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第83話 そっと笑うもの

 俺たちは、敵陣に向けて忍び込もうとしている。見つかれば、間違いなく危険だと言える。それでも、勝つためには必要な策だと信じるだけだ。俺とイリスは転移を使う上で必須。アスカも、いざという時の護衛として着いてくることになった。


「さて、これを着るが良い。一兵卒のような姿だが、構わぬだろう?」


 ミリアは挑発するように、こちらを見ている。いまさらの話だ。たかがプライドなんかのために、命を捨てられるものかよ。当然、俺は一兵卒の衣装を着ていく。


 イリスやアスカも同じ姿になり、俺たちの準備は整った。後は、本番だけ。


「ローレンツよ。うちの転移には、限界がある。分かっておろう?」

「日に3度しか使えない。そして、見えない範囲への転移は危険が伴う。自陣に戻ることは、問題なくできるのか?」

「確実な空き部屋が有るのなら、じゃな。解決した問題とも言えるが」

「ローレンツ様の部屋には、誰も入れないで。ミリア、それで良い?」


 アスカの提案は、俺も考えたものだ。妥当なところだろうな。人が動く場所に転移してしまえば、事故が起こり得る。ならば、事故を防げるように行動するのが当然だ。


 失敗する可能性としては、敵軍が俺の私室にまで入り込むこと。まあ、想定するだけ無駄な状況だ。詰んでいるのと変わらないのだから。


「構わぬ。妾が厳命を出すゆえ、安心して向かうが良い」


 さて、最低限の備えはできた。さあ、覚悟を決めよう。スコラに勝つために、少しでも情報を集めてみせる。俺は拳を握りしめながら、イリスの方を見た。


「さて、では行くかの。心するが良い」


 その言葉と同時に、視界が歪んでいくのを感じる。エレベーターに乗った時のような感覚がひどくなっていき、ふらつくような気がした。


 数秒ほどして、別の場所に移っているのを感じた。近くに、陣地らしきものが見える。軽く観察してみたが、こっそり侵入することは難しそうだ。入口がいくつかに限定されており、その前には警備らしき兵がいる。


 陣地の壁を登ったりしたら、明らかにおかしい。狙われて終わりだろうな。巡回が居るのも見える。


 さて、あまり観察していては、疑われるだけだろう。ということで、まっすぐに入口に向けて進んでいった。


 その先には兵がおり、こちらをいぶかしげな目で見ている。とはいえ、どうにかして入り込みたい以上、どの道避けられないだろうな。良い機会だと思おう。


 失敗したら、できれば見えないところに隠れてから転移を使いたい。転移の魔法を俺たちが持っていると知られたら、確実に対策されるだろうからな。さて、まずは門番のような相手をごまかさなければ。


「どうした? 今は撤退命令は出ていないぞ? あんな魔法で苦しいのは分かるが、脱走兵はかばえないからな。戻ると良い」

「バーバラの魔法について、弱点が分かったんだ。それをスコラ様に報告しろと司令を受けてな」


 そう言って、相手の反応を待つ。さて、どう出てくるか。一応、本当に説明しろと言われてもできるだろう。とはいえ、味方の情報は売りたくない。できれば、ごまかされてくれるとありがたいのだが。


 相手は目をさまよわせながら考え込んでいる様子だ。少なくとも、ある程度は信憑性を持たせられたと考えて良い。だが、悩むということは、疑われてもいるのだろうな。なら、追撃するか。


「スコラ様のことだ。情報を手に入れる機会を逃したとなると、処刑だってあり得るでしょう?」

「分かってくれるか……。お前も、気をつけろよ。間違っても、失礼のないようにな」

「ああ、あなたこそ気をつけてくれ。あの方は、苛烈だからな」

「聞かれないようにな。俺は、胸に秘めておくつもりだが。しっかりやれよ」


 そう言って、相手は俺の肩を叩く。そのまま、俺たちは中へと入っていく。誰も彼もが忙しそうにしていた。資材を運んでいる者、何らかの相談をしている者、武器を持って駆け回っている者など。


 俺達も怪しまれないように、少し駆け足で移動する。キョロキョロと見回っていたら、確実に怪しまれるからな。


 ある程度外から見た段階で、スコラのいる本陣の場所に当たりをつけている。そこに向けて進みつつ、人の動きを見て修正していきたいところだ。


 しばらく歩いていると、明らかに誰もが避けている場所が目についた。そこから、重苦しい空気が漂っているように思える。


 そこに向けて歩いていっても、誰も俺たちの方を見ようとしなかった。よって、簡単に近づくことができた。


 人影も薄いので、なるべく見つからないように、中の様子を覗いていく。そこには、スコラともう一人の姿が目に入った。


 ふたりとも、何らかの集中をしている様子だ。おそらくは、魔法を使っているのだろう。そこで、もうひとりの顔を頭に刻んでいく。紫色の髪と目をした、キツめの顔をした美人。そんなところだった。


 本当に魔法を使っているのか、確認するべきか。そう考えていると、スコラがこちらを向いて、目が合う。そして、手招きをしてきた。


「いらっしゃいまし、殿下。わたくしが恋しくなったのですか?」


 そう言いながら、スコラは微笑んでいた。こちらには、アスカもいる。にも関わらず、優雅な態度を崩さない。余裕というものを見せつけられているようだった。


 撤退するか。そう考えたが、スコラの目の前で転移を使いたくない。結局、俺は指示に従うことにした。


「久しぶりだな、スコラ。元気そうで、何よりだよ。むしろ、元気すぎるくらいだ」

「殿下こそ、お変わりないようで。ふふっ、楽しくなってきましたわね」


 口元に手をあてながら、スコラは笑う。とてもきれいなはずなのに、俺は蛇に睨まれた蛙の心地になっていた。


 今の状況では、うかつな行動はできない。アスカは、以前にスコラを討ち取れなかった。じゃれあいとはいえだ。だから、今アスカに暴れさせても、効果は薄いだろう。


 おそらくは、紫髪の相手を狙っても同じだ。スコラがそばにいる以上、回復されて終わりに思える。


 成功する可能性だってある。だが、失敗すれば敵陣に孤立する。アスカとスコラが入り乱れるような形で戦闘になれば、イリスの転移が有効に使えるのかは怪しい。転移という手札を考えたとしても、安易な行動は取れない。そう結論付けた。


「まったく、どうやって気づいたんだ? やはり、誰も入り込めないように厳命を下していたのか?」

「分かっているではありませんか。さすが殿下ですわね。見事な立ち回りですわ」


 俺を見つけておいて、よく言うものだ。とりあえず、アスカとイリスが黙ってくれているのはありがたい。できることならば、ふたりについての情報は与えたくないからな。とはいえ、どうやって切り抜けたものか。


 転移で逃げてしまえば、間違いなく対策される。アスカに攻撃させれば、失敗した時に撤退できない。あるいは、アスカを見捨てる必要が出てくる。


 ここは、なんとか交渉で乗り切りたいところだ。どうするか。そう考えていると、スコラは笑みを深めた。そして、強く息を吸う。


「侵入者ですわ! なんとしても、捕らえなさい! ……ふふ、残念でしたわね?」


 その言葉と同時に、激しい足音が聞こえてきた。どうすれば逃げられるか。それを考えようとした段階で、視界が歪むのを感じた。


 気づいた時には、自室に戻っていた。イリスが判断して、転移してしまったのだろう。


 逃げられはしたものの、大きな課題がふたつも見つかってしまった。スコラに転移の存在が気づかれたこと。そして、イリスが完全にこちらに従うとは言い切れないことだ。


 重くのしかかるような不安が広がっていくのを、俺は確かに感じていた。

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