「……んか、殿下、起きてくださいまし。あなたの傷は、もうありませんわ」
そんな言葉が聞こえてくる。ふわふわとまどろみながら、誰の声なのか考えていた。
確か俺は、マルティナをかばって切られたはずだ。つまり、声が聞こえるということは、賭けに勝ったということなのだろう。
そう考えると、状況が見えてきた気がする。俺は誰かに起こされているのだな。
ゆっくりと目を開くと、ぼやけた顔が目に入る。そして、肩を揺すられた。
「目覚めたのですわね、殿下。あなたのスコラは、ここにおりますわ。安心してくださいまし」
「スコラ……? そうか、助けてくれたんだな……。そうだ、みんなは……」
「みんな、無事ですよっ。私も、ローレンツ様のおかげで助かりましたっ。ありがとうございますっ」
ようやく声や顔がハッキリしてきた。スコラは俺を膝枕しているようだ。安心できるような暖かさが、頭から伝わってきていた。起き上がって周りを見回すと、まずマルティナが見える。そして、アスカやリネン、そしてユフィアの顔が見えた。
みんな、こちらに笑顔を向けてくれている。まだ少し、血の匂いはする。死体も転がっている。だが、状況から考えるに、もう終わったのだろうな。戦闘音は、聞こえてこないのだし。
おそらく、スタンは討たれたのだろう。そうでなくても、捕らえられているはずだ。
まあ、スタンがどうなったのかの確認は後でいいか。少なくとも、危機的状況は去ったのだから。
「そうか、みんな無事だったんだな。良かった……。そうだ、みんなは痛くはないか?」
「お兄ちゃんが一番痛そうだよ! リネンはへっちゃら!」
「私も問題ない。楽しい戦いだった」
「ローレンツさんのおかげで、私も無事ですよ。あなたには、感謝しなければいけませんね」
そう言って、ユフィアはこちらの手を握ってくる。その瞬間の優しい笑顔は、とても印象に残った。愛おしいものを抱きしめるかのように、ユフィアは続けて俺の両手を抱えてきた。そして、胸のあたりに持っていかれる。
手の暖かさが伝わってきて、ようやく安心できた。ユフィアは生きている。そしてみんなも、俺も。ちゃんと、勝てたんだ。その実感が強く伝わってきて、思わず息をついてしまう。
ユフィアには、きっと俺を魅了するような意図があるのだろう。だが、もう関係ない。俺はユフィアと一緒に生き延びるだけだ。もう、迷わない。
きっと、ユフィアと本当の意味で仲間になってみせる。ユフィアに頼られる男になってみせる。それで良いんだ。
「ありがとう、スコラ。アスカ。みんなも。おかげで、俺達は生き延びることができた。決して、忘れることはないだろう」
「いえ、お気になさらず。殿下のしもべとして、当然のことですわ。これからも、わたくしを頼ってくださいまし」
そう言って、スコラは俺に微笑みかけてくる。きっと、打算だってあるのだろう。俺の権力を利用したいというのは、否定できないはずだ。それでも、スコラに対する感謝は本物だ。
俺は、スコラとも本気で仲良くしたい。手を取り合いたい。甘い考えではあるのだろう。それでも、目標とするところは決まった。これからも、頼っていこう。そして、スコラの力になろう。素直に、そう思えた。
「気にしないで。結局、ローレンツ様は守りきれなかった。でも、今度は守る」
アスカは俺のことをじっと見ながら、そう告げる。アスカの目には、決意が見えるようだった。俺が頷くと、アスカは胸元で拳を握る。そして、強く頷いた。
儀礼的な意味はない。それでも、アスカの誓いを感じられるようだった。きっと、信頼関係を築けているのだろう。そう信じられる。
これから先も、きっと近衛騎士として頼り続けるだろう。俺は守られるだけじゃなく、アスカに幸せを教えてやりたい。そうすれば、お互いにとっていい未来につながるはずだ。
「リネン、マルティナ。お前達を守れてよかった。これからも、よろしく頼む」
「お兄ちゃんも、元気で良かった! あたしの魔法も、役に立ったんだよね!」
リネンは弾けるような笑顔を見せてくれた。それだけでも、報われるような気持ちがある。最初は、サレンの妹として見ていた。だが、今は違う。リネンは、俺を助けるために、恐怖を乗り越えてくれた。そんな優しい子なんだ。
本当に、リネンを助けられて良かった。いい子だと知れて良かった。見捨てていたら、今の気持ちはない。間違いなく、今回の戦いで得た大きな成果だ。
俺はリネンを見ながら、自分が笑顔を浮かべているのを自覚した。きっと、優しい顔なはずだ。だって、リネンを見ていると穏やかな気持ちになれるのだから。
「ありがとう、リネン。お前の勇気は、俺の胸に刻みこまれているよ」
「うん! お兄ちゃんも、助けてくれてありがとう!」
「私も、助けてくれてありがとうございましたっ。本当は、見捨てられるんじゃないかと……」
マルティナは、少し下を見ながら複雑そうな顔をしている。胸のあたりを、ぎゅっと握りながら。恐らくは、俺を疑ったことに罪悪感を抱いているのだろう。だが、マルティナの不安は当たり前のことだと思う。
俺だって、同じ状況なら疑っていただろう。今回だって、スコラを心から信じていたかと言われれば、怪しい気がする。だが、それで良いんだ。人間というのは、お互いを疑いながら、それでも手を取り合うもの。それこそが、一番尊い気持ちなのだから。
もちろん、俺にだって打算はある。リネンを助けたのも、マルティナを助けたのも、未来を考えてのことだ。
リネンに関しては、彼女の姉であるサレンとの関係を見越していた。マルティナに対しては、部下を見捨てたことへの評判を気にしていた。それは否定できない。
だとしても、リネンやマルティナに感じている情だって本物なんだ。大切にしたい相手だと思っている。仲良くしたいと感じている。
俺達は、結局はどこかで疑い合っている。打算を持ち合っている。それでも、構わない。信じていく努力を欠かさなければ、それで。
「気にするな、マルティナ。命の危険があって、不安になるのは当然のことだ。悪いことなんかじゃない」
「ローレンツ様……。あなたは……」
こちらのことを、少し涙を浮かべながら見ている。何か、心に響いたのだろう。それで信頼関係を築けたらという打算だって、俺にはある。きっと、マルティナだって俺に対して何かを求めている。
だったら、少しずつお互いを理解し合っていけば良いんだ。俺達は、まだ出会ったばかり。本当の信頼なんて、できっこない。それでも、一歩ずつでも近づけたら。そう思う。
「そうだ、ローレンツさん。もう周囲に敵はいませんよ。安心してくださいね」
ユフィアは穏やかな笑みを浮かべて、こちらに告げてきた。俺は少し目を見開いた。正直に言えば、かなり驚いている。
だって、ヘタをしたらユフィアの魔法にたどり着かれかねない言葉だ。おそらくは、周囲の様子を魔法で見て探った上での言葉なのだろうし。何か、ユフィアの心境に変化があったのだろうか。
とはいえ、俺からユフィアの魔法をバラすのは問題外だ。ということで、当たり障りのない回答を心がける。
「そうだな。もう争っているような音は聞こえてこない。改めて、みんなありがとう。みんなのおかげで、この難局を乗り越えられたんだ」
誰もが笑顔を浮かべながら、こちらに頷いてくれた。それに満たされるような感覚はある。
とはいえ、被害状況を確認しないとな。この場に居ない人たちの無事も、確かめておきたい。そう考えて、俺は周囲を見回して、強く頷いたのだった。