わたくしは、ローレンツ殿下に負けました。そこで、命を救われたのです。思わず、笑ってしまいそうになりました。どれほど甘いのかと。
ただ、わたくしを見る目に、確かな情を感じたのも事実です。少しくらいは、嬉しかったのでしょう。わたくしは、殿下に必要とされたかったのですから。わたくしだけを、考えていてほしかったのですから。
そんなわたくしは、特に拘束もされずに殿下の隣を歩いていきます。何度でも、甘いと思います。本来ならば、動けないほど拘束するものでしょうに。わたくしが寝込みを襲わないとは、言い切れないのですから。
「スコラがその気なら、あまり意味のない拘束だからな。歩くことすら封じるのなら、まだ手はあるが」
「殿下が運んでくださるのなら、剣で拘束してくださっても構いませんわよ……?」
そう言いながら抱きつくと、照れたように頬をそむけます。胸を当てているのですから、当然でしょうけれど。さすがに、武器を隠すことすらできない薄着にはさせられています。ですから、強く柔らかさを感じるのでしょうね。
「殿下の判断も、まあ悪くはないわ。ここであたしたちを殺しに動いても、勝ちの目は薄い。それが計算できないようには、見えないわね」
「少なくとも、妾たちに剣を向けたのは勝算あってのこと。結果としては妾たちが勝ったが、負ける可能性もあったのは事実よ」
「ローレンツ様は、私が守る。ついでに、他の人も。だから、構わない」
なんだかんだで、殿下は慕われているのです。わたくしとは違って。甘さを見せたら漬け込まれたのがわたくし。甘さを支えようとされるのが、殿下。本当に、差を感じるばかり。
今ならば、分かります。殿下は、わたくしを信じようとしていた。最初から、ずっと。信じられないと思いながら、それでも希望を持ち続けていたのです。逆の立場ならば、あり得なかった。
そして、わたくしは信頼を心地よく感じていたのです。自覚していないままに。だからこそ、殿下を奪われたくなかった。ユフィアもアスカも許せなかった。わたくしが欲しいものを、すでに持っていたから。結局は、つまらない嫉妬だったのです。
「わたくしは、決して殿下を裏切りませんわ。他の誰を裏切ったとしても。心から、誓います。我が名と魂と、恩にかけて。ね、殿下?」
微笑みかけると、複雑そうな表情をしています。疑念が心に残っているのでしょうね。仕方のないことです。
とはいえ、裏切る意味がないのです。一度離反した時点で、信頼など失われているのですから。もう一度裏切ったとして、誰が付いてくるというのでしょうか。殿下は、わたくしの命を救った恩人。既に仁義にもとる行動をしたわたくしが、どうして裏切れましょう。
利益を提示して付いてくる人間など、所詮はごろつき同然なのです。わたくしが不利になれば、ただ逃げ出すだけ。
ならばいっそ、わたくしは殿下にすべてを捧げましょう。身も心も、財も権力もすべて。そうすることで、頼られる道筋が生まれれば良いのです。
どれほど疑われようと、ただ殿下に尽くす。それこそが、わたくしの選ぶべき道。いずれ信頼を勝ち取れれば、文句なく勝利と言えるのですから。
「あたしたちは、裏切ってもいいってことかしらね?」
「殿下、お主はどう対応するのだ? くくっ、見ものであることよ」
「俺のために、俺の仲間は裏切ってくれるなよ。それこそが、俺の信頼に応えるということだ」
殿下は確かに甘い。それは、彼を知る誰もが否定できない事実でしょう。だとしても、決して引かぬ意志があるのです。そう。殿下は仲間を傷つけるものを許さない。そして、まっすぐに対応するのです。
わたくしは、仲間として認められていた。それに気づいてさえいれば、もっと効率的な手段もあったものを。歯噛みしそうになる心境を、笑顔で隠します。
結局のところ、わたくしはユフィアの手の上だったのでしょうね。裏切ることさえ、誘導されていた。そう思わざるを得ないのが実情。完全に、負けてしまいました。
だからこそ、わたくしは忠節を尽くすのです。殿下の周りは、彼を振り回そうとするものばかりなのですから。特別な立場を狙うのならば、少しも乱れてはいけない。私心なく、ただ真心を尽くす。それこそが、最も効率的な手段なのです。
「もちろんですわ、殿下。あなたがわたくしの持つすべてを接収しようとも、ただあなたのために」
そう。ベンニーア領を奪われようと、財貨を奪われようと、貞操を奪われようと。わたくしは、殿下のためだけに生きる。
殿下がわたくしを求めるのなら、何でも差し出すだけのこと。ただ、殿下はわたくしを最大限に活用するでしょうね。少なくとも、回復魔法は。わたくしからベンニーア領を引き剥がすとしても、アスカや殿下自身を癒せる存在がそばにいる価値は、計り知れませんもの。
そうと決まれば、後は行動するだけ。わたくしは、殿下の手を取って、甲に口づけをしました。誓いの証として。
「スコラ、お前の忠節を、俺だけは信じよう。俺が選んだ道なのだから。だが、次はない。俺以外が許さないことが、お前を死に追いやるだろうな」
「ふふっ、あたしが殺すかもしれないわね。あるいは、ユフィアかミリアか」
「私が許さない。ローレンツ様は、私が守る」
「くくっ、スコラには苦難が待っておるだろうな。楽しみに見ておるぞ」
殿下は、また何度でも裏切られるのでしょう。そのたびに、傷つくのでしょう。仮にわたくしが裏切れば、今度は許す選択を取れない。そして死んだわたくしを前に、嘆くのでしょうね。少なくとも、心の奥底で。まったく、可愛らしいことです。
きっと、殿下にはわたくしが必要なのです。殿下の甘さを理解し、それでも悪意をぶつけられる存在が。そう。わたくしが居なければ、殿下はダメになってしまうでしょうね。
ですから、わたくしが事前に潰しましょう。裏切りの兆候をつかみ、排除しましょう。殿下の情を奪い去りましょう。そうすることが、わたくしの生存戦略なのです。
「殿下。あなたはあなたの道を進んでくださいな。わたくしは、全霊をもって支えましょう」
間違いなく、本心からの言葉でした。殿下は、しっかりと頷きます。わたくしを信じるという決意を固めたのでしょう。
殿下には、わたくしを打ち破るだけの才覚がある。味方をそろえ、策略で上をいき、そして信頼を力にする。王として、素晴らしいことではありませんか。
だからこそ、わたくしの勝ち筋は決まっているのです。殿下の王道を支え、本物の王にする。その信頼を受けることが、最善なのです。
「無論、俺は俺の道を行く。他の誰にも命じられずに、俺が命じてみせよう。それでこそ、王というものだ」
「間違った指示なら、あたしに命じることはできないわよ」
「くくっ、命じるだけの力を、妾に示せるのか?」
「ローレンツ様の命令には、絶対に従う」
「さあ、殿下、わたくしにお命じくださいませ。あなたの道を、全力で支えよと」
そう言って、わたくしは殿下に微笑みかけました。
わたくしは殿下に尽くしましょう。愛しましょう。臣下として、女として、人として。わたくしのすべてをかけて、あなたを王に導きます。
ですから、わたくしを求めてくださいな。愛してくださいな。代わりに、あなたのすべてを満たして差し上げますわよ。
それこそが、わたくしの誓いです。ねえ、殿下。