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第47話

 そこを見たとき、最初に思い出したのは災禍の祭壇だ。

 聖女ノアが魔王リュートを討った場所。

 そして、私がリュートと出会った場所だ。

 あそこにあったものと似たような祭壇が眼前に鎮座している。

 ツタが絡んだ遺跡のような祭壇は幾星霜の時間を感じさせた。

「あそこにある空間のゆがみ。その向こう側に聖域があると伝えられています」

 ユリウスが手で示した先。

 そこには渦巻くように空間がねじれていた。

 ――リュートが作るワープゲートに似ている。

 あれを通ると聖域に転送されるらしい。

「あそこが……」

「申し訳ありませんが、私はここまでしか同行できません」

 そう言って、ユリウスは一歩引いた。

「ここまで案内した身で何を言うかと思われるかもしれませんが、これでも一応……エルフは聖域を守る役割を持った種族なので」

 ユリウスは言った。

 私たちをここに案内したことが露見すれば、彼自身の命も危ういと。

 そんな事情を考えれば、聖域に踏み入れるのは気がとがめたのだろう。

「それなのに、ここまで案内してくれてありがとうございました」

 ソーマと共に、私も頭を下げる。

 厳密には違う世界とはいえ、私たちは現代日本で生きてきた。

 そんな私たちが想像しているよりも、こういった世界で掟を破るというのは大きな意味を持つはずだ。

 それでも協力してくれたことに感謝を示す。

「礼には及びませんよ。貴方は私たちの世界の事情に巻き込まれただけの被害者なのですから」

 そうユリウスは微笑む。

 原作でも分かっていたことだが、優しい人だ。

 ……それも当然のことか。

 なにせ彼は、友人だからという理由でノアとともに魔王との戦いに臨んだのだから。

「ソーマ君」

 私はソーマへと向き直る。

 彼はゲートへ足を進めかけていた。

 彼はその場で止まり、振り返る。

「私も、一緒に行っていいかしら」

 ためらいがちにそう問いかけた。

 リスクは当然承知している。

 だけど聞かずにはいられなかったのだ。

「ユリウスさんの話が正しければ、聖域に行く前には女神の試練がある」

 ソーマは神妙な表情でこちらを見る。

「正直、僕はエレナさんには安全なところにいて欲しい」

「そう……よね」

 私には戦う力がない。

 もし何かがあったとして、ソーマに頼ってしまう可能性が高いのだ。

(私がいたって役に立つかはわからない)

 たしかに私には原作知識がある。

 だがこの聖域は原作に出てこない場所だ。

 私の知識が及ぶ可能性は高くない。

(だけど見届けたいっているのは私のワガママよね……)

 であれば、私は身を引くべきなのだろう。

「そう言うべきなのは……分かってるんだけどなぁ」

 そんなことを考えていると、ソーマは頭を掻きながら苦笑した。

「僕も……最後にもう少しだけ、エレナさんといたい」

 少し恥ずかしそうに、ソーマが手を差し出してくる。

「一緒に来てくれるかい?」



 ゲートを抜けてから。

 そこに広がっていた景色に思わず私たちは足を止めていた。

 白。白。白。

 ふわりと沈む足。

 私たちの眼前に広がっていたのは一面の銀世界だった。

「これは……」

「雪山?」

 あまりにも一変した景色に面食らってしまった。

「さむい……」

 思わず身を震わせる。

 当然ながら、周囲は見た目だけが雪山に変わったわけではない。

 相応に気温が低いのだ。

 フリルがついたこのドレスはそれなりに生地が厚いものの、さすがにこの気温をどうにかしてくれるほどではない。

 両手で体を抱くようにして縮こまるが、それでも体の熱が抜けてゆく。

「大丈夫かい?」

 心配そうにこちらの様子をうかがうソーマ。

 とはいえ、この気候の影響が大きいのは彼のほうだろう。

 彼が身に着けているのは転移時に来ていた学生服。

 それも春服。長袖とはいえただのワイシャツだけだ。

 私よりも寒さを感じていることだろう。

「ぇ……ええ……」

(まさかこんなに外と気候が違うなんて……)

 内部の情報がまったく分からない。

 その事実がこんなところで襲いかかってくるとは。

「これじゃあ先に進むのもままならないな……一度戻って装備を――」

 そう言いかけ、ソーマが固まった。

 彼の視線を追えばその理由は一目瞭然だった。

「……出口がない」

 私たちが着た場所を振り返っても、そこには何もない。

 ……ゲートが消えていた。

 ここに踏み入った者たちが戻れない理由の一端が分かってしまったわけだ。

「一度入れば、進むしかないってことか」

 困った様子のソーマ。

「僕たちの服じゃすぐに動けなくなりそうだね」

 お互いの服装を見てソーマはそうつぶやいた。

 こんな雪山なんて想定外だ。

 防寒なんてまったく考えていないこの装備では、まともな活動は望めないだろう。

「リスクはあるけど、一気に登ったほうがいいかもしれない」

「そうね」

 私も彼の言葉に同意する。

 本来であれば、焦って山を登るのは愚策だろう。

 とはいえ下山できるわけでもない。

 それならばリスクを負ってでも、さっさと登り切るべきだ。

「…………?」

(なんの音かしら?)

 そう答えを出した時、私は周囲を見回した。

 妙な音が聞こえた気がしたのだ。

 まるで腹の奥に響くような重い音が。

「…………ねぇ、これって」

 嫌な予感がする。

 それはきっとソーマも同じだったのだろう。

 私が彼の顔をうかがうと、その表情は引きつっていた。

「うん……もしかすると」

 実際に見たことがあるわけではない。

 しかしここが雪山であるという状況を加味すると、おのずと予想もつくわけで。

「雪崩……!」

 私が震えまじりに声を上げたタイミングは、雪の津波が襲いかかってきたのとほぼ同時だった。

「まさか女神の試練ってこれのことなのか……!?」

 茫然とするソーマ。

 その間にも雪は大瀑布となり私たちに覆いかぶさろうと迫ってくる。

「ごめんエレナさん」

「きゃっ」

 私の視界がぐらりと動く。

 ソーマが私の体を抱き上げたのだ。

 いわゆるお姫様抱っこというわけだが、そんなことに照れていられるような状況でないことは明白だった。

「くっ……これは……!」

 ソーマはその場で跳躍し、雪の津波を飛び越える。

 すると眼下には雪山が広がっているわけだが――

(あきらかに普通の雪崩の動きじゃない……!)

 最初、私たちはこれを自然の雪崩だと思っていた。

 だがあきらかにこれは自然現象ではない。

 まるで渦巻くように。雪が複雑にうねっている。

 その標的は間違いなく私たちだ。

 ただただ崩れ落ちるのではなく、あきらかに私たちを狙って雪が襲いかかっている。

「これは剣でどうにかなりそうもないな……!」

 ソーマが顔をゆがめる。

 迫りくる雪崩はほとんど流体に等しい。

 剣で振り払ったところで、すぐさま他の雪が殺到してくることだろう。

 広範囲をカバーできるような魔術を使えるのならこの事態も打開できるかもしれない。

 だが、私たちにそんな手段はないわけで。

「エレナさん! しっかり捕まっていて!」

「っ……!」

 ソーマが私を包み込むように抱きしめる。

 直後、大量の雪崩が私たちを呑み込んだ。


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