あれから、私は部屋を出ないよう言いつけられたまま一夜を過ごした。
そうして訪れた朝。
私がリュートから告げられたのは――
「行方……不明?」
ロイが尋問の際の隙を突き、地下牢から逃げたこと。
そしてそのまま彼が行方知れずになってしまっているらしい。
あまりの衝撃に紅茶をこぼしそうになってしまった。
「ああ。取り逃したらしい」
リュートは紅茶を口にする。
きっと今も彼は多くのことに思考を巡らせていることだろう。
しかしそれを感じさせないほどに落ち着いている。
「話を聞く限りかなりの深手を負わせたようだが、まさかオレの城から逃げおおせようとは……これは素直にさすがと言うべきかもしれんな」
そう彼は笑みを漏らす。
堂々としているというか。
余裕さえ感じさせる。
「ところで、どうしてそんな情報を私に?」
とはいえ事態が急を要するのは事実。
戦闘力がなく、捜索の役に立てそうもない私に情報共有した。
その意図がわからなかった。
「なるほど。こんなところで油を売っている場合ではないだろう、と」
「ち、違いますっ」
「冗談だ」
「……」
そういうジョークは心臓に悪いのでやめてほしかった。
2人きりだからまだマシだったけれども。
そんなことを聞かれたら、他の魔族たちに刺されてしまうのではないか。
「話した理由は単純に、お前に危険が及ぶ可能性があるからだ」
先程とは打って変わって。
真剣な表情でリュートはそう言った。
危険が及ぶ。
その言葉に身を固くしてしまう。
「奴も生きて情報を持ち帰るという責務を果たすため、命がけで逃走をはかるだろう」
きっとリュートの分析は正しい。
本来、ロイは私情よりも職務や求められる役割を優先する人物だ。
――私という存在が例外なだけで。
そんな彼が逃亡に成功したとして、一番に優先するのは情報を持ち帰ることだ。
いくら私を憎んでいようとも。
あくまで聖王国の――聖女ノアのために行動することを優先するはずだ。
「だが、それも叶わないほどの深手を負っていた場合、最後にお前だけでも……という考えに至る可能性は充分にある」
しかしリュートは語る。
最優先にすべき役目がすでに実行不可能だった場合。
彼の話では、ロイは深手を負っているという。
そうして逃亡が不可能なほどの状態に、死を待つばかりの状況に陥ったとしたのなら。
せめて、せめて私だけは。
そう思う可能性も否定できない。
「……恨まれていますからね」
悲しいことに。
死を待つばかりとなったとき、手近な場所に憎むべき敵がいたとしたのなら。
狙われてしまうのも仕方がないのだろう。
当然、私としては看過できない事態なのだけれど。
「城の警備も強化してある。奴がここへと戻ることは容易くないだろう」
ここは魔王城。
私がいること以上に、ここは魔王リュートが住む場所なのだ。
ロイの動向が分かっていないとなれば、魔族たちも全力で警護にあたっているはず。
手負いのロイがそれを突破する可能性はかなり低い。
「だが万が一ということもある」
しかしゼロではない。
そして、それがゼロでなかったときの対価は私の命だ。
であれば軽視できる可能性ではない。
「そういうわけだ。奴の生死がはっきりするまでは出歩くな。少しでも危険を感じたら、ためらわずオレに声を飛ばせ」
「……わかりました」
リュートからの忠告に、私は頷いた。
☆
リュートが立ち去ってからのこと。
1人になった自室で私は考える。
(まだ、ロイが生きているかもしれない)
これは、最後のチャンスなのではないかと。
人間と魔族。
結局は何も選べなかった私が、生き方を決めるための最後のチャンスなのではないかと。
(どうするの?)
選ばなかった結果、私の気は晴れたのか。
正直なところ、少しだけ安心してしまったのも事実。
だが同じくらいの罪悪感もあった。
(このまま何も選ばないまま、すべてを運に任せるの?)
なのに、また見過ごすのか。
選ばず、為すがままに身を任せてしまうのか。
「そろそろ、選ぶときよね」
そうも言ってはいられないだろう。
私はこの世界を生きている。
この世界を生きていたいと決めたはずなのだ。
であれば、都合の悪いところは無視をするというわけにもいかない。
この世界を生きていくのなら、答えを出さなければならないはずなのだ。
「呪術に大事なのは、相手への関心……だったわね」
私は懐から紙の人形を取り出す。
人型をかたどっただけのシンプルな紙の式神。
あいにくと私には日常的に行うべき役割がない。
だから空いた時間を呪術の練習に注いだ。
ゆえに今ではそれなりの練度で呪術を扱えるようになっている。
「だとしたら……私に探せないキャラクターはいない」
相手を害する必要はない。
ただ、相手の居場所を探索するだけ。
その程度の呪術なら問題なく行使できる。
問題は索敵範囲だが――
「ロイ=バックスを追って」
呪術を行使するうえでもっとも重要な要素は心。
技術はあくまで補助でしかない。
聖魔のオラトリオのファンであった私は、対ネームドキャラ限定ではあるが高次元の出力で呪術を扱える。
他の誰かにはできなかったとしても、私なら――ロイの居場所を見つけられる。
(ロイを見つけて、彼を逃がすか……殺すか)
見つけて、どうするのか。
人として、彼を助けるのか。
魔族として、彼を殺すのか。
(人の味方をするのか、魔族の味方をするのか)
――決めなければならない。
中庸なんてない。
傍観者ではいられない。
私はもうこの世界の住人で、当事者なのだ。
「もう……この世界が好きなだけのプレイヤーじゃいられないの」