下校時間。
まだ生活リズムの合わない私は、今日のところは早く帰って休むべく廊下を歩いていると前方にトーマスの姿を発見する。
トーマスと言えば、私にとっての前世の推し。
だから私は、前世の記憶を取り戻してからは推しであるトーマスとお近づきになることをずっと目的としてきた。
そしてそれは、既に達成できていると思っている。
夏休みだって、トーマスと一緒にお食事までしたのだから。
だから、既に目的を達成した私が次にやりたい事――。
そう考えてみても、正直自分でも次に何をしたいのかがよく分からなかった。
推しとお近づきになった今、私はこの先何をしたいのだろうか……。
――例えば、お付き合いする、とか……?
自分で考えておきながら、即座に否定する。
だってそれは、考えるまでもなく有り得ないことだから。
だって私には、婚約相手がいるのだから。
しかもそのお相手は、この国の王子様。
だから私が他の誰かとお付き合いするなんて、そもそも絶対にあり得ない話なのである。
――じゃあ、仮にクロード様が居なかったら……?
もしも私の何もかもが自由だとしたら、やっぱり私はトーマスともっと深い関係になりたいのだろうか……?
きっと、前世の私なら迷わずそうだと言っていたのだろう。
けれど、今の私は黒瀬小百合ではなくメアリー・スヴァルト。
私はこの世界で、今日まで公爵令嬢として生まれ育ってきたのだ。
だからこそ、メアリー・スヴァルトという今の自分がどうしたいのかというと、それはまだ自分でもよく分からないでいる。
別にトーマスのことが、嫌いになったわけではない。
というか、今の私もトーマスに対して好意を抱いている。
けれどそれが、恋愛感情なのかと言われるとよく分からないし、クロード様やキースに対する感情と比較しても違いがよく分からない……。
私はこれから、どうなりたいのか。
そして自分の恋と、どう向き合っていくのか――。
この学園での生活が終わるまでには、しっかり自分と向き合わなければならないだろう。
前世の推しか、今の婚約相手か、それとも……。
「あ、メアリー様!」
考え込んでいると、トーマスも私に気付いて声をかけてくる。
嬉しそうに笑みを浮かべながら駆け寄ってくるその姿は、やっぱり私の推しそのもの。
そんなトーマスを前に、自然と私も笑みが零れてしまう。
「ごきげんよう」
「どうも! 新学期早々、お会いできて嬉しいです!」
屈託のない、裏表を感じさせない真っすぐな笑み。
それは貴族社会では、中々見られないもの。
だからこそ、私も素直でいられるような気がした。
こんなトーマスとなら、きっと楽しい人生を送れるのだろうなとかぼんやりと考えながら――。
「えっと、その……」
すると今度は、頬を赤らめながら少しもじもじとするトーマス。
何か言おうとしているのは伝わってきたため、私はトーマスの言葉を待つ。
「……よ、良ければ今度、またお、お食事とか、い、行きませんか!?」
勇気を振り絞るように、たどたどしく告げられるトーマスの言葉。
それはまさかの、お食事のお誘いだった。
けれど私達は、平民と貴族。
しかも私は、貴族の中でも高位の公爵令嬢。
そんな私を平民が誘い出すなんて、はっきり言ってしまえば分不相応で前代未聞である。
けれど、トーマスもこの王国内でもトップ3に入る商会の一人息子。
それほどの家柄ならば、貴族との婚約も無い話ではない。
それでも、公爵家とではやはり釣り合いが取れるはずもなく、本来交わるはずのない関係なのである。
でもそんなことは、トーマスだって分かっていること。
分かっていて尚、勇気を出して私を誘ってくれているのだ。
それにここ魔法学園においては、身分差など関係ない。
私とトーマスは学友であり、ここでは対等な関係なのである。
であれば、このトーマスからの申し出に対して、私の返事は決まっている。
「ええ、構わないわ」
「ほ、本当ですかっ!?」
「もちろん。でも二人きりは難しいから、またフローラにもお声かけいたしましょう」
「あ、そ、そうですよねっ! わ、分かりました!」
答えはもちろんOK。
でも、二人きりは難しい。
そもそも私には、クロード様という婚約相手がいるのだ。
それで他の男の子と二人きりでいるところを見られては、私以上にトーマスにとって不味いことになってしまうから。
分かりやすく、残念そうな表情を浮かべるトーマス。
きっとトーマスは、私と二人きりで行きたかったのだろう。
私も鈍感ではないから、そういう感情にはちゃんと気付く。
そしてそれは、先ほど私の考え込んでいた話とも無関係ではなかった。
仮にもし、トーマスが本当に私への好意を抱いてくれているのだとしたら――。
気持ちを切り替え、食事に行ける事を素直に喜んでくれているトーマスを前に、私もちゃんと自分と向き合う覚悟を決めるのであった。