俺は結果的に十人もの傭兵を見逃して解放してしまつた王国の連中に怒りを覚えた。
せっかく書き置きで宰相反逆の恐れありと残してきたのに!
俺が必死に書いた書き置きが無駄になったということだった。
俺が憤っていた時だ。俺は警戒心が少し緩んでいたのかもしれない。
「あれ、お前犬ころじゃないか?」
俺は後ろからいきなり声をかけられたのだ。
慌てて後ろを振り返ると、長屋で寝泊まりした破落戸の一人だった。
「おい、ベイル、犬ころがいるぞ」
「馬鹿言うな。あの犬ころは王女の犬だったじゃないか!」
「でも、ここにいるぞ!」
俺は慌てた。
捕まえようとする破落戸の親父の手から逃げ出す。
当然、ベイルらの前に体を晒すことになった。
「な、なんで王女の犬がここにいるんだ?」
「そんなの判るか」
「取りあえず、捕まえろ」
「そうだな」
男達が一斉に俺に向かってきたのだ。
俺は慌てた。
ベイルらがいなければ情報を掴むために、他の傭兵達に姿を見せればうまくいけばまた飼ってくれるかもしれないと思っていたのだが、ベイルらがいたのなら駄目だ。あの捕り物劇の後、カーラに抱きしめられた俺をベイル達は見ているのだ。
ここにいるのさえ知られたら、何故カーラの犬がここにいるのだ? と不審がられる。現実にそうなっていた。でも俺は、まさか宰相の手下が、王宮の地下牢の番人にまで及んでいるとは想像だにしていなかったのだ。
前回はベイルに捕まってしまった。絶対に今回は捕まる訳にはいかなかった。
俺はベイルに近づいてはいけないと思って、今度はブルーノに向かった。
ブルーノはまさか俺が自分に向かってくるとは思っていなかったみたいで、油断していたようだ。
「おい、犬ころ、待て!」
そう言って手を伸ばしてくれたが、遅い!
その時にはブルーノの股の間を走り抜けた。
だけど、今度はその横からベイルが近づいてきたのだ。
やばい。こいつは避けた方が良い。俺は逆に向かった。
しかし、その時に目の前の扉が開いたのだ。
げっ、後ろからはベイルが前は扉、左はブルーノだ。隙間は右の小屋の中しかない。
開けた男が驚いて俺達を見たが、その足の間を駆け抜けて、俺はやむを得ず、小屋の中に飛び込んだのだ。
これは下手したら、前回と同じパターンだ。
「おい、犬ころがそっちに行ったぞ」
「捕まえろ!」
ベイルとブルーノの声が後ろからする。
中にいる破落戸どもは元々俺も知っている者しかいなかった。
ノース帝国の奴らはまだ来ていないみたいだ。
俺を捕まえようとした破落戸達の足の間を駆け抜ける。
男達はまだ戸惑っているみたいだった。
俺は必死に出口を探した。
でも、扉は無く、窓も閉まっていた。
これはとてもやばい!
俺は走りながら飛び出せる隙間を探す。
でも、そんなものは元々ないのはよく知っていた。
後ろから男達が追いかけてきた。
二段ベッドの下を駆け抜ける。
「ギャッ」
一人の男が、ベッドの下にそのままの勢いで潜り込もうとして頭を打ってもがいていた。
俺は次のベッドの下に潜り込む。
これは本当にやばくなってきた。
「おい、ブルーノは向こうに回れ」
ベイルが指示してきた。
と言うことはベイルは後ろから俺を追っているみたいだ。
俺は、はあはあ息が上つていた。
でも、ここで捕まる訳にはいかなかった。今回捕まればおそらく宰相に突き出される。
この危機的状況をなんとしてもカーラに伝えなければいけないのだ。
俺はベッドの下で息を殺した。
向こうのベッドに足が見える。ブルーノの足だ。でも、向こうはベッドと壁の間の隙間が少ない。そちらに逃げたら捕まえられる可能性が高い。
それに向こうは足が六本、三人分見えた。
来た方を振り返ると足は二本だけだった。
ベイルだ。他にももっと後ろにいると思うが、まだ追いついていない。
こうなったらもう一か八かだ。
俺はベイルの足の間を駆け抜けることにしたのだ。
息を整える。
足がゆっくりと俺の隠れているベッドの側に来た。
今だ!
俺は飛び出したのだ。
ベイルの足下を駆け抜けようとした。
でも、ベイルが足を閉じてくれた。
そして、次の瞬間、俺を蹴飛ばそうとしてくれたのだ。
凄まじい蹴りだった。
まさか、ベイルが俺を蹴って来るとは思ってもいなかった。
俺は子犬だぞ!
ベイルの蹴りなんて受けたら下手したら死ぬのに!
なんて酷い奴だ!
でも、俺は獣人だ。幾ら子犬だといっても、運動神経は発達しているのだ。その蹴りをとっさに真横に飛んで躱した。
ベイルの足は下段のベッドの木枠を思いっきり蹴っていた、弁慶の泣き所だ。
「ギャッ」
ベイルは足を押さえてその場に倒れ込んだ。
ざまあみろだ!
俺は人間だったらそう叫んでいただろう。
俺はそのまま、出口に向かった。
「おい、捕まえろ」
痛さにのたうつベイルに変わってブルーノが叫んでくれた。
俺は捕まえようとする男達から逃れながら、入り口に向かう。
しかし、無情にも入り口は閉められていたのだ。
これはやばい。下手したらまた、ベイルが復活してくる。
今度は斬り殺されるかもしれない。この体でベイルの剣を避けられる自信は無かった。
くっそう、普通人間の状態の方が強い獣人なんてほとんどいないのだが。
俺は今くらい獣化が子犬だったことを後悔したことは無かった。
でも、神は俺を見捨てなかった。
「ベイル! ノース帝国の兵士達は5日後に到着するのが判ったぞ」
叫んで扉を開けて飛び込んできたのは護衛隊長のマドックだった。
俺はこれ幸いとその開いたドアから外に飛び出したのだ。
「マドックさん、犬だ!」
「犬だと」
マドックらが振り返った時は俺は林の中に飛び込んでいたのだった。