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第84話 私とワタシ

 ……ここは、どこ?


 気が付くと私は、見知らぬ真っ白な空間にいた。

 周囲には何もなく、誰もおらず。

 ただ無限とも思える白い空間だけが、見回す限り広がっていた。


 どうして、こんな所に……?

 思い出そうとするが、何も思い出せない。

 仕方なく私は、訳が分からないながらも歩き出す。


 コツコツと靴の鳴らす音だけが響き渡る、何もない空間。

 どこまでも果ては見えないけれど、何か大きなものに閉じ込められているような感覚に陥っていく……。

 もうどれだけ歩いたか分からないけれど、不思議と疲労などは一切感じられなかった。


「……ここは、一体何なのかしら?」


 もうどれだけの時間、この空間にいるのだろう。

 未だ理解の及ばない空間を、私はただ宛てもなく彷徨い続けている。


 私はずっと、この空間に閉じ込められたままなのだろうか……。

 未だ何も分からないけれど、留まっていても仕方がない。

 だから私には、歩き続ける以外の選択肢はなかった。



 ――こっちだよ。



 脳内に直接語りかけられるように、誰かの声が聞こえる。

 私と同じぐらいの年頃だろうか、か弱さの感じられる少女の声だった。


 その声の主が誰かなんて、私には分からない。

 それでも、何の宛もない今の私はその声を頼るしかなかった。

 私はその声に導かれるまま、更に歩き続ける。

 方角も何も分からないが、不思議と迷うことはなかった。


 ――もうすぐ会えるよ。


「……そう、なら良かったわ」


 これで何度目の会話だろうか。

 どうやら私の言葉も、あちらへ届いているようだ。


 相変わらず、ここには何もない。

 けれど私は、着実に前へ進んでいるのが分かった。

 距離では測れない何かを、私は今踏み越えようとしているのだと本能で感じ取る。


 それから暫く歩き続けると、前方に何かが見えてくる。

 この何もなかった空間に、初めて現れた変化。

 逸る気持ちで近づいていくと、それがベッドである事に気が付く。

 ベッドの上には誰かが横になっており、その人物こそが脳内へ語りかけてくる相手だと直感で察する――。


 はっきりとその姿を視界に捉えられる距離になったところで、ベッドに横たわっていた女性は上半身を起こす。



「……初めまして、でいいのかな?」



 それは、見知らぬ女の子だった。

 同じ黒髪だが、どこか遠い異国を思わせる容姿をした痩せ気味の女の子。

 よく見ると、ベッドの周りに置かれているものはどれも私の知る物とは異なっていた。


「そうね。……それで、あなたなのね? 私をここへ呼んだのは」

「うん、こんな何も無いところに呼んじゃってごめんね」


 問いかけると、申し訳なさそうに謝る少女。

 その好意的な反応に、私も少し緊張感を和らげる。


「それで、ここはどこなのかしら?」

「うーん、私も上手く説明できないんだけれど、ここは私とあなた二人だけの世界、かな?」

「……そう」


 普通であれば、二人だけの世界だなんて言われても信じられるはずがない。

 けれど、この無限にも思える謎の空間を前に、私も信じるしかなかった。


「あなた、お名前は?」

「黒瀬小百合だよ。あ、私はあなたのことを知ってるよ? メアリー・スヴァルトさん」


 くろせ、さゆり……。

 私の国では、聞いたことのない響きの名だ。

 やはり彼女は、遠い異国の少女なのだろう。

 しかし、彼女は私の事を知っているようで、私に会えた事を喜ぶように微笑みかけてくるのであった。


「ずっとこうして、直接会いたかったの」

「理由を聞いてもいいかしら?」

「だって、私はあなただから」

「……ごめんなさい、よく分からないわ」

「あはは、今はそうだよね。でもね、私達はずっと一緒だったんだよ?」


 ずっと、一緒……?

 でも不思議と彼女の言葉に、腑に落ちている自分がいた。

 確かに彼女は、他人のようには感じられないから――。


「だから、今こうして会えたことが本当に嬉しいの」

「そう、なら良かったわ」

「ふふ、ありがとう。……でもね、残念ながらもう時間はあまりないんだ」

「せっかく、こうして会えたのに?」

「うん……ごめんね? どうやら私は、そろそろ潮時みたいなんだ」

「潮時って、何が……?」

「……大丈夫。ちゃんと、思い出せるはずだよ。自分の胸に、手を当ててみて」


 訳が分からないながらも、私は言われるまま自分の胸に手を当ててみる。

すると流れ込むように、これまでの様々な記憶が頭の中へと流れ込んでくる。

それは全て、私の記憶だけれど私ではなかった記憶――。


 ――ああ、そうだ。彼女は……小百合はずっと、私と一緒だったじゃない。


 どうして今まで、忘れてしまっていたのだろう……。

 他でもない、彼女は私自身だというのに。


「ありがとう、全て思い出したわ。……やっと会えたわね、小百合」

「良かった。思い出してくれたのね」

「ええ、ずっと会いたかったわ」

「えへへ、私も」


 私は小百合と、初めて微笑み合う。

 それと同時に、頬には涙がこぼれ落ちていた。


「あなたのおかげで、私は私になる事ができたわ。だから、ありがとう」

「あはは、こうして改まって言われると照れくさいね。私も、すっごく楽しかったんだよ?」

「ええ、分かるわ。だってあなたは、私なのだもの……」

「あはは、そうだったね」

「……もう、会えないのかしら?」

「……うん、残念ながら」


 申し訳なさそうに、小百合は頷く。

 先ほどの小百合の言葉の意味が、今の私なら分かってしまう。

 だからこそ、流れ落ちていく涙を止めることなんて出来なかった……。


「泣かないで。私はこれからも、あなたの中に居続けるから」

「でも、やっと会えたのに……」

「大丈夫、これはあなたの人生よ。元の形に戻るだけだから」

「そんなことないわっ!」


 元なんてどうでもいい。

 だって私は、小百合がいたから今の私になれたのだから。


 絶対に離したくない思いで、私はベッドの上の小百合を強く抱きしめる。

 抱きしめられた小百合は、そんな私のことを優しく包み込むように受け止めてくれる――。


「……メアリー聞いて。私ね、すっごく嬉しかったんだよ。見てのとおり、病弱でずっと入院生活だった私が、広い世界で自由に過ごすことが出来たんだから。本当に、夢のような時間だった」

「ええ、そうよね……」

「しかも、ずっと推しだった乙女ゲームの世界だよ? こんな経験、たとえ健康だろうと得られるものじゃないわよね」

「うん……」

「……そして今も、私はこうしてメアリーと触れ合えてる」

「……ふふ、でもわたくしのことは、嫌いだったのではなくて?」

「あはは、それはゲームの中ではの話だよ。――今では、間違いなくメアリーが私の一番の推しだよ」

「……ありがとう」


 抱き合ったまま、小百合は安心させるように私の背中を優しくポンポンとたたく。


「……じゃあ、そろそろかな。本当はもっと沢山一緒に居たかったけど、現実のメアリーは今大変な状態にあるの。私の魂とメアリーの魂、その二つを抱えていた肉体がいよいよ限界を迎えてしまったの。だから早く戻らないと、あなたもずっとこっちの世界にいる事になってしまうわ」

「それも悪くはないわね……」

「コラ、駄目だよ。人は生まれた以上、いつかは必ずこっちへ来ることになるんだから。だからちゃんと、自分の人生は最後まで全うしなくちゃ」

「……小百合に言われると、重みが違うわね」

「あはは、たしかに? ……だからさ、メアリー。私はちゃんとこっちで待っているから、私の分も楽しんできてよねっ!」

「……分かったわ。必ずまた、会いましょう」

「うん、必ずね。それに、私はあなたなのだから、これからもずっと一緒だよ」


 その言葉とともに、小百合は私の身体をそっと押す。

 すると、私の身体はふわりと身体は宙に浮き上がり、ゆっくりと小百合から離れていく――。


「小百合っ!!」

「またね、メアリー。あなたのおかげで、私も初めての恋をすることができて嬉しかった」


 手を振る小百合へ向かって手を伸ばすも、ギリギリのところで届かない。


「戻ったらちゃんと、自分の思いを伝えるんだよ?」

「ええ、分かっているわ! だから、小百合! ありがとう! ずっとずっと、こんな私と一緒にいてくれてありがとうっ!!」

「こちらこそだよ、メアリー」


 満足そうに涙を流す小百合の笑みが、眩い光りに埋もれていく。

 その光に包み込まれるように、私の意識もまた吸い込まれていくのであった――。


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