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第54話 誘惑の華

 スコラに塩の販売権を一部渡すと決めて、その話に向かう。さて、スコラはどんな反応をするだろうな。喜んでもらえると、嬉しいのだが。


 なんだかんだで、スコラにも絆されている部分はあると思う。演技だとは分かっているが、ずっと好意的に接してきていたからな。とはいえ、油断はできない。スコラだって、利益にならないと判断すれば、俺を切るくらいのことはするのだろうから。


 緊張をごまかすために、手を握ったり開いたりしながらスコラの部屋へと向かっていく。ノックをすると、入室の許可が出た。そこで扉を開けると、スコラはこちらを振り向いた。


 そして、俺の顔を見た瞬間に華やかな笑顔を浮かべる。嬉しさがいっぱいだというように、胸の前で両手を合わせて。


 こういうことをされるから、好意を信じたくなってしまうんだよな。俺の弱いところだ。ということで、軽く歯を食いしばって耐える。


 さて、さっそく本題に入りたいところではあるが、挨拶も大事だからな。しっかりとこなしていこう。


「スコラ、こんにちはだな。今日もお前の顔が見られて嬉しいよ」

「わたくしも、殿下の顔を見られて嬉しいですわ。まるで色とりどりの花が飾られた庭園のように、わたくしの心は華やぐのです」


 こちらに一歩一歩近づいて、スコラは俺の手を取る。そして、手の甲にキスをした。大げさだとは思うのだが、気分が良くなることも否定できない。やはり、スコラの立ち回りは優秀だと感じるばかりだ。


 きっと、他の人にも同じようなことを言っているのだろう。にも関わらず、俺だけを特別扱いしているんじゃないかと思える瞬間がある。魔性の魅力というのは、こういうことなのだろうな。


 前世ではキャバクラにハマったりしていなかったが、きっと同じような心理なのだろう。スコラと話していると、自分が素晴らしい人になったように感じてしまうのだから。


 だが、ここで負けるわけにはいかない。スコラにだって、当然打算はある。金で済むキャバクラよりも、もっと危険だろう計算が渦巻いているはずだ。だからこそ、少しも気を抜けない。俺は後ろに隠した手を強く握って、平常心を保とうとした。


「そんなスコラに、この前のお礼をしたくてな。塩の販売権についてなのだが……」


 俺が最後まで言い切る前に、スコラは指で俺の唇を押さえる。そして、柔らかい笑顔で話しかけてきた。


「殿下。あなたはわたくしに何かを与える必要などありませんわ。ただ、わたくしに求めてくだされば良いのです」


 そのまま、スコラは俺の頬に手を添えてくる。顔どうしがとても近づいて、吐息すら感じそうなくらいだ。目の前に居ると、スコラが美人であることがよく分かる。


 輝くような長い金の髪に、柔らかそうな唇。通った鼻筋に、意思を感じるまっすぐな青い瞳。あらゆる部分が魅力的で、思わずつばを飲み込みそうなほど。


 とはいえ、素直に聞いていい話でもないだろうな。スコラは明確に俺を誘惑している。求めろという言葉も、なんとなく意図は分かる。おそらくは、俺がスコラに頼り切りになってしまえば、王宮で立場を拡大できるからだろう。


 何をするにも、スコラに任せる。そうなったのなら、事実的にはデルフィ王国をスコラが支配することになるのだから。まったくもって、恐ろしい話だ。


 だが、受けてしまえば俺は破滅するだろうな。おそらくは、ユフィアもミリアも敵に回す。そして、宮中伯にも失望されるはずだ。そうと分かっていて、乗ることはできない。


 俺は自分の尻をつねって、気を取り直す。そして、話を続けていく。


「だが、塩の販売権だぞ? 俺が取りやめると言ったら、どうするんだ? スコラだって、大きな利益を失うんだぞ」

「いいえ、殿下。わたくしの望みは、あなたに求められることですわ。頼れるしもべとして、女として。ねえ、殿下。どんな欲望でも、叶えてみせますわよ……?」


 キスしそうなほど、俺とスコラの顔は近づいている。きっと、スコラを抱きたいと言えば抱かせてくれるのだろう。そんな気がした。間違いなく打算はあるだろうが、スコラは本気だ。


 なぜそう感じたのかは分からない。スコラの瞳が潤んでいたからだろうか。あるいは、幸せそうな笑顔を浮かべていたからだろうか。どちらも、平気で演技で実行できる相手だろうに。


 スコラの目をじっと見て、唇を見て、思わず吸い込まれそうになった。そんな瞬間に、ユフィアの顔が思い浮かんだ。優しい笑顔で俺を撫でている姿。楽しげに俺を見ている姿。俺を試しながら、からかっている姿。


 きっと、ここでスコラの誘惑に負けたら、ユフィアは悲しむのだろう。そんな愚にもつかないような考えが、そっと俺を押し留めた。


 スコラの両肩を抑えて、俺は言葉を紡いでいく。本心と打算を交えながら。


「なあ、スコラ。お前はきっと、俺の望みを叶えてくれるのだろうな。だが、俺は誰かに助けられるだけの弱い男になりたくないんだ。スコラが胸を張って理想の主だと言える存在になりたいんだ」

「そのようなこと……。殿下はすでに、わたくしの理想の主ですわ。それとも、わたくしは魅力的ではありませんか……?」


 俺の胸元に両手を当てて、そのまま胸に頬を押し当ててきた。軽く瞳が揺れているのが見えて、スコラの言葉を否定したいと感じている俺が居た。


 だが、安易にスコラを受け入れてしまえば、俺は誰にも顔向けできない。ユフィアの顔をまっすぐに見られない。そんな予感があった。


 とはいえ、今スコラを完全に否定するのも問題だ。スコラの手助けを得なければ、俺は王族としてやっていけないのだから。打算まみれで、嫌になりそうになる。


 本音のところでは、ただスコラと友人になれるのが、何より一番の理想なのだが。ただ手を取り合うだけの関係になれれば、どれほど良いことか。ただ、そんな未来は絶対に訪れない。分かっているからこそ、立ち止まれない。


 俺はスコラをまっすぐに見ながら、言葉を続けていく。少しでも、信頼を稼げるように。


「スコラが魅力的だからこそ、俺だってスコラにふさわしい男になりたいんだ。その心を、どうか認めてほしい。塩の販売権は、俺の気持ちだ。どうか、受け取ってくれ」


 そう言って、深く頭を下げた。スコラは曖昧な笑顔を浮かべて、こちらにひざまずく。


「殿下のお心、しかと受け止めましたわ。ありがたく、受け取らせていただきます。これからもずっと、このスコラは殿下の忠実なしもべ。忘れないでくださいまし」


 おそらくは、スコラは不満なのだろうな。誘惑が通じなかったという事実があるのだから。それでも、俺は引けない。スコラだけにすべてを委ねた未来に、希望はないのだろうから。


 とはいえ、スコラを信じたい気持ちは本物だ。それが少しでも伝わるように、笑顔でスコラに話していく。


「もちろんだ。スコラには、これからも頼らせてもらうよ。お前になら、俺の命を預けられる」

「ねえ、殿下。あなたの心の奥底にいる相手から、わたくしはあなたを奪ってみせますわ。期待していてくださいまし」


 そう言って、スコラは華やかに微笑む。その目には、強い決意が見えるようだった。俺の心にいる相手が誰か、当然気づかれているのだろうな。そう感じながらも、俺は強く頷いてスコラのもとから去っていく。


 扉を閉めた先から、ほんの少し声が届いた。


「これでも、ダメだというのですか……。殿下……」


 その声は、いつもより低く重い。ハッキリとは聞こえなかったが、直感した。強い情念が覗いたような心地を覚えながら。


 今日が俺とスコラの未来を大きく分けたのかもしれない。そんな予感を胸に、俺はスコラの部屋から去っていった。

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