聞こえた叫び声に耳を集中させると、助けを求める声だった。声色からして、女の子だと思う。
人道を考えるなら、助けるべきなのだろうが。だが、それだけの余裕があるかは怪しい。俺とユフィアだけですら、アスカは手一杯になっている。そんな状況でもう一人を抱え込めば、さらなる苦境に追い込まれるだろう。
そうなると、見捨てるのが答えになりそうな気もする。心苦しくもあるのだが。そう考えながら、悲鳴の上がった方を見る。
すると、何人かの兵に守られた少女が居た。青い髪を横に結んだ、幼い印象の子。迫る敵を前に、涙ぐみながら不安げにしている。その顔を見て、誰だか分かった。サレンの妹だ。リネンという。
サレンは宮中伯で、毒を癒やす魔法を持っている。アスカの存在を考えれば、必ず味方にしたい存在だ。なにせ、アスカの強さを知った上で正面から戦おうとする人など、数えるほどしか居ないだろうから。そして、俺の敵は厄介な存在ばかりになるだろう。
だから、助けたい。打算まみれであることに、嫌になりそうではあるが。ただ、今リネンを抱え込めば、俺達の命は危うくなる。先の安全を買うか、今の安全を買うか。そうなってしまう。
少し悩んでいると、リネンがこちらを見た。そして、すがるかのように手を伸ばしてくる。
「アスカ、あの子を助けられるか!?」
つい、そんな言葉が出ていた。打算なのか、あるいは良心なのか。自分でも分からない。だが、アスカは動き出して、リネンの周りにいる敵を切り刻んでいった。そのスキに、リネンはこちらに駆け寄ってくる。
「ありがとう、お兄ちゃん! もうダメかと思っちゃった!」
そんな言葉とともに、抱きついてきた。動きづらいとは感じるが、助けると決めた以上は抱え込むべきだ。中途半端な行動をすれば、間違いなくすべてを失う。だから、助けるのなら全身全霊で。それしかない。
「しっかり捕まっていろ。はぐれたら、今度こそ助けられない」
「分かった! 絶対に離さないからね!」
「まったく、ローレンツさんはお人よしですね。今の状況が分かっているのでしょうか。でも、良いですよ。ローレンツさんに付き合ってあげます」
リネンは元気いっぱいにしがみついてきて、ユフィアは呆れたような笑顔で言っていた。その間にも、アスカは敵を討ち取り、リネンの護衛はだんだん倒れていく。
やはり、状況は良くないな。リネンを助けたことで、間違いなく負担は増えている。とはいえ、いま見捨ててしまえば、リネンの護衛だって敵に回るだろう。そして、目の前にいる敵だって嫌悪感を持つはずだ。だから、もはやリネンとは一蓮托生だ。
「お姉ちゃんとはぐれて、不安だったんだ。このままひとりで死んじゃうのかなって」
周囲で聞こえる戦闘音にも関わらず、リネンは俺のことだけを見ている。恐らくは、不安をまぎらわせているのだろう。俺にだけ集中していれば、言い方は悪いが現実逃避できるから。
だからこそ、俺はリネンとの会話を続けなくてはならない。リネンが状況を理解してしまえば、俺に抱きついたまま暴れかねない。そうなってしまえば、俺達は終わりだ。
とはいえ、アスカの対応が遅れ始めているのが見える。同時に、俺達の方に敵が近寄ってくるのも。幸い、剣を持った敵は少ない。前から分かっていたことだが、とにかく敵の装備は整っていない。
だから、数発殴られるくらいで済むのなら、なんとかなるかもしれない。剣だけは避けなくてはならないが。
一応、リネンの護衛だって俺を守ろうとしてくれている。正確には、俺に抱えられているリネンをだろうが。だからこそ、うまく連携すれば、時間稼ぎはできるだろう。そう考えて、リネンへの返事も用意する。
「大丈夫だ。俺が必ず守り抜いてみせる。サレンとだって、また会えるはずだ」
「お姉ちゃんを知っているの? やっぱり、お兄ちゃんは頼りになるね」
リネンはふにゃりと笑う。とりあえず、打ち解けられているみたいだ。視界の端に敵兵が映ったので、リネンを抱えつつ走る。もう片方の手で、ユフィアと手をつなぎながら。
戦場でなければ、ハーレム気分でも味わえたのだろうか。そんなどうでもいい考えも浮かんでしまう。ただ、剣を持っている敵兵が近づくのが見えた。
そこで、リネンを抱きしめて、ユフィアを後ろに隠す。そして、ギリギリまで伏せる。すると、振られた剣がかすめた。すぐにアスカが敵を切り飛ばしたが、敵兵はまだまだ居る。
「アスカ、いけるか?」
「私は問題ない。ただ、ちょっと逃がしてる。ごめん」
「助けてくれてありがとう、お兄ちゃん!」
「ええ。ローレンツさんのおかげで、命拾いしましたね」
アスカは無傷ではあるのだが、敵兵の多さに対応が遅れている。三方向から襲ってくる敵の二方向分を片付けている間に、残りが俺達の方に近づいてくる感じだな。
敵だってアスカの異常な強さは分かっている。だから、それを避けつつ俺達を狙ってくる。当然の戦術だ。だが、俺達にとっては悪い状況と言えるだろうな。
リネンは危機感を覚えていないかのような笑顔をしているが、そうでもしていないと不安で押しつぶされそうなのだろう。今の危険な状況を見ないようにして、少しでも安心しようとしている。そんなところだろうな。
ただ、恐怖のあまり暴走されるよりよほど良い。だから、俺のやるべきことはリネンの話に付き合うことでもある。それと同時に、アスカを避けてくる敵兵に対処しないといけない。
またこちらに剣を振り下ろす敵兵がいたが、今度はリネンの護衛が身を飛び出してかばってくれた。生暖かい液体の感触がして、そのまま護衛は倒れていく。ただ、敵兵はアスカが倒してくれた。
リネンの様子を見ると、血は被っていないようだ。とりあえず、悪くない。ハッキリと現状を認識させるものは、少しでも少ない方が良い。
きっと、後で護衛の死に悲しむのだろう。だが、それは後で良い。生き延びてから考えれば良い。今はとにかく、俺とユフィア、そしてリネンが生き延びることを優先すべきだ。
「そうだな、俺はサレンと仲良くしているつもりだ。合流できれば、助かるんだが」
「お姉ちゃん、今日は兵の訓練なんだって。それで待ってたら、急に怖い人達が……」
「ふむ。サレンさんが出ているスキを狙ったのでしょうか。彼女は猛将ですからね」
「そうだよ! お姉ちゃんはすごいんだもん! お姉ちゃんが来たら、こんな敵なんてやっつけちゃうんだから!」
ユフィアの言葉は、考察なのかリネンの機嫌を取るためのものなのか。いずれにせよ、リネンは落ち着いているように見える。この調子で、限界まで耐えていきたいところだ。
とはいえ、リネンの護衛もだんだん減っている。ひとりは集団に殴打され、ひとりは包丁を突き刺され、ひとりは剣を叩きつけられていた。
そんな中で、ユフィアに近寄ってくる敵兵がいた。そこでユフィアを隠すと、背中を殴られる。息が漏れ出て、体が折れ曲がりそうになる。だが、リネンを不安にさせないために、なんとか体勢を保つ。
アスカは健闘してくれているが、俺にはだんだん傷が増えていった。幸いなことに、ユフィアもリネンも無傷ではある。それだけが救いだといえた。
最後の護衛が倒れ、確かに追い詰められているのを感じたその時、声が聞こえた。
「殿下、いらっしゃいますか!?」
その声が福音なのかどうか、まだ分からない。だが、ここで敵が現れたのなら、俺の負けだろうな。ただ祈りながら、やってきた誰かを待っていた。