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第55話 贈りたいもの

 とりあえず、スタンの件については、今すぐに実行するべきことは終わらせられたと思う。王宮の復旧に犠牲者の代替要員の補充、エルフの行動の監視など、色々と課題は残っているが。


 ただ、すぐに解決できる問題はもうないと言って良いだろう。いま残っている問題は、どれも時間をかけて解決するべきものだからな。


 ということで、周囲の人達との仲を深める時間にしようかと考えている。言い方を変えれば、媚を売る形だな。


 王都に出かけようか、あるいは宮中伯に会うか、他の人を選ぶか。自室で色々と考えていた。


 基本的には、俺がひとりになる時間はなくなった。アスカはほとんど俺のそばに居るし、身の回りの世話はマルティナが総括している。スタンの件もあって、俺の自由は少なくなったと言えるだろうな。まあ、理由は納得できるものだ。護衛にしろ世話役にしろ、絶対に必要だからな。


 ただ、落ち着かない心地もある。いつでも誰かの視線を感じているのは、どうにもきまりが悪い。いずれは慣れるだろうから、それまでの我慢だな。


 そんな中で、朝ご飯を食べた頃。マルティナが突然頭を下げてきた。とにかく深々と。正直に言って、困惑している。とはいえ、謝罪か何かだろうとは思う。まずは、話を聞いてみることにする。


「どうした、マルティナ。お前が俺に謝らなくちゃいけないことなんて、何かあったか?」

「いえ、お礼ですっ。ローレンツ様は、私のことを命がけで助けてくれましたっ。それを、ちゃんと言葉にしたくて。アスカさんも、ありがとうございましたっ」


 そう言って、マルティナはもう一度深く頭を下げる。感謝する気持ちは、まあ分かる。命を助けられたのだから、ある意味では当然だ。だからといって、俺から感謝すべきとは言えないが。勝手にやったことなのだから。


 ただ、しっかりお礼ができることは評価したい。まあ、本心では感謝していない可能性はあるのだが。それでも、礼の姿勢を示せるだけでも大きいことだ。


 打算でも本心だとしても、マルティナは信じて良い相手だと思える。打算だというのなら、しっかり立ち回りを身に着けている証だ。本心なら、善性を抱えている相手になる。


 さて、俺もちゃんと受け取らないとな。礼には礼をだ。大事にしていくべきことだよな。


「マルティナを助けられて、良かったよ。スコラには礼は伝えたか? 必要なら、場を用意するが」

「もちろん、お礼は言いましたっ。心ばかりの品物も渡しましたよっ。ローレンツ様も、受け取ってくださいっ」


 そう言って、マルティナはこちらに箱に入った何かを渡してくる。隣にいるアスカにも。箱を開けると、銀の杯、そしてブレスレットのようなものが入っていた。どうにも、意図が読めない組み合わせだ。


 アスカの方を見ると、同じく銀の杯、そしてかんざしのようなものがあった。ただ、俺の杯にはかなり凝った彫りが入っているが、アスカのものはシンプルと言って良い。まあ、立場を考えれば妥当ではあるのだが。王族と騎士が同じ食器を使っていれば、問題になりかねない。


 ただ、気になることがある。マルティナはユフィアに拾われていた孤児で、今は俺のメイドだ。いくら王族の側仕えとはいえ、銀を用意できるほどなのだろうか。


 とはいえ、質問するのもな。あまり踏み込みすぎても、怖い。まあ、ユフィアが用意したと考えれば納得できる話ではあるので、それで納得しておこう。


「ありがとう。これから、使わせてもらう。必ず、大事にするからな」

「戦いの邪魔にならないし、ちょうどいい」

「気に入っていただけたようで、何よりですっ。ローレンツ様のために、頑張って用意したんですよっ」


 淡々と告げるアスカに、明るい笑顔で返すマルティナ。対照的だが、雰囲気は悪くない。うまくやっていけそうだな。


 贈り物も、おそらくはユフィアあたりの伝手を利用して、俺が喜ぶものを選んだというあたりか。やはり、マルティナは気が回る子だな。とても優秀だというのが、見て取れる。


 やはり、信頼に値すると考えていいな。マルティナなら、妙な行動はしないだろう。仮に俺の命を狙うとしても、最適なタイミングを選ぼうとするはずだ。なんて、いくらなんでも命を狙ってくるとは思わないが。


 少なくとも、マルティナは訳の分からない行動なんてしない。そう信じられるのは間違いない。


 さて、せっかくの機会だから、俺もアスカにお礼を言っておくか。今は贈り物を用意できていないが、そのうちに渡したいな。マルティナの姿勢を見て、素直に感じたことだ。


 やはり、俺には未熟な部分もある。アスカだって、命がけで俺を助けてくれたんだ。それを軽んじるなんて、問題だったよな。信頼を失う行動をするところだった。だが、今のうちに気づけてよかった。


「俺からも、アスカに礼を言いたい。俺の命を助けてくれて、ありがとう。そして、これからも俺を支えてほしい。きっと、お前の幸せを導いてみせるから」

「別に良い。戦いを楽しめたから、それで十分。ローレンツ様は、ただ守られていれば良い」

「それでも、なるべくアスカの負担を減らしたい。うまい守られ方を、俺も身に着けてみせる」


 おそらくは、戦術面を学べば良いのだろうな。俺が戦おうとするのが論外なのは分かる。アスカが守りやすいように、全力を発揮しやすいように立ち回る。それが基本になるはずだ。


 後は、アスカの戦う理由になりたい。きっと、今のアスカは楽しいから戦っているだけ。だからこそ、なにか芯を持ってくれればと思う。おそらくは、アスカの強さにつながる。そう信じて行動するだけ。


「全力を出せるのなら、私も楽しい。ローレンツ様、期待している」


 そんな事を笑顔で言うアスカ。やはり、心に獣を飼っているのだろう。今のままなら、暴れ狂う猛獣になる未来だってあり得る。だからこそ、俺はアスカの枷になるべきなのだろうな。幸せを教えることで。


 少しずつ、アスカと触れ合っていこう。その日々が、アスカの心を侵食していくように。幸せという名の鎖を、身に着けさせる。


 やはり、俺はろくでもない存在なのだろうな。よく実感できてしまう。だが、俺は絶対に生き延びる。そのためになら、アスカの感情だって利用してやるさ。その先の未来でお互いが幸せになれるのなら、十分だろう。


「私も、ローレンツ様のために頑張りますねっ。夜伽だって、今なら……」


 頬を染めながら、マルティナはこちらを上目遣いで見ている。きっと、信頼してくれているのだろう。だからこそ、安易な行動はしたくない。少なくとも、性欲を発散する程度の目的にマルティナを使おうとは思わない。


 それに、女と結ばれることを考えたら、どうしてもユフィアの顔が頭に浮かんでしまう。その感情が整理できないままなら、俺はきっと結ばれた相手を不幸にする。だから、今はダメだな。


「マルティナ、お前の気持ちは嬉しい。だが、大丈夫だ。俺はお前を、ただの道具として扱いたくはない」

「ローレンツ様……。どうして、そこまで優しいんですか……? だから、私は……」


 そう言いながら、マルティナはうつむいていた。アスカは無表情でマルティナを見ている。


 ふたりの姿を見ながら、どこかで直感した。マルティナは、俺に何かを隠している。銀の件といい、今の反応といい。以前にミリアが妙な反応をしていたことも、符合する。


 ただ、急ぎすぎても良くない結果を招くような気がした。アスカの心にいる獣と合わせて、ゆっくりと解決していくべき問題なのだろう。


 そんな決意を込めて、俺はふたりに笑顔を向けた。俺が抱えている信頼が、少しでも伝わるように。

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