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第68話 決意

 俺はずっと、始まりの日が嫌いだった。

 理由はたった一つ、メアリーと過ごさなければならないからだ。


 我儘で、傲慢で、貴族の嫌な部分を煮詰めたような女。

 そんな女と婚約関係にあると思うだけで、ゲンナリとした気分になる。

 以前はもっと素直な性格をしていたし、だから俺だって……。


 しかし、俺はこの国の第一王子。

 自分の立場と責務は理解しているし、メアリーと結ばれることがこの国のため最適なのだと受け入れてきた。


 だから頭では理解しているが、納得はしていなかった。

 恋愛というものが何なのか、それはよく分からない。

 それでも、もっと良い相手がいくらでもいる事ぐらいは分かっている。


 でも、理由はそれだけではない。

 俺がメアリーを苦手だと思うようになったのは、もっとずっと昔に起きたある事に起因するのであった――。


 ◇


 まだ幼少の頃の俺は、ある日突然メアリーと婚約関係になった。

 それは両家の親同士で決めたことで、まだ物心も付いていない俺にとって、いきなり婚約と言われても正直よく分かってはいなかった。


 けれど、その件を境に俺の環境は一変することとなる。


 まず何より変わったのは、弟のクライスだろう。

 それまでずっと一緒だったクライスだが、俺がメアリーと婚約関係になった事を知った声尾から、俺から距離を置くようになってしまった。


 理由は、何となく察しがついた。

 クライスはずっと、メアリーに対して恋心を抱いていたからだと。

 だから俺ではなく、クライスを推薦しようと考えた事もあるが、そうはしなかった。


 何故なら当時の俺は、そうする事が怖かったから。

 父上が決めてきたことに、自分が物申すことなど許されるはずもないと考えていたのだ。

 今思えば、別にそんなことはなかっただろう。

 それでも当時の臆病な俺には、父上の決定に逆らうことはできなかった……。


 それでも俺は、元々病弱だったクライスのことをずっと大切に思っていた。

 けれど、クライスの方から遠ざかってしまった以上、俺からどう接したら良いのかが分からなくなってしまった……。


 そして、もう一つ変わったこと。

 それは、メアリーの人柄だ。


 俺にとってメアリーは、ずっと一緒に過ごしてきた幼馴染とも呼べる存在。

 唯一気を許せる同世代の異性で、かけがえのない存在だと思ってきた。


 そんなメアリーだが、成長するにつれて性格が変わっていった。

 昔の無邪気さは消え去り、良い意味でも悪い意味でも貴族らしい考え方をするようになっていた。


 それは、貴族としては正しいこと。

 しかしもう、俺が心を許していたメアリーの姿はどこにもなくなっていた。


 俺の婚約相手になったのだから、相応しい人間になろうとしている事は分かっている。

 それでも、俺が求めているのはそういうメアリーではなかったのだ。


 こうして、クライスにメアリー。

 ずっと俺の傍に居てくれた二人は、婚約を機に変わってしまった。

 こんなことになるなら、婚約なんて白紙になってしまえば良い。

 あの頃の俺は、ずっとそう考えていた。


 ……その結果だろうか、二人が変わってしまったように、気が付けば俺自身も変わってしまっていた。


 以前の細見で小柄だった頃とは違い、成長とともに大きく育った身体。

 気弱だった昔の俺は居なくなり、自分に自信が持てるようになっていた。

 だからもう、俺自身がメアリーを必要とすらしなくなっていたのだ。


 その結果、俺とメアリーの関係が進展することは無かった。

 メアリーの方からは、俺との関係を深めようと努めてくれているのは分かっていたが、俺がそれに応じることは一度もなかった。



 それから月日が流れ、学園へ入学して暫く経った頃。

 ある日を境に、メアリーは明らかに変わっていた。

 どう変わったのかは、上手く言葉にすることはできない。


 けれどメアリーは、何となく昔の無邪気だった頃のメアリーに戻ったように感じられた。

 だから俺も、自然と惹きつけられてしまったのだろう。

 それからメアリーとともに過ごす時間は、どれも新鮮で、面白くて、特別で、そして次第に愛おしくすら感じられるようになる――。


 そして俺は、気が付けば自分の中にある感情が芽生えている事を自覚する。

 今まで一度も抱いたことのない、自分でもそれが本当にそうなのか確証が持てない感情――。


 でも今なら、はっきりと分かる。

 そのモヤモヤとした感情の正体が何なのか――。



 俺はメアリーに、恋をしているのだ――。



 自覚してしまえば、あとはあらゆる点と点が繋がっていく。

 自分はずっと、周囲に対して遠慮をしてきたのだと――。


 クライスはメアリーのことが好きだ。

 だから俺は、メアリーと結ばれるわけにはいかない。

 無自覚ながらそんな意識が働いていた俺は、メアリーのことを遠ざけるように振る舞ってしまっていた事に気付く。


 今にして思えば、もっと早くから素直になっておけば良かったと思う。

 けれど自覚するまでの俺は、自分ではなくクライスの方が互いに幸せになれると思い込んできたのだ――。


 メアリーに対してもそうだ。

 素直に向き合う事さえ出来れば、お互いをもっと知ることだって出来たはずだ。

 けれど俺は、無自覚にメアリーの事を遠ざけ、相手の嫌なところしか見ようとしてこなかった。


 婚約関係にあるというのに、本当に最低だと思う……。

 現実を直視せず、いつだって事なかれ主義。

 結局俺は、現実の前では臆病なままだったのだ……。


 そしてある日、俺は過ちを犯してしまう。

 感情に突き動かされるまま、俺はメアリーへ婚約解消を伝えてしまったのである。

 チグハグな関係ながらも、唯一にして絶対的な繋がりを、自ら手放してしまったのだ。


 今なら分かる。俺はあの時、焦ってしまっていたのだ。


 クライスは多分、今でもメアリーのことが好きだ。

 そんなクライスが、突然メアリーに接触してきた事を、俺は内心では快くは思っていなかったのだ……。


 自分でクライスの頼みを受け入れたのに、おかしな話である。

 数年ぶりに声をかけてきたクライスに対して俺は、どう接するべきか分からず、別に会うぐらいならと応じてしまったのだ。


 しかし、いざメアリーをクライスに合わせるとなると、胸の中がざわついた。

 もしかしたら、このままクライスにメアリーを取られてしまうのではないかと考えるだけで、胸には締め付けられるような痛みが走った。


 そして、帰りの馬車の中。

 メアリーはただ、俺とクライスとの間に何があったのかを知りたかっただけだろう。

 けれど俺は、どうしてクライスが離れてしまったのか分かっていない以上、その質問に答えることはできなかった。

 ……その結果、俺はまるで子供が八つ当たりでもするかのように、メアリーに対して婚約解消を突き付けてしまったのだ……。


 それからは、ずっと後悔の日々が続いた。

 メアリーと離れ、以前の状態に戻るだけ――。

 そう思っていたけれど、現実はそんな簡単には処理できなかった。


 校舎でメアリーの姿を見かける度、胸にズキリとした痛みが走る。

 けれど素直になれない俺は、決してその感情を悟られまいと振る舞ってしまう。

 そんな俺だから、メアリーも離れていくのも当たり前だと思いながら――。


 しかし、転機は訪れる。

 それは、魔法実技祭でのこと。


 父上を訪ねたところ、偶然メアリーと居合わせたのである。

 何やらややこしい事になっている事を悟った俺は、メアリーを助けるという名目でその場から連れ出す事にした。

 まだ婚約解消したことを伝えていなかったから、父上に悟られるわけにはいかなかったのだ。


 その結果、俺は久しぶりにメアリーと二人きりになる。

 ぎこちないながらも、再びメアリーと会話が出来る事が嬉しかった。


 深まっていた溝が埋まっていくように、心が安堵していく。

 だから俺は、その場でメアリーに魔法実技祭での勝利を宣言をした。


 別になんだって良かった。

 ただ俺は、再びメアリーと向き合うためにキッカケが欲しかったのだ。

 ……まぁ、結果は負けてしまったのだけれど。


 それでも、あの時最大限の力を発揮する事が出来たのは、間違いなくメアリーのおかげだろう。

 メアリーを近くに感じられるだけで、俺は何だって出来るような気がした。


 だからこそ、痛感したのだ。

 やっぱり俺には、メアリーが必要なのだと。

 そう実感できる事が、俺をまた突き動かす。


 俺は覚悟を決めて、始まりの日にメアリーを誘った。

 言い訳を添えてしまったが、本心は違う。

 俺は今年も……いや、今年こそメアリーとともに過ごしたいと願ってしまったから。


 だから、俺の申し出をメアリーが受け入れてくれた時は本当に嬉しかった。

 今日という日が訪れるのを待ち侘びてしまうほど、俺はずっと楽しみに思っていたのだ。


 去年まで、ずっと大嫌いだった始まりの日。

 変わらずメアリーと過ごすというのに、今では逆に楽しみになっているのだからおかしな話である。


 そして今日、目の前に現れたメアリーの姿は本当に美しかった――。

 クライスが女神のようだと言っていたが、本当にその通りだと思えるほどに――。


 そんな、俺にとって唯一にして特別な存在。

 二人きりで過ごす時間が永遠に続けば良いのにと思ってしまうと同時に、俺の胸はドキドキと鼓動を早めていく。


 メアリーの美しい横顔を見ているだけで、俺はもう自分の感情を抑えることができなくなる。

 今伝えなければ、次いつ伝えるチャンスが訪れるかも分からない。


 もう、決して手放したくない――。

 その気持ちに突き動かされるまま、俺はメアリーに告げる。


「メアリー。どうやら俺は、お前に惚れてしまっているようだ――」


 と――。


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