舞踏会が解散になってからのこと。
私は地下牢にいた。
無論、私が捕らわれているというわけではない。
私は牢の外で椅子に腰かけ、拘束されているロイを見つめていた。
薄暗い空間。
ここが城の地下にある牢だということもあるのだろうか。
暗いけれど湿気は少なく、不潔感はあまりない。
……強いて言うのなら、聖王国の地下牢で目覚めた時を思い出して憂鬱な気持ちになってしまうというのは問題だけれど。
「…………」
視線の先。
そこには手足を枷で戒められ、壁へと磔にされたロイがいた。
意識はないものの、呼吸は安定している。
(結局、時間切れまで選べなかったというわけね)
人の味方としてロイの存在を隠すのか。
魔族の味方としてロイの存在を報告するのか。
どちらも選べなかった。
選ぶよりも先に事態が動いてしまった。
私は選ぶことから逃げてしまったのだ。
「ずっとそこで待っているつもりですの?」
薄暗い地下牢に響く声。
「アンネローゼさん?」
それはアンネローゼのものだった。
舞踏会で纏っていた華やかなドレスではなく、普段から身に着けている比較的動きやすいドレスへと変わっている。
「貴女1人で監視をしていたら、彼が目覚めたときに大変でしょう?」
「……ありがとうございます」
服装の変化は、おそらく戦闘を視野に入れてのことなのだろう。
いくら捕らえられているとはいえ、ロイ=バックスは聖女ノアとともにリュートを倒した存在。
油断できない相手というわけだ。
「彼、あのときに出会った男ね」
アンネローゼはそう切り出した。
――彼を捕らえたとき、彼の懐から魔道具が見つかった。
それはあらかじめ設定しておいた姿に使用者の容姿を偽装するというもの。
魔道具が見つかったことで、彼がどういう姿で魔族領を歩いていたかが判明したわけだ。
「それが、あの聖女の仲間の変装だった」
魔道具を確認したとき、きっと彼女は驚いたことだろう。
ほんの少し前にすれ違った魔族が、人間だったのだから。
そして、同時に思ったはずだ。
「――気づいていたのかしら?」
私が彼と出会ったとき、動揺していた理由と関係があるのではないかと。
そして私が驚くには、あの姿がロイの変装であることを知っている必要があるのだと。
そして変装の事実を知っているということは――
「それは……」
思わず言いよどんでしまう。
私が、彼の変装を知っている論理的な理由付けができない。
仮に知っていたことを説明できたとしても、そのことを隠していたことには言い訳の余地もない。
「う……」
どう答えるべきか。
そう迷っていた時、うめき声が聞こえた。
それは鉄格子の向こう側。
ロイが意識を取り戻そうとしている予兆だった。
「っ」
彼の目がわずかに開いてゆく。
まだ意識が朦朧としているようだが、それもほんのわずかな間だけだろう。
「目覚めたようですわね」
アンネローゼの視線が私から外れる。
その声が聞こえたからだろうか。
ロイが顔を上げた。
――彼と目が合ってしまう。
「……まさか、目覚めて最初に見る顔がそれとはな」
彼は忌々しそうにそう言った。
「レディの顔をそれだなんて、失礼な方ですのね」
「それは魔女だ。レディではない」
アンネローゼの言葉に返ってきたのは舌打ちまじりの声だった。
今のロイからは、本来の仕事人を思わせる寡黙な雰囲気はない。
それほどまでにエレナは憎むべき相手というわけだ。
「エレナ様。彼はわたくしが見張っていますので、人を呼んで――」
「っ……え……!?」
「……今の貴女では、状況をまともに説明できそうにありませんわね」
嘆息するアンネローゼ。
そんな反応に思わず身を縮こまらせてしまう。
――思考がぐちゃぐちゃになる。
不安だとか、恐怖だとか。
雑念に脳が支配され、視界がゆがみそうになる。
そんな私の様子をアンネローゼは察したのだろう。
「彼に施されている拘束は魔王様によるもの。いくら聖女の仲間とはいえ自力で破ることは叶わないでしょう」
そう言って、彼女は背を向ける。
「ですがもしもということもありますわ。わたくしが戻るまで、彼には一歩も近づかないでくださいませ」
「……はい」
ロイにつけられた枷には鎖が伸びており、こちらには届かないようになっている。
だが万が一ということもある。
鉄格子から手が届く距離にいた場合、私は殺されてしまうかもしれない。
冷や汗を流しながら私はうなずく。
「すぐに戻りますわ」
立ち去ってゆくアンネローゼ。
再び、地下牢に静寂が戻ってきた。
「…………」
言うまでもなくそれは居心地の悪い沈黙だ。
いたたまれない気持ちになるけれど、身じろぎをすることさえ躊躇われる。
ひたすらに嫌な空気に支配された空間だった。
「とっくに野垂れ死んでいると思っていたんだがな」
彼がぽつりと漏らす。
「魔王も生きていたようだからな。おおかた、戦いの後に魔族領で保護してもらうという密約を交わしていたというわけか」
「それは……」
状況から見ると、私とリュートの間に密約があるように思えるのは当然なのかもしれない。
それが本当に偶然の上での結果だったとしても。
少なくとも私の口から否定したところで納得してもらえるとは思えない。
「だから、お前を国外追放で済ませるのには反対だったんだ」
思い出す。
この世界に迷い込んですぐ、牢から出た日のことを。
ノアがどうであったかはともかく、他の人々は私の解放に納得していないようだった。
それはきっとロイも同じだったのだろう。
「お前は……ノアの善意に泥を塗った」
むしろ、ノアを思っているからこそ他よりも強固に反対していたのだろう。
「お前に何度も苦しめられながら、それでも命は奪わなかったというのに。お前はそうやって拾った命で魔族に媚び売ったわけか」
――婚約者候補だったか?
そう彼は嘲笑した。
彼からすると許しがたいことだろう。
私という存在がまるですべてを許されたかのようにのうのうと生きている現状は。
「それは――」
「生きるために仕方がなかったとでも言い訳するのか? 生きる場所を失ったのはお前の所業のせいだというのに。恥を知っているのならとても出てこない発想だな」
ロイにそう言い返され、口をつぐんでしまう。
本来のエレナの所業は私も知っている。
もしも私がロイの立場だったとして。
私が、エレナ本人でないことを知らなかったとして。
きっと彼と同じ感想を抱いてしまうことだろう。
今の私の生き方は、あまりに虫が良いと。
「…………」
唇を噛む。
ここ最近は薄れていた感覚。
自分が、どれほど周りから嫌悪されていたのか。
それを思い出す。
この世界に来てからリュートに出会うまで。
それまでに向けられた悪意を思い出してしまう。
「不愉快だ。以前よりもずっと」
「?」
疲れたようなロイの声。
依然として憎悪は感じる。
だが先程までの激情は見えない。
その理由がわからず、思わず私は疑問符を浮かべていた。
「魔王に取り入るための演技か? その善人ヅラは」
彼はそう問いかけてくる。
「魔女が、普通の人間のように傷ついた演技をするな。お前には傷つく権利さえない」
そうか。
彼にはそう見えるのか。
私の認識に誤りがなければ、ここにいるのが本当のエレナであれば彼の言葉を嗤ったことだろう。
反省も怯えもない。ただただ、嘲ったことだろう。
だけど私は彼女じゃない。
彼に凄まれたら怖いし、憎悪を向けられたのなら傷つく。
そんな私の姿が、彼の癪に触るのだ。
「っ……ごめ――」
「謝罪もいらない。不愉快なだけだ」
ロイの歯ぎしりがこの距離でも聞こえてきた。
歯が砕けんばかり、というのはまさにこういうことなのだろう。
「お前は魔族と同じ……いや、魔族以上にこの世界で生きていてはいけない生物だ」
彼の言葉。
きっとそれは、人間から見た私の立ち位置そのものなのだろう。