言ってしまった!
部屋へ帰ってきたイーサンは、力無くベッドへと座り込んだ。あの後……「愛する事を誓う」そう告げたイーサンは、返事を聞く事なく赤面するコトハに部屋へと入るように勧めた。
「そろそろ夜半が訪れる頃だ。これ以上外にいると冷えるだろう。部屋へと入るといい」
元々ここで言うつもりもなかったのだが、思いが溢れてしまったのである。だから返事を聞くつもりもなかった。
逢瀬を思い出す。
最初は部屋へと差し込む月の光に導かれ、なんとなく外を見ようと足を運んだ。まさか、そこに……既に寝ているはずのコトハが柵に手を置いてぼんやりと外を眺めているとは思わないではないか。
彼女は舞踏会の行われている会場を見つめていた。最初は物思いに耽る彼女の姿に見惚れていたイーサン。我に返ってからは邪魔をしないようにと、静かに窓を開けてバルコニーへと出たのだ。
彼がバルコニーへ出てしばらく経った頃。少し風が出てきたためか、舞踏会の音楽が先程よりも聞こえるようになる。そろそろ部屋へと入らなければ、風邪を引くのでは? そう考えたイーサンが声をかけようと近づいた時。
「……一曲くらい一緒に踊りたかったな」
そんな彼女の呟きが聞こえたのである。イーサンは耳を疑った。
一緒に踊りたい……俺とか?
彼女の言葉は衝撃だった。確かに以前よりも仲良くはなっていると思っているし、一線を引かれる事も少なくなってきた。だが、それはイーサンだけではなく他の者も同様。彼はコトハが自分の事をどう思っているのか、いまいち掴みきれなかったのである。
バーサやマリに「舞踏会でコトハ様と踊るのは、イーサン様だけですよ」と言われているコトハを以前見ていたイーサン。つまり、踊るのはイーサンだけだと彼女も理解しているはずだ。それを分かっていて
思わず口角が上がりそうになる自分へと
「どうした? もしかして体調が悪いのか?」
するとどうだろうか。コトハはイーサンへと振り向いて目を見開き、口をぱくぱくと動かしている。夜ではあるが彼女の姿を月が照らしていたため、彼女の頬が赤くなっているところが見えた。
イーサンは顔に両手を当ててしゃがみ込み、コトハの可愛さを叫びたい衝動に駆られたが、彼女の前でそんな事をしてみれば、変人である。普段以上に上がりそうになる口角を制御しながら、しどろもどろになっている彼女を堪能した。
だから、油断していたのだ。まさか自分がうっかり口を滑らせるなんて。
「元々君以外と踊る気はないからな」
その言葉を告げた時、イーサンは自分の想いが口を衝いて出ていた事に気がついていなかった。
頬が染まり、何故か下を向いたコトハ。先程から風が吹いている。やっぱり体調を崩したのでは? と思い至った彼は、無意識のうちにバルコニーを飛び越えていた。
竜人はこの大陸の中でも一番基礎能力が高い。三階に位置している部屋ではあるが、腰より下にある柵を越える事なんて朝飯前である。
この時は本当に気がづいていなかったのだ。だから純粋に彼女の体調を心配したのだが……。
コトハの顔を覗き込めば、
心に押し留めていた想いを口に出してしまった恥ずかしさと、コトハの恥じらう姿に心を奪われそうになったイーサンは、無意識に彼女を抱きしめようとして――理性で押し留めた。
可愛い、可愛すぎる……!
そう、思い出してほしい。イーサンは「異性に対する免疫が全くない」のだ。
普段はみっともないところを見せないように、と努力しているからこそ冷静にいられるのだが……残念ながら不意打ちに弱い。
手で口を覆い隠しながら、心を落ち着けているイーサンだったが、ダメ押しと言わんばかりにコトハから声がかかった。
「あの、イーサン様、どうしたのですか?」
返事をしようとしてコトハを見れば……頬は紅潮し、上目遣い。しかもその瞳には少し涙が溜まっており、キラキラと月の光を受けて輝いている。
彼は限界だった。だから思わず手で目を覆ってしまったのだ。
だが、いつまでもそうしている訳にはいかない事だってイーサンも理解している。咳払いで冷静さを保ってから、尋ねた。
「それよりも、体調は問題ないか?」
「はい、体調は大丈夫なのですが……」
頬を染めて口籠る彼女は可憐だが、どうも歯切れが悪い。思わず首をひねると、コトハは「それよりも」と言葉を続けた。
「……あの、なんでこちらに……?」
今迄、イーサンが彼女の部屋のバルコニーにいる事を知らなかったらしい。彼はなんともない様子で答えた。
「ああ、柵を飛び越えてきた」
「えっ! 飛び越えて?! 危ないのでは?!」
「いや、これくらいの高さなら楽に飛び越えられるが……」
人族のコトハと竜人族のイーサンでは、身長も身体能力も違う。イーサンたちにとって普通の事でも、コトハからすれば普通ではないのだ。
ただ、彼女が心配してくれているという事は理解した。その事に照れ臭くなったイーサンは頭を掻く。ちらりとコトハを一瞥すると、彼女と思い切り目が合った。その瞬間、二人同時に笑い出す。
「イーサン様、そんな事してよろしかったのですか?」
「ああ……君が心配で思わず……」
「ありがとうございます。ですが、危険ですから、今度から気をつけて下さいね」
「そうだな、善処しよう」
そう笑い合う二人。その時間が非常に心地よい。
だが、そんな時間も長くは続かなかった。再度目が合った二人は、水を打ったように静かになった。彼女の瞳に吸い込まれそうだった。そう思ったイーサンの耳に届いたのはワルツの調べ。
そこで思い出す。コトハの最初の言葉を。
「一緒に踊りたかった」という言葉を。
本当に相手が自分で良いのだろうか、と一瞬思ったが、目の前のコトハを見ると寂しそうに会場を見つめている。そんな気持ちにさせたくなくて、イーサンは無意識に跪き、彼女へ手を差し出した。
彼女がイーサンへと手を乗せる。その手は少し冷えていた。イーサンは壊れそうなものを扱うかのように彼女の両手を取り、握りしめる。そのひんやりとした手が心地よい。そして練習とは違い、月だけが見守っている二人だけの世界にイーサンの心も高鳴った。
結論を言えば、本当に楽しかった。
コトハも屈託のない笑みを見せながらイーサンを見つめていたし、彼もそんな彼女を愛おしく感じながら踊りを心から楽しんだ。だからワルツが終わり、次の曲に入った時には、胸が締め付けられるような思いを感じていた。
名残惜しく思いながらも先程よりも温まった彼女の手を離すと、彼女は踊りが楽しかったのか、上擦った声で話し始める。
「イーサン様、ありがとうございました! 一緒に踊りたいと思っていたので、嬉しかった……です……」
最初の言葉は聞き間違いではなかったのだ。自分と一緒に踊りたかった……その言葉が、彼の頭の中を駆け巡る。途中から彼女の声が小さくなっていったが、イーサンはそれどころではなかった。
「俺と……踊りたいと思ってくれていたのか?」
彼女の口からもう一度その言葉が聞きたい。そう思ったイーサンは、思わず尋ねていた。そして恥ずかしながらも「はい」と答えたコトハの言葉を聞いた瞬間、彼は天にも昇るような想いだった。
彼女にまた触れたい、そんな思いでイーサンは彼女の両手を取る。彼のいきなりの行動に驚いた表情をする彼女が愛おしい。
だから無意識に口を開いていた。
「俺は君を一生愛する事を誓おう」
だが、イーサンは見てしまったのだ。一瞬、彼女の表情が曇ったのを……。