ローラの目の前には、恐ろしいほどの色気を纏い「男」の顔をした美しい魔術師が静かに微笑んでいる。今まで見たこともないその色気にあてられてローラはめまいがするほどだ。
(そ、そんな顔、あまりにも反則すぎる……!)
「ローラ様、これで嫌な記憶は無くなりましたか?」
微笑むヴェルデに見惚れていたが突然そう聞かれ、ローラはハッとする。ヴェルデにされたことがあまりにも刺激的すぎて、ベリックにされたことなどすっかり忘れてしまっていた。
「は、はい。あまりの衝撃で、すっかりどこかに消えて無くなりました……!」
「それならよかった」
嬉しそうに微笑むその顔は、さきほどまでの妖艶な顔ではなくいつものヴェルデに戻っていて、ローラは少しホッとする。
「あぁ、でも、嫌な記憶を無くすためとはいえ、急にあんなことをしてしまって申し訳ありません。ローラ様の気持ちも考えず……つい我を忘れそうになっていました」
すみません、とシュンとした顔でうなだれるヴェルデ。
「いえ、そんな!ヴェルデ様は私のことを思ってしてくださったのですし、それに……」
突然言いよどむローラを、ヴェルデは不思議そうな顔で見つめる。
「それに?」
「あ、あの、いえ、その、オーレアン興にされたときは嫌悪感と恐怖しかなかったのですが、ヴェルデ様にされたときは、その、なんといいますか、嫌な気持ちが全くなくて不思議だったのです」
顔をどんどん赤らめ、言葉もか細くなっていく。そんなローラの言葉に、ヴェルデは両手を顔に当ててうなり始めた。
「ヴェ、ヴェルデ様?」
「そんな顔でそんなこと言うのは反則です。どれだけ俺が我慢してると思ってるんだ……。堪えろ俺、堪えるんだ。理性理性理性理性理性」
ヴェルデはぶつぶつとまるで呪文でも唱えるかのように一人でつぶやいている。そして突然パシン!と自分の頬を自分で叩いた。
「!?」
驚きのあまりローラは唖然としてヴェルデを見つめる。だが、ヴェルデは何事もなかったかのように落ち着いた様子でローラを見つめる。
「だ、大丈夫ですか?」
「大丈夫です、理性を保つためなのでお気になさらないでください。そんなことより」
そう言って、ヴェルデはまた静かに優しくローラの両手を握った。
「あの男に何を言われたのですか」
ローラの肩がビクッと震えた。ヴェルデの静かで深い深いアクアマリン色の瞳がローラの心を射抜く。言われたことよりも先にされたことを言えばきっとごまかせると思ったのだが、結局何もごまかすことはできない。そうわかっているのに、ローラは言うのをためらってしまい、思わず視線をそらした。
「いえ……そんなことは……」
「ローラ様、目をそらさないでください。それでは嘘だとバレバレですよ」
(ヴェルデ様にはごまかしがきかないとわかっている。わかってはいるけれど、言ったとしたらきっとまたヴェルデ様を傷つけてしまう。そして、そんなことはないと否定されるのも目に見えているわ)
ヴ・ェ・ル・デ・を・開・放・し・て・あ・げ・た・ほ・う・が・い・い・。・
ベリックから言われたその一言が、ローラの心に重くのしかかる。
自分はヴェルデを縛りつけているつもりはない。それにヴェルデもそんなことはない、と全力で訴えてくるだろうし、もちろんわかっているつもりだ。だが、それでもローラにはベリックの言葉がまるで呪いのようにまとわりつくのだ。
口を開き、何かを言おうとするがまた閉じる。そんな仕草を何度もするローラを見て、ヴェルデは眉をしかめて言った。
「ローラ様にとってそんなにも言いづらいことなのですね。でしたら、魔法で強制的に吐かせることもできます。どうしますか?」
ヴェルデの言葉にローラは驚き目を見張る。
「俺はできればそんなことはしたくありません。ローラ様の意志でローラ様の口からちゃんと聞きたい。そのためならいつまででも待つつもりです」
ヴェルデの強い思いが感じられ、ローラは胸が苦しくなる。言うべきだ、言うべきなのだとローラは自分に言い聞かせた。ヴェルデはきっと本当にいつまでも待ってくれるだろう。だが、今言わないときっとずるずると先延ばしにしてしまう。そして、先延ばしにすればするほど、ローラは言いずらくなるであろうことをわかっていた。
ローラはほうっと大きく息を吐く。きゅっとヴェルデの手を握り、ローラは意を決したようにヴェルデを見た。
「オーレアン興は、ヴェルデ様の行いはどうせ私を目覚めさせてしまった後悔と責任からくるものだ、私がヴェルデ様の側にいることでヴェルデ様を縛り付けているのだから早く開放してあげた方がいい、ヴェルデ様のことを思うのであればそれが一番いい方法だ、と」
ローラの言葉を聞きながら、ヴェルデの顔はどんどん曇っていく。そしてローラの手を握る力も強くなっていた。今すぐにでも否定したくて仕方ないのに、なんとか堪えているのが見てわかるほどだ。
「……ローラ様はそれを聞いて、どう思われたのですか」
「私は……私も、そうかもしれないと思いました。私がいることでヴェルデ様を縛り付けてしまっている。だとしたら、私はヴェルデ様の側にいるべきではない、ヴェルデ様を開放してあげるべきだと」
震える声で、ローラはひとつひとつ言葉を紡いでいく。それを聞いたヴェルデはうつむき、大きく息を吐いた。
「……してわかってくれないんだ」
ぼそり、とヴェルデが呟く。
「どうして、どうしてわかってくれないんですか。俺は何度も言いましたよね。俺がローラ様と一緒にいるのは責任からでも後悔からでもない、負い目を感じているわけでもない。あなたのことをずっとずっと思っているからだと。俺が俺の意志であなたの側にいるんです。あなたと一緒に生きていきたいんですよ。どうしてわかってくれないんだ」
苦し気に、声を荒げないよう必死でこらえながらもヴェルデは賢明に訴えかける。ローラを見るその瞳は悲しさと怒りを含んで切なげに揺れている。そんなヴェルデを見てローラの胸は張り裂けそうになった。
「……わかっているんです。ヴェルデ様は責任からでも後悔からでもなく、ただ私のことを思って一緒にいてくれることも、私の居場所を作ってくださったことも」
「だったら!」
「でも、それでも、私はどうしてもオーレアン興に言われた言葉が胸にひっかかるのです。私のせいで、ヴェルデ様はご自分の夢を、寿命を延ばしてまで魔法の研究を続けるということを諦めてしまった。それにそもしかしたら今後ヴェルデ様にふさわしい素敵な女性が現れるかもしれない。その時、私という存在が足かせとなってしまうとしたら、嫌なのです。そして、私のせいでこうしてヴェルデ様は苦しい思いをしています。ヴェルデ様には笑っていてほしいのに、幸せでいてほしいのに、私のせいで苦しんで悲しんでいる。そんな思いはもうさせたくないのです」
もう二度とヴェルデを悲しませたり傷つけたくない。ローラにとってそれほどまでにヴェルデの存在は大きく膨らんでいる。
「私は、……私にとってヴェルデ様は、大切な存在です。私はきっと、……ヴェルデ様を、愛してしまった」
悲し気に微笑み、か細い声で言うローラの言葉を聞いたヴェルデは、両目を大きく見開いた。