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第56話 期待の先

 ようやく、穏やかな日々が戻ってきたと言って良い。スタンの反乱による影響は、だいぶ落ち着いた。ほんの少しだけとはいえ、落ち着いた時間を過ごせている。


 ただ、平穏に浸っていては破滅が近づく。それは間違いない。王宮だってまだ直っていないし、民衆の政治に対する信頼だって失われているだろう。それに、スタンが死んだことへの影響も考えなくてはならない。エルフが動き出すのは、時間の問題だろうな。


 そして、周囲の人間関係にも気を配る必要がある。外にも内にも気をつけるべきことが多くて、うんざりしそうだ。


 ということで、いつものごとくユフィアに相談することにした。間違いなく、俺は周囲にユフィアの影響下にあると思われているだろう。何度も何度も話をしていて、気づかれないはずがないのだから。


 だとしても、俺はユフィアに頼るしかない。素人考えで解決するような問題など、ほとんどないのだから。最も頼れる専門家は、ユフィアなのだから。


 そんなこんなで、今日も俺はユフィアを部屋に招いた。いつも通りに、ユフィアは清楚な笑みを浮かべている。さて、何から話したものかな。できるだけ、期限が近そうなものからが良いが。


 とりあえず、人間関係の話からにするか。そこを失敗すれば、すぐに死にかねないのだから。


「なあ、ユフィア。マルティナがどんな秘密を抱えているか、お前は知っているのか?」

「あら、ローレンツさん。私に聞くのは、あなたの戦略からは外れていませんか?」


 そう言いながら、ユフィアは俺の隣に座ってきた。肩が触れ合うくらいに近く。なんとなく、ユフィアに俺への親しみを感じてしまう。そんな演技など、平気でできる相手だと知っているのに。


 ただ、いま気にかけるべきことはユフィアの発言だな。確かに、正しい。俺の戦術を考えれば、マルティナの信頼を稼いでから、直接聞くのが王道だろう。それは、分かる。


 というか、俺の戦略を平気で理解されている。何も語っていないはずなのに。まあ、それは良い。ユフィアに対して狙いを隠せると思うほど、俺は自信過剰じゃない。


 だが、何かが引っかかるんだよな。うまく言語化はできていないが。マルティナは、おそらく隠し事をしている。そして、ユフィアは内容を知っている。どうして、ユフィアは俺に隠している? そこまで考えて、違和感の正体に気がついた。


 おそらく、ユフィアの行動は全部つながっているんだ。マルティナを孤児として拾ったこと。そして俺のメイドに任命したこと。俺に対して、マルティナが隠し事をしていること。


 マルティナは、どうしてそんなに優しいのかと言った。つまり、俺のことを優しくないと思っていた事実がある。初対面の時から、とても懐いてくれていたにも関わらず。


 もうひとつ、気になることがある。それは、マルティナが銀の杯を用意できたという事実だ。ただの孤児に、銀の杯などどうして用意できるというのか。無論、ユフィアが用意したと考えることもできる。だが、メリットは何だ?


 マルティナに贈り物をさせたいのなら、つまりマルティナの立場を拡大したいことになる。そのために、銀の杯を用意できるほどの出費をしたという仮説になる。


 あるいは、マルティナが自力で銀の杯を用意した。だとすると、用意できるだけの財力を抱えていたことになる。大きな商人か、あるいは貴族かが妥当な出自だろう。にも関わらず、マルティナは孤児としてユフィアに助けられていた。


 どちらの仮説だとしても、分からないことばかりだ。マルティナの考えも、ユフィアの狙いも。少しでも情報を集めたくて、会話を続けることにした。


「マルティナ本人から聞くのが、王道だろうな。それは分かる。いや、そうだな。一つだけ教えてくれ。マルティナの隠し事は、俺に関係していることか?」


 そう言うと、ユフィアは口元に手を当てて笑った。とても楽しそうに。そして、こちらの頬に手を添えて、耳元でささやいてきた。


「正解、です。マルティナは、私と会う前から、ずっとローレンツさんのことを気にしていたみたいですよ」


 ささやき声に、なんとなく色気を感じてしまった。ただ、今は無視すべきだ。おそらく、ユフィアの言葉は嘘じゃない。嘘を付くのならば、もっと具体的な話をするだろう。その方が、うまく俺を騙せるはずだ。


 つまり、マルティナは俺に対して何かを狙っている。そして、ユフィアは計画を邪魔していない。だとすると、俺の命に危険はないのだろうか。


 いや、楽観視は避けるべきだ。ユフィアは平気で人を殺す人間だと知っているはずだ。俺が満足できる成果を出せないのなら、当たり前のように切り捨ててくるだろう。


 ただ、何も分からない。マルティナと俺に、何の関係があるというんだ。俺がローレンツになる前に出会っているのだとすれば、マルティナだってほのめかすはず。だから、孤児院で会った時が初対面だと考えて良いはずなんだ。


 今の情報だけでは、手詰まりだな。これ以上は、ユフィアかマルティナから聞き出すしかない。そして、今ユフィアに具体的な質問をしても、答えは返ってこないだろう。それどころか、失望される可能性まである。


 結論としては、マルティナと親しくなって聞き出すしかないだろうな。時間はかかるだろうが、仕方ない。


 なら、別の話に移ろう。さっきまでの話は、頭の片隅には置いておくべきではあるが。


「分かった。それで話は変わるが、当面の問題はエルフの対策と考えていいと思うか?」

「ええ、間違いないでしょうね。ところで、理由は分かりますか?」


 そう、問いかけられる。唇どうしが触れそうなほど近づきながら。スタンの事件があってから、更に距離が縮まった気がする。気のせいなのか、ユフィアが俺に好意を持ってくれているのか、あるいは何らかの策略なのか。


 きっと、ユフィアの意図には、まだたどり着けない。なら、今の質問にどう答えるかを考えていこう。俺に対するテストのようなものなのだろうから。


 エルフが脅威になるとすると、単純な答えはスタンという防波堤が失われたことが原因のはずだ。だが、そんな単純な答えをユフィアが求めるはずはない。なら、別の何か。


 そうだな。エルフの活動に関して、何かしらの情報を手に入れられたのだろう。それこそ、デルフィ王国への侵攻の準備を進めている証拠となるような。


 思いつくのは、兵の調練。だが、そんなことは誰でも分かるはずだ。もっと考えよう。戦争の準備となると、武器や食料、兵士の調達が必要になる。ああ、そういうことか。


「物流に、何か影響が出ているのか? エルフが妙に鉄を買っているとか」

「素晴らしいですね。さすがは、私のローレンツさんです。あなたの成長が見られて、嬉しいですよ」


 俺の手を握りながら、ユフィアはそっと微笑む。その姿に、俺の胸に温かいものが浮かんだ。今回ばかりは、認められたと思って良いのだろう。強い喜びが湧き上がってくるのを、確かに感じていたんだ。


 今度は俺の肩に頭を乗せてきた。恋人のような距離感に、思わずユフィアに触れたくなってしまった。だが、今は会話を続けるべき。そう考えて、首を振る。髪の毛が触れたのを感じて、どうしても気を引かれてしまった。今度は歯を食いしばって、言葉を紡ぐ。


「なあ、ユフィア。どこまで正解なんだ? ある程度は当たっているのだろうが」

「ふふっ、正解は、あなた自身で知るべきことですよ。ね、ローレンツさん。もっと、私の期待に応えてください」


 とても穏やかに、そう告げられた。これからも、ユフィアには試され続けるのだろう。だが、構わない。ユフィアの期待に応えられないのならば、どの道生き延びることなどできないのだから。


 なら、全力でやってやるだけだ。ユフィアが驚くくらいの成果を、見せてやろう。そんな気持ちを込めながら、返事をする。


「ああ。俺はユフィアの期待に応えてみせる。エルフの問題も乗り越えて、必ず生き延びような」

「もちろんです。私は、ローレンツさんの行く先を見たいですからね。私のために、頑張ってくださいね?」


 ユフィアの言葉に、俺は強く頷いた。仮にどんな思惑を抱えていたとしても良い。俺は必ず、ユフィアと生きてやる。そんな誓いを込めて、ユフィアの手をそっと握りしめた。

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