王城の一室にヴェルデはローラを連れてきた。
(まぁ、なんて素敵なお部屋なのかしら……!)
ローラは目を輝かせて部屋を見渡す。キラキラと輝くシャンデリア、上質な家具や小物、ベッドは天蓋付きのキングサイズだ。これで来客用の部屋とは、さすがは王城だ。
さっきまでベリックに捕まり恐ろしい思いをしたというのに、ローラはなぜかそんなことさえも他人事のように思えてならない。突然の恐怖心と安堵感で混乱しているとはいえ、こうして部屋の豪華さにうつつをぬかしている自分はおかしいのではないかと思えてしまった。
「ローラ様、大丈夫ですか?」
百面相のように表情をころころ変えているローラを心配したのだろう、ヴェルデがローラの顔をそっと覗き込んだ。その瞳には不安と心配が混ざり、子犬のような垂れた耳さえ見えるかのようだ。
(私はまたヴェルデ様を心配させてしまったのだわ。私は、いつもヴェルデ様を縛り付けている……)
ヴェルデの表情をみてベリックに言われた一言が頭をかすみ、ローラの心は落ち込んだ。
「ローラ様、とりあえずソファに座りましょう」
そう言ってヴェルデはローラをソファへ座らせ、自分も隣に静かに座った。ソファに座ってからもずっとローラの手を優しく握っている。
「心配をかけてしまってすみません。先ほどまであんな目にあっていたのに、部屋の豪華さに感動してしまって……なんだか恥ずかしいですね」
ローラが苦笑すると、ヴェルデは静かに首をふる。
「いいえ、きっと感情の防衛本能でしょう。それに、ローラ様をあんな危ない目に合わせてしまったのは俺の落ち度でもあります。もっと周囲を警戒すべきだった。王城だからと気が緩んでいたのかもしれません、あんな一瞬でローラ様を奪われるだなんて……」
悔しそうに苦しそうにそう呟くヴェルデを見ながら、ローラはまた心が落ち込むのを感じる。
(私のことでそんなに苦しそうにしてほしくない。ヴェルデ様にはいつだって笑顔でいてほしいのに……私が側にいることでこんなにもヴェルデ様を苦しめてしまうのだわ)
ヴェルデを見ながらローラはどんどん気分が落ち込み、表情も暗くなっていく。顔を上げたヴェルデと目が合うと、ヴェルデが一瞬目を見開き、すぐに口を開いた。
「ローラ様、あの男に何か嫌なことをされたり言われたりしませんでしたか?」
そう聞かれた瞬間、ローラの肩がビクッと震える。
「……何かされたり、言われたんですね。教えてください。一体何があったのですか」
ヴェルデのローラの手を握る力が強くなる。
「だ、大丈夫です。大したことはありません。ヴェルデ様が心配するようなことは何も」
「だめです。ローラ様がよくても、知らないままでいるなんて俺は耐えられない。どんなことでもいいから、教えてほしい。俺たちは婚約してるんですよ」
話すまでこの手は離さないという気迫が伝わって来る。この様子では、ヴェルデは絶対に譲らないだろう。ローラは静かにため息をつくと、かすかに唇を震わせながら口を開いた。
「……手首と、肩を掴まれました」
「それから?」
「……髪の毛に触られて」
ヴェルデの表情が険しくなる。
「それから?」
「……頬を触られました」
「それから?」
ヴェルデの表情はどんどん険しくなり、声も低くなっていく。
「……耳を、舐められました」
突然カタカタカタ……と音がし始めると、部屋の中のありとあらゆるものが静かに揺れだした。
「じ、地震?」
ローラが慌てて周囲を見渡すと、揺れは次第に収まっていった。そして、ヴェルデは片手で顔を覆い、大きく息を吐く。
「すみません、揺れの原因は俺です。感情が、抑えられませんでした」
顔を上げてローラを見つめるヴェルデの顔は悲しそうだがその瞳は嫉妬にまみれている。あまりの気迫にローラが茫然としていると、ヴェルデはローラの両手を優しく掴みなおし、言った。
「それで、その後は?」
「そ、それだけです」
「本当に?」
「本当です」
ヴェルデの瞳を見つめ返し、ローラはしっかりした口調で告げる。それを聞いたヴェルデはうつむいてまた静かに大きく息を吐き、顔を上げてローラを見つめた。
「ローラ様、嫌な思いをさせてしまって本当に本当に申し訳ありませんでした」
「い、いえ、だからもう本当に大丈夫で……」
「ローラ様がよくても俺がだめです。こんなことなら手だけでなく舌も焦がし尽くしてやればよかった」
ローラに聞こえないほどの声でぶつぶつとヴェルデは呟いている。ヴェルデの尋常ではない様子にローラが戸惑っていると、ヴェルデはローラの方を向いてローラの両手を持ちあげた。
「ローラ様、今からあの男の嫌な記憶を、俺で上書きします。あなたの中に恐ろしい嫌な記憶など残しておきたくありません。あなたの中には、俺との幸せな記憶だけを残したい」
ヴェルデの言葉にローラは驚き、目を見張る。
(え?ヴェルデ様が上書き?どういうことかしら?)
突然の提案にローラが不思議そうにしていると、ヴェルデはローラの両手を自分の方に持ってきて顔を近づける。そして、静かに両手首にキスをし始めた。
(え、え、えええ!?)
ローラが驚きのあまり固まっていると、ヴェルデは顔を上げてローラをジッと見つめる。そしてローラの肩に手を置いて優しく愛おしそうに撫でながら、質問をした。
「髪と頬に触られたのはどっち側ですか」
「え、えっと、右?」
咄嗟に答えると、ヴェルデはローラの右側の髪の毛にそっと触れる。優しく髪をなでると、髪を一束とってそっと口づけた。そして、そのままローラの右頬に手を伸ばす。
(え、え?)
ローラはまだ固まったままだが、ヴェルデの手はローラの頬を優しく撫でる。そしてヴェルデは静かに顔を近づけてきた。ローラは驚きのあまり動けない。ヴェルデの美しいアメジスト色の瞳に射抜かれて目が離せなくなっている。ヴェルデは顔を頬に近づけると、頬へ静かにキスをした。
(え、ヴェルデ様に、キス、されてる?)
ローラの頬に伝わるヴェルデの唇の柔らかい感触。そしてヴェルデの静かな息遣いが頬をかすめて、今にも胸が張り裂けそうなほど心臓が激しく動いている。ローラはどんどん顔が熱くなっていくのを感じてくらくらしてしまった。
「耳も、右側ですか」
頬から唇が離れると、耳元でヴェルデがそっと囁く。その低く甘い声にローラは脳内を鈍器で殴られたかのように感じた。
「は、は、い……」
聞こえるか聞こえないかほどのか細い声でローラがなんとか答えると、ヴェルデはそのまま耳にかぷっとかぶりついた。
「……!」
思わずローラの体が震える。だが、そんなことはお構いなしにヴェルデは耳にキスを落とす。何度も何度も小さなキスをしてから、ヴェルデはゆっくりとローラから体を離した。
ローラは固まったまま顔を赤くしてヴェルデを見つめると、そこには恐ろしいほどの色気を纏い「男」の顔をした美しい魔術師が静かに微笑んでいた。