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第14話 不安

 ローラとヴェルデがヴェルデの師匠の元を訪れる日の朝。その日を待ち侘びていたはずなのに、なぜかヴェルデは浮かない様子だ。




(ヴェルデ様、朝食の時からずっと様子がおかしいわ。ため息ばかりついているし、私の顔を見て何かを言いかけて、でもすぐにやめてしまう)




 体調でも悪いのだろうか。そうであれば今更行くのをやめたいと言い出せないのかもしれない。ヴェルデの師匠は隠居しているとはいえ、未だ魔法の研究には熱心で忙しい身のようだ。今日を逃せば次はいつ会えるかわからない。そう思って無理をしているのかもしれない。




「ヴェルデ様、もしかして体調がよろしくないのではありませんか?もしそうであれば、今日お師匠様の元へ伺うのはやめましょう。無理をして行くべきではありません」




 心配そうにヴェルデの顔を覗き込むと、ヴェルデはハッとした顔をして、静かに首を振った。




「違うんです。体調は別に悪くありません。勘違いさせてしまいましたね」


「では、一体どうなされたのですか?なんだかいつもと様子が違います」




 体調が悪いのでなければ安心だ。だが、では他の理由はなんなのだろうか。首を傾げて尋ねると、ヴェルデは苦々しい顔でローラを見つめた。




「……実は、ローラ様が師匠と会って、もしも師匠に恋をしてしまったらと思うと苦しくて」


「……はい?」




 全く予期しなかった言葉に、思わず素っ頓狂な声が出てしまう。




「師匠はこの国であり得ないほどの美貌をもつ魔術師です。その姿を見ただけで大抵の女性は虜になってしまう。師匠は来るもの拒まずな方なので、ローラ様がもし師匠の虜になってしまったらと思うと、耐えられない。だが俺ではきっとあの師匠には敵わないでしょう。ローラ様にかけられた魔法のことばかり考えていましたが、今になってものすごく心配になってしまいました」




 シャツの胸元をぎゅっと掴み、苦しそうにヴェルデが言う。まさか、そんなことを考えていただなんて、驚きのあまりローラは口をぽかんと開けたままだ。




「ええと、すみません、その、お師匠様は、ヴェルデ様よりも美しいのですか?ヴェルデ様は驚くほどの美貌の持ち主です。ヴェルデ様よりも美しい人間なんてこの国にいらっしゃるのですか?」




 混じり気のない純粋な瞳でローラがそう尋ねると、ヴェルデはその言葉にだんだんと顔が赤くなっていく。




「ローラ様、俺のことをそんな風に思ってくださっていたんですか?」


「はい、初めてお会いした時からそう思っていました。なんて美しい方なのだろうと」




 ティアール国の第一王子であるメイナードもかなりの美貌の持ち主だが、それに劣らぬほどの美貌を兼ね備えている。目覚めた時にメイナードとヴェルデという美しすぎる二人の顔があったことは、今考えればかなりの奇跡だったとローラは思った。




 ローラの言葉を聞いて、ヴェルデは真っ赤になった顔を片手で隠すようにして覆う。昨日は随分と妖艶でローラを翻弄するほどだったが、今日は打って変わって随分と可愛らしい。その可愛らしさに、ローラはつい嬉しくなってくすくすと笑ってしまった。




「どうして笑うんですか!」


「す、すみません、ですが、あまりにも可愛くて、つい」


「か、可愛いって……」




 不服そうにムッとするヴェルデだが、その態度すらもやはり可愛いと思えてしまう。現時点でヴェルデの年齢は二十七歳だと言っていた。ローラは二十二歳だが、百年も眠り続けていたので実際であれば百歳を有に超えている。生きてきた時代も違うため、ローラにとってヴェルデは歳上というよりも歳下という感覚になってしまうのだ。




「ヴェルデ様は優秀な方ですし、それだけの美貌の持ち主なのですから、きっと褒め慣れていらっしゃるのだとばかり思っていました。でも、そうやって照れてしまうなんて、新鮮でとても可愛らしいです」




 嬉しそうに微笑むローラを見て、今度こそヴェルデは不満げに表情を曇らせ、少し屈んでローラの顔の前に自分の顔を近づけた。




「俺がこうなってしまうのはローラ様だからです。他の人だったらこんな風にならない」




 美しい銀色の髪をふわりとなびかせ、アクアマリン色の澄んだ瞳でじっとローラを見る。その海のように深く美しい瞳に引き込まれてしまいそうで、ローラは胸が高鳴った。




(そういえば、さっきからヴェルデ様はご自分のことを俺、と呼んでいるわ)




 昨日も一瞬だけ俺と言っていたが、今日はずっと俺と言っている。今までの「私」ではなく「俺」という言葉を使うようになったヴェルデに気づき、ローラの胸はさらにドクンと大きく波打った。それに、口調も少しずつだが砕けている。その変化に気づいて身体中の血が回り、顔に熱が集中していくのがわかる。




「どうしました、あんなに俺のことを可愛いと言って余裕そうだったのに、今は顔が真っ赤ですよ?」




 フッと微笑むその顔はさっきまでの可愛らしい歳下の男の子のような顔ではなく、どう見ても歳上で色気のある男性の顔だ。あまりの恥ずかしさに目をそらしたいのに、どうしてもその顔から目が離せない。ローラは顔を赤らめながらヴェルデをじっと見つめていると、急に目の前が暗くなった。ローラはいつの間にかヴェルデに抱きしめられている。




「今はあなたの方が可愛らしいですよ。そんな可愛い顔で見つめられると、どうにかなってしまいそうだ」




 頭上で静かなため息が聞こえた。ヴェルデに抱きしめられるのは初めてではないが、やはり慣れることはできずどうしてもドキドキしてしまう。細く見える体は意外にもしっかりとした体つきで、男らしい。ヴェルデは中世的な顔立ちだがやはり男性なのだと思わさせられて、余計にクラクラしてしまった。




「師匠の所に行くのは俺一人だけにしましょう。ローラ様を連れていくのはやっぱり心配です」




 抱きしめていたローラを静かに解放し、ヴェルデは決心したようにそう言った。




「で、でも私が一緒に行った方が知りたいことについてより詳しく分かるのでしょう?私とヴェルデ様は婚約しています。まさか弟子の婚約者に何かをするようなことはないでしょうし」


「そうですが……いや、あの師匠ならわからないな」




 最後の方はブツブツと独り言のように言っている。話を聞くだけではどうやらとんでもないお方のようだとローラは戸惑ってしまった。




「本当に大丈夫ですか?師匠に惚れてしまうなんてことになったら、俺はあなたを連れて行ったことを後悔しても仕切れません」


「だ、大丈夫です。私はヴェルデ様の婚約者です。あなたとこの国で生きていくと決めたんですから、それを覆すことなど絶対にしません。あなたを裏切るようなことも絶対にしません。あなたに救ってもらったこの命をあなたのために全うすると、あなたの善意に応えると、そう決めたのですから」


「善意に応える……か」




 少し寂しげにヴェルデはつぶやいた。それは本心なのだが、いけないことだっただろうかとローラは不安になる。だが、ヴェルデはすぐにローラの顔を見て微笑んだ。




「わかりました。一緒に行きましょう。何があっても俺はローラ様のそばを離れません。……それに、俺がもっとローラ様の心を掴んで離さないようにすればいいだけだ」


「?」




 最後の言葉はローラには届かないほどの声だったのでローラは聞き返すようにヴェルデを見上げるが、ヴェルデは優しく微笑んで首を振った。




「なんでもありません。それでは、支度を済ませて行きましょう」











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