イリスが転移した先は、俺の指示した場所なのだろうか。それを判断するために、周囲を見回そうとする。だが、何かをする前に大きな動きを感じた。
「あっ、ぐっ……」
そんな声が聞こえてきたので、声の方を向く。すると、首が無くなっている女が見えた。近くに、アスカがハルバードを振り抜いているのが見える。そのまま、アスカはこちらへと戻ってきた。
「行くぞ、ローレンツ」
「待ちなさいな、殿下!」
イリスとスコラの声に反応する間もなく、また視界が歪む。浮遊感を味わって、少しだけ気持ち悪くなる。しばらくして視界がハッキリすると、自室の光景が見えた。
そして、ようやく状況に理解が追いついてきた。おそらく、イリスは指示通りに転移してくれたのだろう。スコラのいる本陣すぐそばに。明らかに人が寄り付かない場所だったから、転移事故のリスクは少ないと判断した。
転移した直後、誰かが反応する前の段階でアスカは動いた。俺の視界がまだ戻ってすらいないのに。その結果として、目的の相手であるカリナは討ち取れたのだろう。
つまり、俺が命を賭けた策は成功したはずだ。喜びの感情が、湧き上がってきた。少し震えて、笑みが浮かんでくる。
「よくやってくれた、ふたりとも……!」
「ローレンツ様に言われた通りに、頑張った」
「確実に、カリナとやらは殺せたはずじゃ。とはいえ、まだ油断はならん。最悪の場合は、影武者が控えていた可能性もある」
結果はすぐに分かるだろう。バーバラの戦況が好転するかどうかで。ただ、俺としては影武者だとは思えない。魔法というのは、基本的にはそう遠くに使えるものではない。ユフィアの魔法が特別な例外だと考えていい程度には。
スコラの魔法を拡散している以上、遠くまで飛ばしてはいる。だからこそ、他の制限はかなり厳しいはずだ。それこそ、触れられる距離に居なくてはならないとか。
イリスの転移だって、日に3度しか使えないという大きな制限がある。完全に万能な魔法なんて、存在するはずがないんだ。だから、スコラの側に居た以上は本人だったはずだ。
「一応聞いておくが、スコラとカリナ以外に、近くに誰かは居たか?」
「居なかった。だから、迷わず殺せた」
「ああ。うちも見かけておらん。なるほどの。確かに、成功したと思って良さそうじゃな」
ふたりの反応を見る限りでは、まあ問題はないと思う。とはいえ、実際に戦況を確認すべきではある。今の段階では、うかつなことを伝えるべき段階ではないだろうな。仮に回復魔法を潰せたと伝令を出して、ダメだったら。それが一番味方の被害を大きくするだろう。
スコラが俺に向けて待てと叫んでいたあたり、作戦はほぼ確実に成功したとは思うのだが。それでも、最悪に備えるのが大事だ。急いで伝令を出したとして、即座に戦況が好転するものでもあるまいし。
とにかく、今はバーバラの戦いを見守るべき場面だ。援軍を出せる準備をしつつ、待機しておくのが筋だろうな。
それと並行して、ミリアに報告しなくてはな。戦況の変化に応じて、ミリアの部隊も出すことになるだろう。ということで、俺は報告に向かう。その足が、浮足立っているのを感じながら。
会議を行う部屋に向かうと、ミリアは足を組みながら座っていた。いつも通りの姿に、少しだけ微笑ましさを感じる。
「ミリア、とりあえず、策は成功したと思う。勝負を決めるための準備をしておいてくれ」
「さすがは殿下よ。あれほどの策を実行できる人間は、他には居るまい」
鷹揚に頷きながら、ミリアは笑う。これまでの成果を感じられる会話だ。間違いなく、俺はミリアの信頼を大きく手に入れることができている。そう思えた。
スコラとの戦いは、できれば避けたかったことだ。それでも、悪いことばかりではない。ほんの少し、救われたような心地だった。
とはいえ、感慨に浸ってばかりもいられない。俺は即座に、次に向けて会話を続けていく。
「世辞はよせ。それよりも、戦況を注視しておいてくれ。良きにしろ悪しきにしろ、大きく流れは動き出すだろう」
「成功していたとて、スコラは次の策に打って出るものな? 殿下も、戦術が見えるようになってきたものよ。良い。妾に任せておけ」
そう言って、ミリアは立って歩き出す。おそらくは、指示を出しに向かったのだろう。去っていく後ろ姿を見ながら、俺は今後について考えていた。
少なくとも、今すぐに俺がやるべきことはない。イリスの転移は使い切った。そうである以上、あまり戦術的な活動はできない。
一応、アスカの運用という重要な役目もある。だが、スコラの動きに合わせてになるだろうな。先手を打って突撃させるのも、選択肢のひとつではあるだろう。だが、アスカにだって疲れはあるはず。それを考えると、少しでも休息させるのが手のはずだ。
「アスカ、まだ戦えるか?」
「問題ない。ローレンツ様を守るだけ」
淡々と語ってくる。その姿に、強い頼りがいを覚える。アスカなら、きっとどんな敵にも勝てるだろう。心から信じられた。
きっと、アスカをスカウトできたことは、俺の人生の中でも最大級の功績だろうな。アスカが居なければ、俺はすでに死んでいたはずだ。スタンの反乱では、護衛が居なかった。エルフ領での戦いでは、決め手に欠けていた。
だからこそ、俺はアスカになら命を預けられる。一緒に死ぬとしても、構わない。アスカでダメなら、他の誰にも勝てないのだろうから。
「ああ、頼む。アスカが守ってくれるのなら、安心だな」
「ローレンツ様が信じてくれるのなら、私は勝ちたい。だから、大丈夫」
そう言いながら、アスカは薄く微笑んだ。とてもキレイで、見とれてしまいそうなほど。目を吸い込まれそうな感覚があった。
この笑顔をまた見るためにも、必ず勝って帰らないとな。そんな意志を込めて、強く頷く。アスカも頷き返してくれた。
「さて、ローレンツよ。うちは休んでおるぞ。もう、何もできんのでな。なら、邪魔にならんようにせねばな」
「分かった。ゆっくり休んでくれ。ありがとう、イリス。お前のおかげで、俺は大きな一手を打てた」
「くくっ、礼を言うのはこちらよ。身を挺して庇われることなど、うちの生ではなかった。面白い感情を持たせてくれたこと、感謝するぞ」
口の端を釣り上げながら、イリスは去っていった。ひねくれているが、助けたことを感謝されたのだろう。それでイリスが俺に仕えてくれるのなら、十分な成果だと言えるだろう。
もしかしたら、俺の命を助けるために独断で転移魔法を使ったのかもな。答えは分からないが、そういうことにしておこう。
イリスが去り、俺が戦況を確認してしばらく。急いだ様子の伝令が、こちらにやってきた。
「報告を! スコラ軍、全兵卒がこちらに突撃しております! 予備隊も含めたすべてです!」
その報告を受けて、俺は急いで外の様子が見えるところに向かう。すると、スコラの軍は怒涛の勢いで攻めてきていた。最後尾には、勢いが足りない味方を切り捨てている部隊が見える。
つまり、スコラは玉砕覚悟で、こちらと雌雄を決するための一手を打ってきたのだ。先のことなど考えずに、この戦場だけにすべてをかけて。
このまま進めば、両軍ともに大きな被害を受けるだろう。最悪、俺の喉元に届くかもしれない。そんな予感を覚えながら、俺は攻めてくるスコラの動きを見ていた。