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第93話 歪んだ想い

 マルティナは、俺にナイフを突きつけたまま問いかけようとしている。暗がりなので、ほとんど表情は見えない。なら、俺が情報を得るための手がかりは声だ。しっかりと、聞いていかないとな。


 そして、どんな質問が来るのかも考えないといけない。機嫌を損ねないような回答を心がけるべき。とはいえ、場合によっては賭けに出るべきだろう。ただ媚びるだけでは、道は開けない。これまでの経験で、思い知ったことだ。


「私の名前は、マルティナ・ペトラ。ペトラ家の嫡子です。もう取り潰されたんですけどね」


 ただ平坦に、マルティナは語る。ペトラ家なんて、聞いたこともない。ただ、これまでの疑問は解消できた。やけに所作が整っていたことや、銀の杯を用意できたこと。それらは、元貴族だったことによるのだろう。


 取り潰されたということは、何か問題があったのだろう。そして、俺に恨みか何かを持つきっかけになった。思い当たるのは、ユフィアだ。


 マルティナは、ユフィアの運営する孤児院に居た。つまり、俺に対する恨みを吹き込んだ可能性もある。あるいは、ユフィアがペトラ家を取り潰したのかもしれない。それを、俺のせいにしたとか。ハッキリ言って、考えたくない可能性ではある。だが、目をそらすのは論外だからな。


 ユフィアは、そういう手を取る人間だ。分かっていて、俺は共犯者としての道を選んだ。だから、あり得ることだ。いざという時に、俺を処分するための策として用意していたとか。


 さて、どう答えたものか。知らないと答えて、納得されるかどうか。そうだな。少しでも情報を引き出したい。なんとかしよう。俺は努めて穏やかに返事をした。


「俺のメイドをするのは、嫌だったのか? 屈辱だったのか? それなら、今からでも……」

「いえ。案外悪くありませんでしたよ。だから、まだ殺していないんです。ローレンツ様。あなたは、ペトラ家の取り潰しに関わっていますか?」


 悪くないという言葉には、感情がこもっていたように思える。少しだけ、声が揺れていたからな。なら、可能性はある。マルティナは、少なからず俺に情を抱いているはずだ。俺がユフィアやミリア、スコラを見捨てられないように。


 だが、回答を失敗すれば感情が爆発しかねない。なるべく、刺激しないような答えを。とはいえ、俺は本当に知らない。そこで嘘をついても、証拠を出せない。なら、事実を答えるべきだ。言葉選びで、どうにかすべきだな。


「なあ、マルティナ。俺は、お前の親を殺しておいて、それでもお前に笑いかけられるような人間だったか?」

「それは……。ローレンツ様は、私に……」


 声に迷いが見える。誠実に接していたのが、功を奏した形だな。やはり、周囲に優しくするという戦術は正しかった。俺個人としても、あまり横柄にしたくなかったとはいえ。


 マルティナが俺に抱かれようとした時に、無理はしないように止めた。魅力がないと笑われないように、うまく状況をごまかした。そのあたりが、今に生きている。なら今回は、情に訴えかける戦術が有効だろう。


 さて、どうやってこちらに流れを作るべきか。とりあえず、俺が真犯人ではないと信じてもらうか。


「俺は、つい最近まで何の実権も持っていなかったんだ。政治は、ずっと父がこなしていたはず」


 ユフィアの真実を明かすのは、おそらくは下策。孤児院に拾われたマルティナは、ユフィアに強く感謝していたからな。それに、どうせ父は死人だ。全部押し付けた方が、都合が良い。


 事実がどうであれ、全部父のせいにしてしまえば良い。もしユフィア以外に真犯人がいるのなら、話は別だが。


 マルティナは、少し震えている。これは、どっちだろうな。信じてくれたのか、あるいは怒りが増幅しているのか。


「私の父は、前国王ランベールに処刑されたんです! 反乱を企てていたって、罪を押し付けられて! だから私は……!」


 息子である俺に、復讐したかったと。悲痛な声で叫んでいるあたりから、強い感情が推し量れる。とはいえ、おそらく黒幕はユフィアだろうな。実質的にこの国を支配していたんだから。王だって、思いのままだったはず。


 察するに、ペトラ家が邪魔だったのだろう。そのついでに、マルティナに恩を売った。そして、俺に対する手札としても抱えていた。寒気がするほど効率的な戦術だ。


 だが、だからこそ真実は話せない。マルティナが大きく傷つけば、やけになる可能性もあるのだから。俺は死にたくない。そして、マルティナだって死なせたくない。


 俺が殺されてしまえば、マルティナは確実に処刑される。そんな事は許しておけない。なら、どうにか手を引いてもらわなくては。


「なあ、マルティナ。今なら、何もなかったことにできる。いつも通りに、俺を支えてくれないか?」

「……どうして、なんですか。あなたがただの悪人なら、迷わずに殺せたのに! どうして、殿下は優しいんですか……! こんなの、ひどい……!」


 強く声が震えているのを感じる。涙声にすら聞こえる。恨みと情とで、感情がぐちゃぐちゃになっているのだろう。


 おそらく、マルティナは俺に復讐することを希望に生きてきた。なら、新しい生きがいを与えるのが有効だろう。そのために、一手を打ってやろう。


 俺はマルティナの手を取り、ナイフを首筋に近づけていく。そして軽く引き、俺の首に傷を残した。血が流れているのを感じる。マルティナはナイフを手放した。


「殿下! ああ、血が! どうして……!」

「それこそが、お前の真実だ。分かるだろ? お前は、本当は俺を殺したくないんだ。なあ、マルティナ」


 そう言って、マルティナを抱きしめていく。俺の存在を、強く刻みつけるために。だから、痛みを感じそうなほどに激しく抱きしめた。


 マルティナは、震えている。そして、こちらを抱き返してきた。


「ふ、ふふ……。殿下、これを狙ったんですか……? だから、わざと傷を受けたんですか……?」

「マルティナを傷つけたくなかっただけだ。お前の悲しい顔は、見たくないからな」


 甘い言葉をささやくと、抱きつく力が強くなった。そしてマルティナは、こちらの耳元に口を寄せてくる。


「……うそつき。私を傷つけて、止めたかったんですよね? 思っていたより、悪い人です」


 そう、ささやいてくる。ただ、俺に対する恨みは消えているように感じた。愛情というと大げさかもしれないが、情が伝わってくるような声だった。


 ひとまず、難局は乗り越えられたと言っていいだろう。これで、マルティナは俺を殺せないはずだ。俺が死ぬことが怖いというのを、理解できたはずだ。


 ああ、その狙いが理解されたのかもな。いずれにせよ、もう勝負はついた。マルティナの背中を、軽く叩く。すると、胸に頬ずりをしてきた。


「ねえ、殿下。私に優しくしたこと、後悔しても遅いですからね? 絶対に、離れたりしませんから」


 柔らかい声で、そう告げられる。勝利の達成感とともに、俺はマルティナをしっかりと抱きしめていく。


 マルティナは胸に顔をうずめて、何かを呟いているようだった。ただ、俺には聞こえない。


 その言葉にどんな感情が込められているのか。マルティナだけが、知っていた。

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