「エレナ=イヴリス。リリ=コーラス。お前たちを、この領から追放する」
リュートが告げる。
それは宣言だ。
彼が王として君臨するこの国の民ではなくなることの。
彼の仲間ではなくなることの。
「え…………?」
リリが呆けた声を漏らす。
彼女にとって、リュートは自分の人生を変えてくれた恩人。
そんな彼から離別を告げられる。
その衝撃は私が受けているものとは比較にならないのだろう。
「今すぐに、お前たちは魔族領を立ち去れ」
そんな彼女の声に反応することはなく、リュートは言葉を重ねる。
「そして――決して戻ってくるな」
より強硬に。
反論を許さないというように。
「お前たちは我々の仲間などではない」
彼は丁寧に述べてゆく。
耳をふさぎたくなるような言葉を。
「人間は人間どもの国で暮らせばいい。二度とオレたちの元に現れることは許さん」
「それって……どういう……」
「そのままの意味だ」
リュートの言葉を受け、リリが顔を伏せる。
しかし私に彼女をフォローするだけの余裕はなかった。
彼の宣言の意図が、すでに分かっていたからだ。
その裏にある彼の気遣いも。
(私もリリも、魔族ではない生き方ができるから)
――私は、元の世界の姿に戻れる魔道具をプレゼントされた。
――リリの翼と光輪は本人の意思で消すことができる。
私たちだけは魔族としてではなく、普通の人間として生きていけるのだ。
――魔族が滅んだ世界を、人間として生きていけるのだ。
(この戦争は、魔族にとって不利な要素が多い)
たしかに種族の平均値として、魔族のほうが人間よりも強力な力を持っている。
しかし、その最大値となれば話が変わる。
魔族の王である魔王。
人間の希望である聖女。
両種族の頂点が戦ったとき、弱体化しているリュートは不利な立場に立たされる。
どちらかが滅ぶまで戦い続けたとき、魔族が負ける可能性が高いのだ。
もっとも、人間側も致命的に近いダメージを受けることが予想されるけれど。
(だからせめて、事前に私たちでも逃がそうとしている)
ともかく、魔族の陣営として戦争に望むことはかなりのリスクであるというわけだ。
だから追放という形で彼は私たちを逃がそうとしている。
魔族ではない私たちが、魔族という種族と命運を共にすることを避けるために。
(それって……そういうことなのよね?)
すでに彼が生存を諦めているとは思わない。
それでも彼は、無視できない確率の未来として自分が死ぬことを覚悟している。
そういうことなのだろう。
「えっと魔王様……? 冗談……ですよね?」
リリも本当は薄々ながら察しているのだろう。
それでも信じられない。信じたくない。
そんな心のままリュートに問いかけている。
「冗談でオレがこんなことを言うと思っているのか?」
「えっと……そ、そうだっ……これも何かの作戦だったり……」
人間との戦いに向けた一手なのではないか。
そんな現実逃避に等しい言葉。
しかしリュートはそれに応えない。
「ぁ……ぅ……」
居心地の悪い沈黙。
それに耐えきれず、リリが一歩引いた。
「……エレナちゃんも何か言ってくださいよぉ」
「…………」
すがるようにこちらへと向けられるリリの視線。
しかし答える言葉があるわけがない。
リリの心を救う言葉も。
リュートの決意を変える言葉も。
私の中にあるわけがない。
「このゲートは領の外へと通じている。早々に立ち去れ」
リュートが軽く手を振ると、室内にワープゲートが現れる。
彼の言う通り、それは魔族領の外へとつながっているのだろう。
そしてこれをくぐってしまえば、もうここには戻れないというわけだ。
「……はい」
私にはこの状況を変えられるだけの力も知恵もない。
そんな私にできることといえば、少しでも彼の憂いがなくなるとう立ち去ることだけなのだろう。
「魔王様っ! 私は――!」
「リリ。何度も言わせるな」
「っ……!」
リュートからの拒絶に、リリは涙を浮かべる。
伏せられた顔から落ちた涙が絨毯へと染み込んでゆく。
(リリにとって、魔王様は人生を変えてくれた人なのよね)
迫害の対象だった彼女を、リュートは拾った。
彼が、彼女に居場所を与えた。
それから彼女はリュートに多大な恩義を感じているのだ。
(そんな彼を置いていくなんて、彼女にはできない)
それでも、だからこそ。
「行きましょう」
だからきっと、彼女の手を引くのは私の役割なのだ。
それが唯一、今の私にできることなのだ。
「エレナちゃん……」
「……ごめんね、リリ」
思わず謝罪の言葉が漏れる。
「私のせいでこんな目に遭わせちゃって」
(もし私がここにいなくて)
私は知っている。
聖魔のオラトリオ、そして続編にあたる聖魔のオラトリオReverse。
そこで紡がれる物語を。
(この世界が、原作の通りに進んでいたのなら)
そんな、私がいない世界で起きるはずだった世界の道筋を知っている。
だからきっと、そうなのだ。
あのシナリオになかった悲劇が起きたとしたのなら、その要因は私なのだ。
(きっとこの戦争は起こらなかったのよね)
リリとリュートが結ばれるシナリオでは、長い間を2人は添い遂げたのだから。
人間との全面戦争なんて、一行たりとも描写されていなかったのだから。
だからこれはきっと、私のせいなのだ。
私がここで生きていた。
その事実が引き起こした罪なのだ。
「そんなこと……!」
私の謝罪を否定しようとするリリ。
すべての悲劇をすべて自分のせいだと触れ回るのは傲慢かもしれない。
私が知らなかっただけで、私がいなくとも起こりえていた未来なのかもしれない。
だが、
「本当にごめんなさい」
それでも、もしかしたらと思ってしまうのだ。
自分がいなければ、と。
それが悲劇に酔うような独りよがりでも。
私がどこかでもっと賢い選択をしていたのなら、なにかが変わっていたのではないかと。
「……魔王様」
しかしそれも終わってしまったこと。
女神の力を少しだけ使えるようになったとして。
私には時間戻すことなんてできないし、戦争を終わらせるだけの力もない。
「…………なんだ?」
「ありがとうございました」
できることはきっと、最後くらい彼に迷惑をかけないように消えていくことだけなのだ。