……どうしよう。
完全に油断していた。
終わったと思ったところで、まさかの二人きりにさせられるなんて思いもしなかった。
というか、明日の朝迎えを寄越すということは、今日はここへ泊って行けということですよね!?
しっかりと胃が満たされ、さぁあとは気を抜いてゆっくり帰宅するだけだと油断をしていただけに、心の動揺は大きい……。
「……これは、予想外だったな」
一緒に取り残されたクロード様も、少し顔を引きつらせている。
どうやらクロード様も、こうなるとは全く聞かされてはいなかったようだ。
お父様の説明によると、これは先ほど私達と分かれた際に両家で決めたことなのだとか。
ランチではなくディナーにしたのも、どうやら元々それが目的だったようで、もっと私達には親密になって欲しいのだそうだ……。
まぁそれは、私達は婚約関係なのだから当然と言えば当然なのかもしれないけど、実態は婚約解消中なわけでして……。
時計を見れば、既に夜の八時過ぎ。
国王様直々に一緒に過ごすよう申し伝えられたのだ、ここで少なくとも小一時間は過ごすべきだろう。
そうなると、それからごり押しで帰宅しようにも到着は深夜になってしまう。
だからやっぱり、今日は私が王城へ泊っていくという事を意味しているのだろう。
「……今までは、こんな事無かったですわよ、ね……?」
「ああ……しかし、そうか。俺達ももう学園へ通う年齢になったが故、許容されてきているのかもしれん」
たしかに、私たちはもう子供ではない。
でもまだ、大人でもないのである。
いくら婚約相手だからと言って、そんなお泊りだなんて……!
それに、私達は既に婚約解消済み。
だからそもそも、婚約関係にもないのである。
そんな私達が、一つ屋根の下一晩を過ごすなんて、何ていうか色々と不味すぎるのではないか……!?
……まぁ、一つ屋根と言うにはここはあまりにも広すぎるわけだけれど……。
「メアリー様のお部屋がご用意できました」
仕方なく二人で過ごしていると、一人の使用人の女性が案内に訪れる。
私はクロード様と頷き合うと、一先ず案内されるがままそのお部屋へと案内される。
いくら何でも、同室という事はなさそうなので少しホッとする。
もしクロード様と同室で一晩過ごすなんて話になったら、何か過ちが起きないとも限らないわけですし!?
……なんて、そんなのはロマンス小説の読みすぎかもしれない。
普通に考えれば、クロード様と同じ寝室で過ごすなんて年齢的にも身分的にも早すぎるのだ。
「何か御用があれば、いつでもお申し付けくださいませ」
「ええ、ありがとう」
案内された部屋は、自室に勝るにも劣らないほどの豪華な客室だった。
ポジティブに捉えれば、前世でいう豪華なホテルへ泊まっている気分だ。
とりあえず私は、ベッドに横になってこれからどうするかを考える事にした。
「さすがに、ここで一晩過ごして朝帰りっていうわけにも、いかないわよね……」
それでは、本当にただのホテルの素泊まりと同じだ。
そんなためにここへ泊るのではない事ぐらい分かってはいるけれど、だからってどうしたら良いのかが分からない……。
私から、クロード様の寝室を訪ねる?
いやいやいや、そんなの絶対に無理だ!
じゃあ、やっぱりここに居ればいいということ?
クロード様が、私を迎えに来てくれると思っていればいい……?
……だめだ、分からない。
公爵令嬢としてしっかり教育されてきた私でも、こういう場面でどう振る舞えばいいのかなんて、前世の知識を合わせても分からない。
そこへ、そもそも婚約相手でもないというマイナスまで乗っかっているのだから、もう私は答えを出すことができなかった……。
――もういい、ここでじっとしてよう。
故に、私がたどり着いた答え。
それは、逃避だった――。
考えても分からない事は、どれだけ考えても時間の無駄。
であれば、もうさっさと寝て明日を迎え、間違っていたら全力で謝罪をすればいいのである。
よし、そうしよう!
そうと決まれば、寝間着をお借りしてお風呂を済ませてしまいましょう!
完全に逃避行動に全振りすることを決めた私は、ベッドから上半身を起き上がらせる。
コンコンコン――。
しかし、その時だった。
部屋をノックされた私は、恐る恐る「どうぞ」と答える。
すると、扉を開けて顔を出したのはクロード様だった。
「……入るぞ」
「え、ええ……」
ついさきほどまで一緒にいたというのに、何だか物凄く緊張してしまう。
それはきっと、クロード様も同じなのだろう。
さっきはお互いに戸惑いながらも応じるしかなかったため、クロード様だってどうしたら良いか分からない様子が見て取れた。
「あのまま、別々でいるわけにもいかないと思ってな……」
「ま、まぁ、そうですわよね……」
「まさかこんな事になるとは……すまない……」
「い、いえ、わたくしは大丈夫ですわ」
「そうか……」
「はい……」
元々会話が盛り上がる相手ではなかったけれど、ここまで盛り上がらない会話はあるだろうか。
まるで初対面のように、お互いの気まずさはMAX状態。
「だが、婚約解消している事の秘密は保たれた」
「そうですわね。お互いのため、良かったですわね」
「そうだな。――だからまぁ、今回はお互いの成功を祝って、乾杯し直さないか?」
「ええ、そうしましょう」
クロード様の提案に、私も頷く。
この世界では、私達の年齢でも一応飲酒は認められている。
とは言っても、あまりすすめられる事でもないため、こういうお祝い事の日やパーティーなどで、シャンパンを少々嗜む程度だ。
さきほどの食事会でも、一杯だけ小さなグラスでシャンパンを頂いたけれど、今日はもう休むだけ。
であれば、こうして私がここへ泊っていくという事も含めて、ここでクロード様と二人で乾杯するという実績も大切なのだ。
それから、使用人の方が用意してくれたシャンパンをクロード様と乾杯し直す。
こんな遅い時間に、二人きりでお酒を嗜むだなんて、何だかちょっと大人になった気分だ。
今日の私とクロード様は、運命共同体。
それに今日は、始まりの日という祝日でもある。
色々と気になる事や不安の種は多いけれど、今は今日という日を楽しむ事にしよう。
そう思うと心が軽くなった気がするのは、お酒のせいだろうか……?
いや、それだけじゃない。
相手がクロード様だから、私は今こんなにも安心できているのだ。
「おかわり、いただこうかしら」
「大丈夫か? 飲みすぎではないか?」
「このぐらい平気ですわ。ふふ」
過保護なクロード様が、何だか可愛らしく思えてくる。
これまで、クロード様に対してカッコイイと思う事はあったけれど、こんな感情を抱くのは初めてかもしれない。
「じゃあ、俺ももう一杯」
お互いのグラスにシャンパンを注ぐと、再び乾杯をする。
窓から注ぐ月明りと、蝋燭の淡い灯り。
そんな優しい光りに薄っすらと照らされるクロード様の表情には、ふんわりと自然な笑みが浮かんでいる。
「不思議なものだな」
「不思議、ですか?」
「ああ、どうしてメアリーといると、こんなにも落ち着くのかと思ってな」
「落ち着く、ですか……」
それは私も、同じだった。
クロード様といると、不思議と落ち着く感じがする――。
これまでは、幼少の頃からの関係があるからだと思っていた。
けれど今は、それだけではない事が分かる。
相手がクロード様だから、私は安心するのだと――。
「――しかし、今日のメアリーは本当に綺麗だ」
「ふふ、ありがとうございます。もしかしてクロード様、婚約解消されたことを後悔しています?」
「……ああ、そうだな」
酔いに任せて、冗談交じりで少しだけ調子に乗ってみた私に対して、クロード様ははっきりと答えた。
その予想外の返答に、私の胸はトクンと一度大きく跳ね上がる――。
「今日までずっと、俺は後悔してきた」
「え、えっと……」
「メアリー。どうやら俺は、お前に惚れてしまっているようだ――」
そしてクロード様は、真っすぐに私の目を見つめながら、思いを伝えて下さるのでした――。