ユリウスを先頭にして私たちは山を登ってゆく。
そう――登っていた。
「思えば、魔王リュートはこの答えに至っていたのでしょうね」
ユリウスはぽつりとそう言った。
「だから貴女たちをエルフの森へと送り込んだ」
私たちは彼の経路をたどるように山を登ってゆく。
つまり、私たちは当初の道を引き返し、エルフの森がある方向を目指しているというわけだ。
「なぜなら――エルフの森の最奥には聖域があるから」
それはユリウスの提案だった。
聖域。
そう呼ばれる場所がエルフの森の奥にあるらしい。
聖魔のオラトリオに出てこなかった場所。
そこを目指すため、私たちは森を進んでいるわけだ。
「もし女神に会える場所があるとしたら、ここしかありえない」
そう言うと、ユリウスは私へと振り返った。
「イヴリス嬢、あらかじめ言っておきます」
神妙に彼はそう切り出す。
「聖域は本来、私たちエルフも踏み込むことが許されていない禁足地です」
――どうりで荒れた場所ばかり登らされるわけだ。
ユリウスが選んだこのルートは、他のエルフと出くわさないための道だったのだ。
「もし踏み込んだことが露見した場合、貴女たちを守ることができません。おそらく……案内した私を含め、全員の命で償うこととなるでしょう」
当然のように案内してくれていたので、まさかそこまで大事だとは思わなかった。
彼の案内はただの善意なんかじゃなくて、命を懸けての行動だったのか。
「どうしてそんなところに……案内してくれるんですか?」
「ソーマ君のためですよ」
「?」
ユリウスの答えはシンプルだった。
「彼はこの世界の人間ではない。そんな彼に、この世界で許されていない手段だから帰るのを我慢しろ――だなんていうのもおかしな話でしょう」
彼の言い分はもっともだ。
善か悪かだとか。
誰かの命が失われるのかだとか。
そんなものは本来、異世界で生きているソーマに関係がないはずなのだ。
「彼を、この世界のルールで縛りつけるわけにはいかない」
なのに力を与え、戦わせるだなんて。
それを理不尽だと思うことは自然なことだろう。
「人間と魔族の戦い。そんなものの責任は、この世界に生きる者が背負うべきなんです」
ユリウスの目に映るのは憂い。
望むこともなく戦いに巻き込まれたソーマへの同情だ。
「異世界の人間なんて担ぎ出すべきじゃない」
その感情が、ユリウスが無理をしてでも協力する動機ということだ。
「だからこっそり……というわけです」
彼はそう微笑んだ。
物腰柔らかな彼が見せる茶目っ気。
彼がもし私の最推しだったのなら、この場で卒倒して後転しながら山を落ちていたことだろう。
「気を引き締めておいてくださいね」
彼の表情が再び真剣なものへと戻る。
「長らく聖域に足を踏み入れた者はいません。仮にいたとしても、戻ってきた者はいない」
告げられた事実に思わず息を呑む。
創作ではありがちな触れ込みだが、そこへと実際に踏み込む身としては意識せざるをえない。
「だから私は、聖域について詳しく知りません」
最初に彼は、今回の行動を賭けだと評した。
それは彼自身も聖域の詳細を知らなかったからなのだろう。
女神がいることも、いないかも定かではない。
そんな場所だったから最後の賭けとして提案したのだ。
「ただ……」
「ただ?」
「聖域には女神が住んでいて、そこに至るためには試練を越える必要がある。そう伝えられています」
試練。
こういった場所にはありがちといえばありがちなのだろうか。
不穏な響きだけれど。
「本当に試練なんてものがあるのか。仮にそれを越えたとして、そこに本当に女神がいるのか。それは私にもわかりません」
分からないことだらけ。
正直、分が悪い賭けであることは否定できないだろう。
「もしかしたら女神なんていなくて、ただ迷い込んだものを生かして帰さない魔境かもしれない」
その可能性だっておおいにあるだろう。
徒労に終わる可能性がある戦い。
「それでも、行きますか? その先に帰る場所があると信じて」
それに挑むのか。
その意思を確認するため、ユリウスはソーマへと目を向けた。
「………………はい」
ソーマはゆっくりと頷く。
胸に手を当て、覚悟を固めるように。
「今も、僕の中であの声が聞こえています」
顔をゆがめるソーマ。
絶え間ない望まぬ声。
それは私が考えているよりもストレスなのだろう。
「今は我慢できていても、いつかは限界が来る」
唇を噛むソーマ。
「そうやって自分が自分でなくなるのが」
その表情は切なげで。
「大切な想いが塗り潰されていくのが――僕は怖い」
悲しみに満ちていた。
「だから僕は、この世界を去らなければいけない」
ソーマの目がふとこちらへと向いた。
「…………たとえ、それが別れを意味していても」
彼の言う通り、もし元の世界に戻ってしまえば再びこちらに来ることはないだろう。
永遠の別れだ。
彼としても思うところがあるのだろう。
「そうですか」
優しい表情でユリウスがうなずく。
彼の覚悟が伝わったということなのだろう。
「女神って……どういう存在なのかしら」
そうやって再び始まる登山。
なんとなく私はそう口にした。
女神。
原作でも語られていない存在。
好奇心がないといえば嘘になる。
「どうなのでしょうね。信心深い信徒も、聖女でさえ顔を合わせることができない存在ですから」
ユリウスは振り返ることなくそう答えた。
神がキャラクターとして明確に出てくる作品も多々ある。
しかしこの世界において神は、目に見えないものなのだ。
「どこにでもいて、私たちを見守ってくれる存在なんて言われているそうですが……まあ、我々のような平凡な存在が神に投影するイメージなんて大体そんなものでしょう」
きっとユリウスの言う通りなのだろう。
神という超然的な存在。
人間の想像力で神を夢想したとき、そういった設定が付与されるのは想像に難くない。
「世界のすべてを創り、すべてを見通すとされる女神様」
ぽつりとユリウスがつぶやく。
「そう語られているのに、魔族は穢れであり悪である――というのも不思議な話ですね。すべてを創ったのなら、魔族を作ったのだって女神様であるはずだというのに」
それもそうだ。
この世界はゲームだから、魔族という敵が必要だった。
そういってしまえばそれまでのこと。
だが理論的に考えると、なぜ魔族という存在が作られたのかと思ってしまう。
魔素が世界を穢す――なんて設定がなければ、人間と魔族が争う必要はなかったのに……と思ってしまうのだ。
「女神がいたとして、その教義を作ったのは人間にすぎない。だから考え方も、人間を中心にしたものになる……ってことなんでしょうか」
「かもしれませんね。彼ら人間から見て、自分より強くて自分を害する存在が悪に見えてしまうのは仕方がないことでしょうし」
もし私がこの世界に生まれていたとして。
魔族を恐れずにいられただろうか。
無力な私たちにとって、魔族の存在に恐れを抱いてしまうことは仕方がないのだろう。
そんな存在を、悪だと思い込みたくなることも。
それを心を弱さだと一蹴することはできない。
(人間にも悪い人はいるし、魔族のすべてが悪なんてこともない)
しかし私は知ってしまっている。
画面越しだけではなく、実際に触れあって。
(だけど、分かり合うには常識の壁は高すぎる)
生まれたときから魔族は悪だと教えられて、そう信じて生き続けたのだ。
それを覆すことはあまりにも難しすぎる。
それは心の底に根付く常識なのだから。
(魔族と人間。この世界で生きていく以上、避けては通れない問題よね)
いつかはきっと、私も向き合う日が来るのだろうか。
魔族を選ぶか、人間を選ぶか。
そんな日が。
もしそんな日が来たとしたら私は――
「――着きましたよ」
ユリウスの言葉で顔を上げる。
これまで鬱蒼と並んでいた木々は消え、開けた空間が現れる。
「ここが聖域です」