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第71話

 あれから、私は部屋を出ないよう言いつけられたまま一夜を過ごした。

 そうして訪れた朝。

 私がリュートから告げられたのは――

「行方……不明?」

 ロイが尋問の際の隙を突き、地下牢から逃げたこと。

 そしてそのまま彼が行方知れずになってしまっているらしい。

 あまりの衝撃に紅茶をこぼしそうになってしまった。

「ああ。取り逃したらしい」

 リュートは紅茶を口にする。

 きっと今も彼は多くのことに思考を巡らせていることだろう。

 しかしそれを感じさせないほどに落ち着いている。

「話を聞く限りかなりの深手を負わせたようだが、まさかオレの城から逃げおおせようとは……これは素直にさすがと言うべきかもしれんな」

 そう彼は笑みを漏らす。

 堂々としているというか。

 余裕さえ感じさせる。

「ところで、どうしてそんな情報を私に?」

 とはいえ事態が急を要するのは事実。

 戦闘力がなく、捜索の役に立てそうもない私に情報共有した。

 その意図がわからなかった。

「なるほど。こんなところで油を売っている場合ではないだろう、と」

「ち、違いますっ」

「冗談だ」

「……」

 そういうジョークは心臓に悪いのでやめてほしかった。

 2人きりだからまだマシだったけれども。

 そんなことを聞かれたら、他の魔族たちに刺されてしまうのではないか。

「話した理由は単純に、お前に危険が及ぶ可能性があるからだ」

 先程とは打って変わって。

 真剣な表情でリュートはそう言った。

 危険が及ぶ。

 その言葉に身を固くしてしまう。

「奴も生きて情報を持ち帰るという責務を果たすため、命がけで逃走をはかるだろう」

 きっとリュートの分析は正しい。

 本来、ロイは私情よりも職務や求められる役割を優先する人物だ。

 ――私という存在が例外なだけで。

 そんな彼が逃亡に成功したとして、一番に優先するのは情報を持ち帰ることだ。

 いくら私を憎んでいようとも。

 あくまで聖王国の――聖女ノアのために行動することを優先するはずだ。

「だが、それも叶わないほどの深手を負っていた場合、最後にお前だけでも……という考えに至る可能性は充分にある」

 しかしリュートは語る。

 最優先にすべき役目がすでに実行不可能だった場合。

 彼の話では、ロイは深手を負っているという。

 そうして逃亡が不可能なほどの状態に、死を待つばかりの状況に陥ったとしたのなら。

 せめて、せめて私だけは。

 そう思う可能性も否定できない。

「……恨まれていますからね」

 悲しいことに。

 死を待つばかりとなったとき、手近な場所に憎むべき敵がいたとしたのなら。

 狙われてしまうのも仕方がないのだろう。

 当然、私としては看過できない事態なのだけれど。

「城の警備も強化してある。奴がここへと戻ることは容易くないだろう」

 ここは魔王城。

 私がいること以上に、ここは魔王リュートが住む場所なのだ。

 ロイの動向が分かっていないとなれば、魔族たちも全力で警護にあたっているはず。

 手負いのロイがそれを突破する可能性はかなり低い。

「だが万が一ということもある」

 しかしゼロではない。

 そして、それがゼロでなかったときの対価は私の命だ。

 であれば軽視できる可能性ではない。

「そういうわけだ。奴の生死がはっきりするまでは出歩くな。少しでも危険を感じたら、ためらわずオレに声を飛ばせ」

「……わかりました」

 リュートからの忠告に、私は頷いた。



 リュートが立ち去ってからのこと。

 1人になった自室で私は考える。

(まだ、ロイが生きているかもしれない)

 これは、最後のチャンスなのではないかと。

 人間と魔族。

 結局は何も選べなかった私が、生き方を決めるための最後のチャンスなのではないかと。

(どうするの?)

 選ばなかった結果、私の気は晴れたのか。

 正直なところ、少しだけ安心してしまったのも事実。

 だが同じくらいの罪悪感もあった。

(このまま何も選ばないまま、すべてを運に任せるの?)

 なのに、また見過ごすのか。

 選ばず、為すがままに身を任せてしまうのか。

「そろそろ、選ぶときよね」

 そうも言ってはいられないだろう。

 私はこの世界を生きている。

 この世界を生きていたいと決めたはずなのだ。

 であれば、都合の悪いところは無視をするというわけにもいかない。

 この世界を生きていくのなら、答えを出さなければならないはずなのだ。

「呪術に大事なのは、相手への関心……だったわね」

 私は懐から紙の人形を取り出す。

 人型をかたどっただけのシンプルな紙の式神。

 あいにくと私には日常的に行うべき役割がない。

 だから空いた時間を呪術の練習に注いだ。

 ゆえに今ではそれなりの練度で呪術を扱えるようになっている。

「だとしたら……私に探せないキャラクターはいない」

 相手を害する必要はない。

 ただ、相手の居場所を探索するだけ。

 その程度の呪術なら問題なく行使できる。

 問題は索敵範囲だが――

「ロイ=バックスを追って」

 呪術を行使するうえでもっとも重要な要素は心。

 技術はあくまで補助でしかない。

 聖魔のオラトリオのファンであった私は、対ネームドキャラ限定ではあるが高次元の出力で呪術を扱える。

 他の誰かにはできなかったとしても、私なら――ロイの居場所を見つけられる。

(ロイを見つけて、彼を逃がすか……殺すか)

 見つけて、どうするのか。

 人として、彼を助けるのか。

 魔族として、彼を殺すのか。

(人の味方をするのか、魔族の味方をするのか)

 ――決めなければならない。

 中庸なんてない。

 傍観者ではいられない。

 私はもうこの世界の住人で、当事者なのだ。


「もう……この世界が好きなだけのプレイヤーじゃいられないの」

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