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第72話

 時間としては30分頃だろうか。

 魔王城周辺へと散開していた紙人形たち。

 その内の1つが私の手元へと帰ってきていた。

「――見つけたのね」

 放った式神の1つがロイを見つけたらしい。

 私は椅子から腰を上げる。

 大きく息を吐く。

 緊張は消えない。

「行かなきゃ」

 だが、いつまでもここにはいられない。

(こんな感じかしら?)

 私は胸元に手を伸ばす。

 そこにあるのは、先日リュートからもらったネックレスだ。

 これは縁結びの呪いがかけられており、彼に呪術を飛ばしやすくなるらしい。

 だから私は学んできた呪術の1つ――声を伝達するための呪いを行使する。

『どうした?』

 耳元でリュートの声が聞こえてきた。

 だが、彼がここにいるわけではない。

 城外にいるであろう彼と呪術で声を飛ばし合っているのだ。

 スマホがないこの世界では数少ない遠方と会話を行える手段である。

「……魔王様」

 少し口が渇く。

 それは間違いなく後ろめたさの裏返しだった。

『その様子から察するに、襲撃を受けているというわけではないようだな』

 落ち着いた様子の声。

『なにか伝えたいことがあったのか?』

 彼は問いかけてくる。

 本来、これは私が緊急事態に陥ったときに助けを呼ぶためのもの。

 しかし私の声色から、危機が迫っているわけではないことを理解してくれたのだろう。

 そして――それでも彼と話したいだけの理由があったことも。

「……これから、ロイ=バックスのところに行こうと思います」

『……なに?』

 リュートの声が神妙なものに変わる。

『まさか奴の居場所が分かったのか?』

「はい」

 私は首肯する。

 ふうっと。

 リュートが息を吐く音が聞こえた。

『分かった。オレもすぐに城に戻る。だから――』

「……すみません」

 真剣なリュートの声。

 私はそれを遮った。

 謝罪の言葉を言い捨てるようにして、私は通話を断ち切った。

「…………やっちゃったわね」

 完全なやらかしである。

 だが、気にしても仕方がない。

「だけど、行かないと」

 私はこれから、もっと盛大なことをしでかすのだから。



 魔王城の庭園から続く川。

 それは傾斜に従って長く長く流れてゆく。

 そんな川の流れの途中。

 びちゃりと音が鳴る。

「く……はぁ……!」

 水中から伸びた手が、川岸の芝を掴む。

 そのまま男性――ロイ=バックスは自身の体を地上へと引き上げた。

「なんとか……逃げきれたか」

 仰向けに転がるロイ。

 息も絶え絶えと言った様子の彼は、その場でただただ呼吸を繰り返す。

 荒い呼吸にあわせ筋肉質な胸板が上下していた。

 濡れた体からは血が流れており、水中にいたせいかまだ赤い染みは広がり続けている。

「とはいえ、この体では魔族領の外まで逃げられるかどうか……」

 あいにくと私は医療の知識はない。

 だが彼の容態が芳しいものでないことは分かる。

 彼が意識を保っているのは、彼が強靭な肉体と精神を有しているからでしかない。

 凡人であれば今頃は死体となっていることだろう。

「魔王の生存、か」

 ロイはそうぼやく。

「必ずノアに伝えなければ」

 まさに満身創痍。

 だというのに、彼は体勢を変えると立ち上がろうとする。

「ぐっ……」

 とはいえ限界は近いのだろう。

 彼は完全に身を起こすことはできず、四つん這いの姿勢のままうつむいていた。

「傷薬は……ちっ」

 懐をあさるロイ。

 しかし彼は舌打ちを漏らす。

「川に落ちたときに流されたか……?」

 あれだけの怪我。

 必死に川へと飛び込んで逃げたのだろう。

 そうなれば持ち物を失くしてしまうのも仕方がないことだろう。

「……少し休むか」

 このままでは動けないと判断したのだろう。

 彼は再び、芝の上に寝転がる。

 しかし――

「ッ!? 誰だッ!」

 ――彼は鋭く叫んだ。

 彼の視線にあるのは、紙で作った人形。

 ――私の式神だ。

「紙……式神か?」

 怪訝な表情のロイ。

 しかしすぐに、彼ははっとした表情を浮かべる。

「まさか――」

 彼はもう察したのだろう。

 自分を追っている存在に。

 それが誰であるのかを。

「…………」

 ――もう隠れていても意味がないか。

 そう判断し、私は茂みから身を引き抜いた。

 そしてロイへと対面する。

 距離にして5メートルほど。

 しかしそれでもロイの鋭い視線は私へと刺さる。

「やはりお前か……魔女」

 忌々しげなロイの表情。

 あれだけの怪我でもほとんど表情をゆがめていなかったというのに。

 私の顔を見せられるのは、傷の痛みよりも苦痛らしい。

「どういうつもりだ? 魔王の御機嫌取りは良いのか?」

 皮肉を口にするロイ。

 しかしその声にキレがない。

 それほどまでに衰弱しているということだろう。

「……ええ」

 私はどこかふわふわした気持ちで足を進める。

 そして手は懐へ。

(なんとかロイを見つけられた)

 できるだろうとは思っていた。

 それでも、彼をきちんと見つけられたことに安心した。

 そして同時に心が重くなった。

(だから……あとは選ぶだけ)

 だって、これから私は選ばなければならない。

 そして示さなければならない。

 この世界で、自分がどう生きるのかを。

(人間と魔族)

 この世界を生きる上で、避けられない命題。

 私が出す答えは――

「ロイ=バックス」

 ゆっくりと彼の名を呼ぶ。

 噛みしめるように。

 刻みつけるように。

「きっと貴方にとっては驚くようなことじゃないんでしょうけど」

 彼は知らないだろう。

 私がエレナ=イヴリスではないことを知らないから。

 そんな私が、この決断をするためにどれほど葛藤したかなんてわからないだろう。


「私は――貴方を殺します」


 私は魔族の味方として、ロイ=バックスを殺す決意を固めた。

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