「ローラ様、……ローラ様!」
ヴェルデは周辺をくまなく見るが、ローラの姿はどこにもない。視界にはティアール国の第二王子、アンドレの姿が入るが、そこにもローラの姿はなかった。むしろ、アンドレも会場内が一時的に暗闇に包まれたことに驚いている様子だ。
(一体どういうことだ……第二王子は、囮か?目をくらますためにあえて第二王子をここへ連れてきた?)
アンドレの元へ話を聞きに行ったメイナードが戻って来る。
「ローラ様のことは何も知らないそうだ。……敵に謀はかられたられたようだな」
メイナードの言葉に、ヴェルデは血がにじみ出そうなほどの力で拳を握り締めた。
◇
(ハッ、ここは……?)
突然会場内が真っ暗になり、ローラは次の瞬間には見知らぬ場所にいた。どうやら庭園のようだ。
「気が付いたようですね」
背後から声がして思わず肩が震える。振り向くと、そこには見知らぬ男性が立っていた。銀色の短髪にモスグリーンの瞳。背が高く、一見細身だが、体つきはしっかりしてる。三十代後半から四十代前半といったところだろうか。みたところ、騎士のような姿をしている。
「あなたは……?それに、ここは?」
「はじめまして、ローラ様。私はティアール国のオーレアン公爵家のベリックと申します。ここは、王城のはずれにある庭園のひとつです。王城には庭園がいくつかありますが、ここの庭園はあまり人がこない」
なぜティアール国の公爵がこんな人気のない場所にローラと二人きりでいるのか。さきほどまでのメイナードたちの話を思い出してローラは身をこわばらせた。
「どういうおつもりですか?……アンドレ殿下はどちらに」
「あぁ、アンドレ様の差し金だと?ははは、まんまとこちらの企てにのってくださったわけだ。アンドレ様は関係ありませんよ。彼はただの目くらましです、何も知りません」
ベリックはさも面白いという顔であざけわらう。自国の第二王子を使うなどと大それたことを平気で行うこの男は、一体なんなのだろうか、あまりにも不気味でローラは寒気がする。
「あなたには私と一緒に我が国に戻ってきていただきたいのです。あなたをみすみすサイレーン国へ渡したメイナード殿下はおろかだと思いますよ。あなたを百年の眠りから目覚めた聖女としてあがめ、信仰心の強い人々の心を掌握すればいいものを」
ティアール国の一部の人間は信仰心が強い。昔ほどではないが教会の力は強く、政治に口を出すことも多いのだ。
「サイレーン国などにいてもあなたの良さは発揮できないでしょう。あなたのような美しく聡明な女性が聖女として存在することで平和ボケしきった国も立て直すことができる。 それに、どうせあの筆頭魔術師とも白い結婚なのでしょう。サイレーン国にいてもあの男の足手まといになるだけだ。あなたは魔法に特別秀でているわけでもない。あなたがあの男の側にいたところで何になる?私と一緒に国に戻った方があなたの居場所はありますよ」
ね?と微笑んでベリックは片手を差し出した。だが、ローラは首を振る。
「お断りします。私はヴェルデ様に救われました。私にできることはないかもしれませんが、それでもヴェルデ様の善意に残りの人生をかけてでもお答えしたいと思っています。ですから、あなたとティアール国へ行くことはできません」
「善意ねぇ。そんなものすぐに無くなるだろうに。考えてもみろ、あなたは百年も眠っていたんだ。百年前の時代遅れの女などすぐに飽きる、人の心は変わるものだ。今はあなたに対して好意的かもしれないが、すぐに飽きて捨てられるだけだぞ。それに、そもそもそれは善意なのか?」
突然口調が変わり、表情も冷ややかなものになる。そんなベリックの言葉に、ローラは一瞬ビクッと肩を震わせる。その一瞬を、ベリックは見逃さなかった。
「どうせあなたを目覚めさせてしまった後悔と責任からくるものだろう。あの男は償いたいだけだ。あなたはあの男を縛り付けているんだぞ。そんなものから早くあの男を開放してあげた方がいい、あの男のことを思うのであれば、それが一番いい方法なのではないのか?」
ヴ・ェ・ル・デ・を・開・放・し・て・あ・げ・た・ほ・う・が・い・い・。その言葉を聞いてローラは固まってしまう。そして茫然としたローラの前にいつの間にかベリックがいて、ローラの肩に手を置き、ローラの髪を静かに指ですいてから頬に手を滑らせた。
「それにしても噂通り美しい方だ。これで百年も経っているなんて信じられない。ふむ、そうだな……あの男をあきらめさせるために、既成事実を作ってしまうのも手か。他の男の手がついた女など、あの筆頭魔術師のことだ、気持ち悪がるだろうな」
ふふふと笑うベリックの瞳は、ギラギラとしてまるで獲物を食らおうとする獣のようだ。思わずローラが体を背けようとするが、ベリックは頬に滑らせていた手でローラの手首をつかみ、阻止する。
「は、離してください!」
「無駄だ、抵抗すればするほど煽っているようにしか感じないぞ」
にやりとしながらローラの肩をしっかりとつかみ、ローラの耳元に顔を近づけてそっと囁く。あまりにもねっとりとしたその声にローラは悪寒がした。さらに、ベリックはローラの耳をぺろりと舐める。
「ひっ!」
「おや、エルヴィン殿下とはこのような触れ合いはなさらなかったのですか?この様子だとあの筆頭魔術師ともまだのようだしなぁ。くくく、面白い。すぐにでも国に連れ帰って、思う存分可愛がってやりたいものだ」
ぎり、とローラの肩と手首をつかむ力が強くなる。今にも噛みついてきそうなほどのベリックの様子にローラは怯え、祈るように目を瞑った。
(ヴェルデ様……!)
「その汚い手を一刻も早くどけてローラ様から離れろ!」
「!!!」
声に気づいてローラが顔をあげると、視線の先には禍々しいほどの殺気を纏いベリックを睨みつけるヴェルデがいた。