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第46話 ローレンツの決断

 ユフィアを見捨てるという考えがよぎって、つい足が遅れているユフィアの方を見てしまった。その顔は、とても不安そうに見える。瞳が揺れていて、わずかに潤んでいる。


 もちろん、ユフィアに演技ができるのは分かっているんだ。ここで俺が見捨てるという選択を避けるために、あるいは生き延びた後の俺を操作するために顔を作っている。その可能性だってある。


「ローレンツさん、別に置いていってもいいですよ。私が死んでしまえば、復讐も何もありませんから」


 ユフィアはこちらと目を合わせて、そんな事を言ってくる。どこか穏やかさを感じる笑顔で。


 アスカが敵を両断しているのが、視界の端に映る。おそらくは、俺が見捨てるという選択肢を頭に浮かべたことは、ユフィアには気づかれているのだろうな。まったく、優秀なことだ。


 ここで見捨てれば、きっと楽に逃げられるのだろう。そして、きっとユフィアは死ぬのだろう。なにせ、スタンはユフィアを恨んでいる様子だったからな。見逃す理由がないはずだ。


 ユフィアが死ねば、俺は裏切りに警戒しなくて済む。無理難題で試されずに済む。そんな誘惑も、頭をよぎる。


 だが、ユフィアの顔を見ていると、これまでの記憶が蘇ってくる。ともにいくつもの難局を乗り越えてきたこと。何度もユフィアに相談してきたこと。そしてなにより、ユフィアと過ごしてきた単なる日常ばかりが思い浮かんできた。


 一緒に食事をした。どうでもいいような話をした。笑顔を見てきた。からかわれもした。


 それに、ユフィアが俺に愛していると告げた言葉。それが何度も頭の中を反響する。少し恥ずかしげな顔で、そっと頬に触れながら語られたことだ。


 ユフィアが死んでしまえば、何もかもが終わってしまう。そう考えて、震えている俺に気がついた。間違いなく、いま窮地に陥っていることへの恐怖ではない。ユフィアともう話せないことが、二度と笑顔を見られないことが、そしてなにより、手の届かない遠くに行ってしまうことが何よりも恐ろしい。


 そう自覚して、思わず笑ってしまった。ユフィアは不思議そうな顔をして俺を見ている。もはや、俺はユフィアを見捨てることなどできない。離れることなどできない。


 分かっているんだ。ユフィアが毒婦であることなんて。俺だって、単なる玩具や道具として見られているだけなのだろう。それなのに、ユフィアへの情を捨てきれない。結局、俺はユフィアに溺れただけだ。そう理解したら、おかしくて仕方なかった。


 ユフィアの顔を、もう一度じっと見る。笑顔を向けられる。それで、俺の意思は固まった。ともに死ぬ未来が待っているのだとしても、ユフィアと生きるのだと。


 アスカの方を見ると、先程の敵が片付いたところだった。考え事に浸っていた割には、時間が経っていないように思える。アスカはこちらを向いて、とても楽しそうな笑顔で話しかけてきた。


「別に遅れても良い。私は、全部倒すだけ。でも、ローレンツ様は危なくなる」


 考え事をしていたことには、気づかれていたのだろう。まあ、ユフィアの方をじっと見ていたのだから当然だ。だが、俺のやるべきことは決まっている。俺達は絶対に生き延びる。それだけだ。


「行こう、ふたりとも。どうにかして逃げなくてはな。それで、スタンを討ち取らなくては」

「ありがとうございます、ローレンツさん。私を見捨てないでいてくれて」


 ユフィアは俺の手を握って、そう語る。ふわりと微笑む姿に、思わず見とれそうになった。だが、歯を食いしばって振り払う。ユフィアのことを考えるのは、終わった後だ。まずは、生き延びないと。


 そう考えて、アスカの先導のもと逃げていく。とはいえ、ユフィアの足が遅れている現状が消えるわけではない。何度も敵兵に行く手を阻まれ、追っ手もやってきて、その度にアスカは立ち止まって対処する。


 アスカは傷一つ追っていない。そして、息だって整ったままだ。だから、まだずっと戦えるのだろう。だが、アスカが限界を迎える前に、俺達が限界になるだろう。それが理解できた。つまり、今のままではジリ貧だ。


 このままでは、逃げ切れない。そう考えて、ユフィアの顔を見る。すると、目を合わせて頷かれた。俺に対する信頼を、強く感じたような気がした。


 そうして、策が思い浮かんだ。ただ逃げるだけでダメだというのなら、援軍を呼べば良い。そうだよな。待っていても死ぬだけなら、俺は進む。そうだ、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれだ。今の俺には、最も適切な言葉のはずだよな。そう信じて、アスカに指示を出す。


「アスカ! 建物を大きく破壊できるか!?」

「分かった。やる」


 その言葉と同時に、アスカはハルバードを後ろの壁に叩きつけた。そのまま、壁も天井も吹き飛んで、一気に後ろが崩壊する。


 狙っていなかったが、敵兵が巻き込まれていって、建物に埋まっていた。つまり、足止めも実現できたということだ。


 ただ、俺の意図としては、かなり大きな音と衝撃を出すことによって、スコラやミリアのような仲間が援軍として来てくれないかということだ。ここは王宮なのだから、当然スコラもミリアも居る。そして彼女たちの配下も、ある程度は居るのだから。


 何より、反乱が起きているのだから、敵と戦っている存在は間違いなく居る。アスカのものだけではない戦闘音も聞こえているのだから。


 当然、味方だけでなく敵も俺達の行動に気づくだろう。だから、これから敵の攻撃は激しくなるはずだ。だが、一方からだけ敵がやってくることになるだろう。それを待ちながら、耐え凌ぐだけ。


 俺達が死ぬ前に味方が来れば勝ちだ。そして、間に合わなければ負けだ。単純な賭けだな。そう考えて、俺の頬がつり上がっているのが分かった。同時に、とても興奮していることも。


 命を賭けた博打だと言うのに、楽しくて仕方ないようだ。やはり俺も、ユフィアと同じ異常者なのかもしれない。ある意味、お似合いなのかもな。


 敵兵が駆け寄ってくる姿が見えて、アスカはまた笑った。そして、敵兵を切り飛ばしていく。


「もっと私を熱くさせて。もっと。もっと、もっと!」

「たったひとりなんだぞ! 後は兵士ですら無いのに! 来るな、来るな!」


 そう言っていた兵も、アスカに両断される。俺達は、アスカに守られるだけだ。ユフィアとともに、ただ見守るだけ。


 だが、俺はこの王宮で最も安全な場所にいると思えた。アスカがいる限り、敵兵は誰も通れないだろう。そんな感覚があった。


 建物の倒壊に巻き込まれないように、俺達は少しずつ進んでいく。


「アスカさんは、頼もしいですね。ローレンツさんの慧眼のおかげで、いま私達は生きているんですよ」

「ああ。終わったら、活躍に報いないとな。とはいえ、助けが来ないことにはどうにもならないだろうが」

「大丈夫。ローレンツ様は、私が守る。次の戦場も、用意してもらう」


 そう言いながら、アスカは敵をなぎ倒していく。誰一人として、かすり傷すら負わせることができない。圧倒的な力に、敵兵すらも怯えているようだった。


 ただ、逃げようとした敵兵に、すぐ側の敵兵が剣を突き立てる。そのまま、一部の兵が壁になっていった。


「敵前逃亡は許さぬ。スタン様の名を汚す愚か者に、生きている価値など無い」


 そんな言葉と同時に、敵の攻撃は激しさを増す。だが、アスカは笑顔のまま敵兵達を寄せ付けない。たった一度ハルバードを振り抜くだけで、10人も20人も引き裂かれる。


 祈りながら、アスカの戦いを見守る俺達。そんな中、遠くから誰かを呼ぶような声が聞こえた気がした。


 助けが来たのか、あるいは敵の大規模な増援なのか。俺達の命運は今の声に託されている。そんな感覚を覚えていた。

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