ここを訪れるのはかれこれ何度目だろうか。
ふとそんなことを思う。
魔王城の地下にある研究室。
私はそこでリュートと2人きりの時間をすごしていた。
とはいえそれはロマンティックな意味合いではない。
あくまで私は、魂の研究をするための検体なのだから。
「どうした?」
そんな思考が仕草に出ていたのだろうか。
リュートが問いかけてきた。
「いえ、最近はここで過ごす機会も減っていたな……と」
私は微笑んでそう返す。
「たしかにそうだな」
最後にここを訪れたのは、たしかソーマを元の世界に送り返してすぐだったか。
あれからすぐにロイの件があって、リュートのそちらにかかりきりになっていたのだ。
城を訪れた当初はもっと頻繁に研究をしていたのだが、それだけ周囲が慌ただしかったということなのだろう。
「あの……例の件は」
「ロイ=バックスのことなら、おそらくもう逃げられただろうな」
躊躇いがちに尋ねるも、彼はあっさりと答えた。
私がロイを殺そうとしたあの日。
それ以降、彼は誰にも見つかることはなかった。
そんな状況がすでに1週間以上経っている。
「いくら深手を負っているとはいえ、もう魔族領を逃げ出すには充分な時間が経った。死体が見つからない以上は、逃げ切ったと考えるべきだろう」
リュートはそう語る。
あのとき、ロイはかなりの重傷を負っていた。
そのまま死んだというのなら死体くらいは見つかるはず。
しかしそうはならなかった。
ということは、彼は逃げ切ったということなのだろう。
さすがというべきなのかもしれないが、素直に喜べない。
「だからこうして、オレのやっておきたかったことに手を回す余裕ができたわけだ」
お世辞にも好ましいとは言えない状況。
一方で、リュートは軽くそう答えた。
――私が気に病まないための気遣いかもしれないけれど。
「…………」
(そうは言っても、きっと裏では色々と動いてるんでしょうね)
リュートはそういう性格だ。
ロイが逃げたのなら。
リュートの生存はすでに聖王国に伝わっていると考えるべき。
そんな状況で、彼がただ無為に時間を過ごすわけがない。
来るべき波乱に向け、準備を整えているはずだ。
「そういえば」
そんなことを考えていたとき、ふと私はあることが気にかかった。
「今日はいつもより時間がかかっていた気がするんですけど……なにかあったんですか?」
ここには時計がない。
だから体感でしかない。
しかし今日はどうにも、いつもより時間がかかっていた気がしたのだ。
(女神の力が目覚めたりもしたし、体に異常があったり……なんて)
考えたくはないが、ありえない話ではない。
特に自覚症状があるわけではないのだが……。
「いや、大したことではない」
そんな私の不安をリュートは否定する。
「最後の仕上げがあったからな。こいつの調整をしていただけだ」
彼が取り出したのはブレスレットだった。
銀製なのだろうか。
文字のようなものが刻まれているだけで、ほとんど装飾もないシンプルなデザインだった。
「それは……?」
私が聞いてみると、リュートは笑みを浮かべた。
「研究に付き合わせておいてタダ働きというのも悪いと思ったからな」
そう語る。
とはいえ、そもそもは城に住まわせてもらう対価として研究を手伝っていたのだ。
タダ働きではない気がするのだが。
「簡単に言えば、変装の魔道具だな」
そう言って、リュートはブレスレットを手渡してくる。
刻まれている文字はおそらく魔道具としての機能を司るもの。
一方で、他の装飾はいさぎよいほどに取っ払っているあたり、彼は私の好みをかなり理解しているようだった。
これなら日常的に着けても邪魔にならないだろう。
(ロイが使っていたようなものかしら)
変装の魔道具ということは、そういうことだろう。
なぜそれをプレゼントされたのかという疑問は浮かんでくるけれど。
「呪術の扱いにも慣れてきたようだからな。魔力の操作も多少はできるようになっただろう? 魔道具に魔力を流してみろ」
リュートがそう促してくる。
――呪術は魔術のように魔力を扱う技術ではない。
だが特殊な力を操るという点に違いはない。
実践的な魔術を使うのならともかく、物に軽く魔力を注ぐくらいなら今では問題なく行えるようになっていた。
(こんな感じに……)
意識を少しだけ集中させ、私はブレスレットに魔力を注ぐ。
量としてはほんの少し。
これくらいならウォーキングほどの疲れもない。
「あ――」
起動する魔道具。
私の体が光に包まれてゆく。
ほんの数秒の後、発光がおさまれば――
「ふむ……なるほど」
リュートは興味深そうに声を漏らした。
「それが……本当のお前なのだな」
「?」
彼の言わんとすることが理解できない。
私が首をかしげていると、彼は笑みを漏らす。
「姿を確認してみろ」
ほんの少し指を動かすだけ。
それだけで、私の眼前に等身大の鏡が顕現した。
どうやらリュートが魔術で作り出したらしい。
「これは……」
鏡に映る自分の姿。
それを見て凍りついた。
体が、思考が。
――そこにいるのは1人の少女。
纏っているのは、着慣れた黒いドレス。
しかしその容姿は――
(……元の姿に戻ってる!?)
私がこの世界を訪れる前の、会社員として生きていた頃の姿だった。
見慣れていた、それでいてもう見ることはないと思っていた姿。
思わぬ再会に私は身じろぎもできない。
「お前の魂から、元の容姿を逆算してみたのだが――どうだ?」
彼はそう笑いかけてくる。
(それってすごい技術なんじゃ……)
私の魂を観測し、そこから私の本来の姿を予測する。
言葉にすればシンプル。
だがそれを現実にしようと思えば途方もない。
素人でもとてつもない技術だと分かる。
「……そっくりすぎて驚いてます」
そう答えるのが精一杯だった。
「し、強いて言うなら本物より若々しい感じが……」
気のせいでなければだが、以前より肌が綺麗なような気がする。
みずみずしいというか。若々しいというか。
「それはエレナ=イヴリスの肉体の影響だろうな。肉体にあわせた年齢へと巻き戻ったのだろう」
「なるほど……」
つまりこの世界に来る直前の姿ではなく、エレナの肉体年齢と対応した元の姿に変身しているというわけか。
なるほど。
ティーンエイジャーの頃の私はこんなに若々しかったのか。
10年足らずであんなに老け込んだのかとも言えるのだけど。
「こっちではもう元の姿で出歩いても問題はないだろうが、人間側の国ではそうもいかんからな」
リュートの言葉にうなずく。
魔族領で暮らし始めてから、すでにしばらく経っている。
おかげで今はもう嫌悪を向けられることも減っていた。
しかしそれは魔族領での話。
人間側からの悪感情はまったく薄れていないことだろう。
それこそ、人の町に入ろうものならすぐに石を投げられるはずだ。
「普通に変装の魔道具を渡しても良かったのだが……どうせなら、元の姿に戻してやりたいと思っていたのだ」
「……ありがとうございます」
私は深々と頭を下げる。
ずっとエレナとして生きていくと思っていた。
だが、未練がなくなっていたわけではない。
20年以上付き合ってきた体なのだ。
魔道具による変装だとしても、再び戻れて嬉しくないはずもない。
「まあ、オレが見てみたかったというのもあるがな」
「え?」
私が感動に打ち震えていると、リュートが手を伸ばしてきた。
彼の指が、優しく私のあごを持ち上げる。
そうして上向きになった視界の先には、当然ながらリュートがいるわけで。
2人の視線が交わる。
「ようやく会えたな。レイナ」