俺のもとに、女の声が届いた。殿下はどこに居るのかと。おそらくは、言い回しからして味方なのだろうとは思う。とはいえ、叫び声として聞くと、誰のものなのか判別できない。だから、敵の声である可能性も捨てきれない。
まあ、このまま待っていてもジリ貧なのは目に見えている。なら、賭けに出るべきだよな。確実に待っている未来の死と、生き残る可能性が待っている道。なら、後者を選ぶのが当然に決まっている。
アスカが敵を切り捨てる姿を見ながら、俺は全力で声を張り上げた。
「ローレンツ・ウィスタリア・デルフィはここに居るぞ! 王家の威光は、まだ潰れていない!」
仮に声が味方だったとしても、宣言した以上は敵も呼び込むことになるはずだ。それでも、進むしかない。ただ待っているだけでは、未来をつかめないのだから。
緊張しながらも様子をうかがっていると、続いて声が届いた。
「あなたのスコラが、すぐに向かいますわ! 待っていてくださいまし!」
なら、俺の味方に声が届いたというわけだ。後は単純だな。スコラがたどり着くまで俺達全員で生き延びることが勝利条件だ。なんとしても、勝つ。そう誓って、アスカに激を送る。
「頼んだぞ、スコラ、アスカ! 俺の命運は、お前達に預けた!」
「分かった。殿下のことは、私が守る」
「お任せくださいまし、殿下! 必ずや、わたくしがお救いしますわ!」
その声と同時に金属音や足音が激しくなり、こちらに向かう敵兵も増えてきた。アスカの手が回りきらないほどの量だ。とはいえ、アスカは大丈夫だろう。アスカに近寄った敵は、何もできずに切り裂かれているからな。
問題は、俺達だ。ユフィアとリネンという足手まといを抱えているのだから。俺ひとりだけなら、もう少し楽に逃げられただろう。
ただ、ここで見捨てる選択肢はない。ユフィアの死に、きっと俺は耐えられない。そして、リネンを失ってしまえば、サレンの心は遠くなるだろう。それに、さっきまで話していた子に死んでほしくない。
もう、俺にとってリネンは同じ釜の飯を食った仲間同然だ。いや、食事など一度もしていないのだが。同じ敵から逃げ続けたのだから、連帯感は相当ある。
それに、かなり良い子だからな。絶対に俺の邪魔をしないように、気を使ってくれていた。子供だからこそ、よく分かる。命がけの状況で、ただ俺に抱きついているだけ。それがどれほど大変かなんて、考えるまでもない。
だから、何が何でもみんなで生き延びてみせる。そう誓って、近寄る敵に対処していく。
ユフィアに向けて剣を振り下ろす敵を突き飛ばし、リネンに殴りかかろうとする敵からかばい、そして俺を殴ろうとしてくる敵からは逃げる。
その度に、俺の体には傷が増えていく。額が切れているのか、血が目に入った。息をするだけでも痛みを感じる。ただ足を踏み込むだけのことに、息を吸って覚悟をしなければならない。
リネンは不安そうに俺に抱きつく力を強めた。ほんの少しだけリネンと目を合わせて、笑顔を向ける。俺は大丈夫だと告げるかのように。
ただ、まだスコラはやってこない。当たり前だ。俺を囲んでいる敵をすべて討ち果たさなくては、どうやっても俺のもとにはたどり着けないのだから。
あまつさえ、俺の声が呼び込んだ敵が増えていく。アスカが無傷であることだけが、唯一の救いではあった。アスカが倒れた時点で、俺達は終わりだからな。とはいえ、良い状況とはとても言えない。
アスカを避けてこちらに近寄ってくる敵は、何度も何度も俺達を攻撃してくる。
「いい加減に死ね、この毒婦め!」
そんな事を言いながらユフィアを狙う敵に、俺は肩からぶつかっていく。そんな俺を見て、ユフィアは笑いかけてくる。それだけのことで、痛みに耐えるだけの力が湧いてきた気がした。
「ローレンツさん、ありがとうございます。必ず、一緒に生きましょう。そして、あなたは本当の王になるんです」
「お兄ちゃん、負けないで! あたしも、頑張るから!」
「もちろんだ。ここまで来て、終わってたまるか。どんなことをしても、生きてやるさ」
そう言いながら、敵の攻撃に対処していく。すると、突然倒れる敵がいた。しかも、俺のすぐそばに。ただ何かを振り払っている敵もいる。そのおかげで、だいぶ楽になった。
俺はユフィアやリネンを守りつつ、倒れる敵を壁にしながら立ち回る。そうしている中で、あることに気がついた。リネンが敵の方を見ている。そして、少しだけ俺に抱きつく手を動かしている。
つまり、何らかの魔法を使っているのだろう。そう気づいた時、俺の心が熱くなるのを感じた。
ついさっきまで、リネンは敵に怯えるだけだった。そんな状況で、俺を助けるために勇気を振り絞ってくれた。それに応えないなんて、男じゃないよな。いや、単なる人でなしだ。
「いくぞ、リネン。俺達は絶対に勝つ。そうしたら、美味しい食事でもしような」
「うん! お兄ちゃんとなら、絶対に楽しいよ」
「あらあら、妬いてしまいそうですね。でも、リネンさんにも感謝しないと。ね、ローレンツさん」
ユフィアはリネンにも微笑みかけている。その様子を見て、また勇気が湧いてきた気がする。そうだな。この場にいるみんなで、楽しい時間を過ごしたいものだ。
アスカの様子を見ると、鎧を着込んだ兵を両断しているのが見えた。先程までは、ただの軽装の敵ばかりだった。つまり、本命に近い部隊が近寄ってきている。
流石に、鎧まで着た的に対抗する手段はない。そんな焦りを抱えながら、俺は動揺を表に出さないように心がけた。俺が揺らいでしまえば、リネンにだってアスカにだって影響が出るだろう。そして、俺達は負ける。
だからこそ、どれほど苦しくても耐え続けるだけだ。おそらくは、骨が何本か折れている。そんな感覚を抱えながら、俺は動き続けた。
リネンも頑張って魔法を使ってくれている。敵の様子を見ていると、針のようなものが刺さったのが見えた。つまり、リネンの魔法は針を飛ばすようなものなのだろうな。
ということは、敵の動きをじっと見ていることになる。殴りかかってくる敵も、切りかかってくる敵も。リネンの気持ちが伝わってくるようで、思わず涙すら出そうだった。本当に流してしまえば俺の動きが鈍るから、耐えるだけだったが。
「もう少し、もう少しですわ! 殿下、頑張ってくださいまし!」
その言葉を聞いて、俺は最後の力を振り絞ると決めた。ユフィアもリネンも守って、無事にみんなで生き延びるために。
「アスカ、思いっきりやれ! こっちのことは構うな!」
そう指示したら、アスカは敵の方に突っ込んでいった。そのまま、敵兵達はぐちゃぐちゃになっていく。アスカへの指示の意図は、単純だ。少しでもスコラがこちらに近寄りやすくするためだな。
ただ、敵兵がこちらに漏れてくることもあった。本来ならば苦戦していたのだろうが、先程までと同じ程度の苦しみで済んでいる。間違いなく、リネンのおかげだ。
これでいける。そう考えた頃、俺のところに声が届いた。
「嫌ですっ! 来ないでくださいっ!」
声の方を向くと、マルティナが居た。そして、敵兵に追い詰められている。どうしてここに。普通に考えれば、ここに居るなんておかしい。そんな疑問を考える間もなく、俺は決断を迫られることになる。
マルティナを助けるべきかどうか。現状、俺のところにいる敵はほとんど倒れた。スコラも目の前に見えている。敵の攻撃を受けつつも、それを意にも介さずに切り捨てている。だから、マルティナを見捨てれば確実に助かるだろう。
だが、俺は配下を見捨てたという十字架を背負うことになる。罪の意識としても、評判としても。
止まったように感じる世界の中で、周囲の状況を整理する。ユフィアとリネンに襲いかかる敵はもう居ない。そして、マルティナは剣を振り下ろそうとされている。最後に、スコラは目と鼻の先だ。
そこまで考えて、俺はリネンを慎重に置いて駆け出した。そのまま、剣を振り下ろす敵からマルティナをかばう。
背中を焼かれたかのような苦しみを味わいながら、俺は最後の賭けに勝てるように祈っていた。俺の命が尽きる前にスコラの魔法によって癒やされれば勝ち。間に合わなければ負け。
結果を確認することなく、俺の意識は薄れていった。
「嫌! 死なないで!」
誰のものかも判別できない声が、最後に聞こえたような気がした。