ、ルィンヴェルってお酒強いの?」
「そうですね。お兄様は子供の頃から飲まれていましたし」
「え、そうなの?」
「はい。異海人は10歳になったら、少しずつお酒に体を慣らすんです。特にお兄様の場合、お酒の席に出ることが多かったですし」
「確かに王子様が酔いつぶれるなんて話、聞いたことないけど……じゃあ、アレッタも飲めるの?」
「はい! 好きですよ!」
キラキラな笑顔を向けてくるけど、あげないからね。少なくとも地上では、お酒は15歳から!
……そんなこんなで宴も
……二人とも、どこ行ったのかな。
いい感じにお酒が回った頭で、そんなことを考える。
周囲を見渡してみると、後片付けをするルィンヴェルとアレッタの姿があった。
「あ、ボクも手伝うよ……」
そう言って立ち上がった直後、椅子の脚につまずいた。
「おわっ……」
「……おっと、危ない」
それに気づいたルィンヴェルが駆けてきて、倒れかけたボクを抱きかかえてくれる。
「大丈夫? ベッドに行く?」
「……ふえ?」
……頭が回っていなくて、一瞬変なふうに捉えてしまった。
「だ、大丈夫! ちょ、ちょっと風に当たってくるよ!」
直後に勘違いに気づき、恥ずかしくなったボクは表に飛び出した。
◇
夜の
ラルゴの家以外は明かりがほとんどなく、わずかな月明かりを反射する水路が遠くに見えていた。
時折、秋らしい涼風が頬を撫で、火照った体を冷ましてくれる。
顔が赤いのは、お酒のせいだけじゃないような気もするけど。
左右の頬をさすりながら歩いていると、脇の狭い路地に人影があった。
……ラルゴとイソラだ。あんなところで何をしているんだろう。
「……!?!?」
声をかけようとしたその時、二人が唇を重ねているのが見えた。
ボクは声を押し殺しながら、とっさに近くの塀の陰に隠れてしまう。
おそるおそる盗み見ると、二人は熱く抱擁を交わしながら、何度も唇を合わせていた。
……お酒の勢い? いや、違うよね。
あの二人の関係、そこまで進んでたんだ。
そう確信したボクは、これ以上見てはいけないと、忍び足でその場をあとにした。