(猫風情が布陣札で私に挑むとは愚かしい。圧倒的な勝利を飾り、従者の前で辱めてやろう。二度と純人族に逆らえぬようにな!)
(自分から提案をしてきたのだから、自信があると見てみていいわよね。ムカつく相手だけど本気、…で挑まないと)
「今回は変則的に互いの従者から審判者を出しましょう」
「互いが互いの如何様を警戒すると。よかろう」
ノチェドは自身の護衛を見回し、一人と視線を合わせれば前へ出て審判となる。
「シェオをって言いたい所だけど、私との関係が近すぎるから公平にゼラがお願い」
「そうなりますよね」
「。」
少しばかり残念そうなシェオは観戦者側へと下がっていき、小さく肯いたゼラが卓横へと着いた。…退屈そうな面持ちで。
「道具の確認をしても?」
「どうぞ、ご自由に」
チマが先ず手を取ったのは砂時計。両方を同時に引っ繰り返しては時間の経過を確認し、双方に誤差がないことを確かめた。
(札ではなく砂時計を確かめるあたり、実力者か)
(札の方にも…
「そちらが勝ったら謝罪を要求しましたよね?」
「ああ。誠心誠意、心の籠もった謝罪をな」
「私が勝利した場合は、この画廊に関わる皆とドゥルッチェ王国への謝罪をお願いしたいのですが」
「貴女自身にしなくても?」
「不要よ。私自身には時間以外の被害が無いし。謝罪を求めない代わりにこの道具一式をくださらない?欲しくなっちゃったのよ、この一級品を」
「……よかろう。試合を始める前に精神統一の時間をもらうぞ」
「どうぞ」
瞳を閉じて呼吸を整えるノチェドを横目にチマは膝に乗ってきた猫を床に下ろして優しく追い払った。
(あのー…シェオさん、大丈夫なんですか?)
(布陣札なんて賢いお偉いさんがする盤面戦争だろう?未だ年若いチマさんには厳しいのではないか?)
ペリーニェとマカローニは堂々と椅子に腰掛けるチマへ視線を向けながら、観戦側にいるシェオへと尋ねていた。
(ポップコーンでも片手に楽しんでもらって問題ありませんよ。お嬢様は恐ろしいほどに布陣札が得意なんですよ)
精神統一を終えたノチェドとチマは厳かに試合を開始する。
シャ、カタ。…。シャ、カタ。…。
チマは配られた三枚の札から一切の迷いなく一枚を手元に残し、二枚を捨て札へ置いて砂時計を寝かせる。
(早い。配られた札を最効率で選ぶ、確実に手慣れている。年頃は…一二か一三くらい?然し私が知らない以上は公の試合への出場がない挑戦者。卓越者側に回るのは気分がいい)
ノチェドは口端を釣り上げて山札を構築する。
ノチェドは焦っていた。
局面は2-2。盤面を見れば圧倒的に彼の有利な状況なのだが、それがこそが原因である。
(ここを譲られる。…相手の動きを見るにこちらの山札は完全に理解されており、こちらは僅かな情報を欠いている状況。僅か、僅かな情報の差は布陣札の勝敗を分けるに至る。ここは札を出させたいが…手札が良すぎる)
(この盤面を譲って欲しい札を拾える確率は然程高くない。けれど持ち札は秘匿して譲り、確率を上げられるのなら、十分)
2-3。客観的に見れば不利に転じたチマを目にしたペリーニェとマカローニは、顔を顰めて勝利を祈る。
布陣札は山札構築の段階から運要素を孕み、駒遊戯や石遊戯と比べれば運否天賦の稚拙な遊びだという者がいる。まあそれを否定する者もいるのだが、大体は自身が上手くなったと思い上がる己惚屋だったりするが。
「「…。」」
ならば如何にして実力を高めるか、勝率をあげるのかといえば、山札を構築する選抜に於ける捨て札と相手が構築するであろう山札の理解。そして相手との読み合い、喰らい合いである。
「……。」
ノチェドは強者であった。先代先々代と布陣札が弱く政の際にも秀でていない凡々な当主続きの中で産まれた、布陣札で優秀な実力を有するウォルドラ家の一角の希望でもあった。
(最初の試合で1得点を奪われた時、
チマ4-ノチェド3の局面、ノチェドは敗北を察して椅子へ
「私の勝ちね、ノチェド様?」
「はい。私の負け、完敗に御座います、アゲセンベ・チマ様」
「よしっ!こんなにも綺麗な道具一式をもらえるなんて幸運ね」
一度深呼吸を行ったノチェドは席を立ち、両膝を床に着けた状態で頭を垂れる。
「此度は私ノチェド・ウォルドラが無礼を働いた事、お詫びさせて頂きます。誠に申し訳ございませんでした」
「ふんっ、いい勉強になったろう。今日の恥や屈辱を忘れぬようにな」
「はい」
未遂では有るが養子を斬りつけようとしたのは事実であり、マカローニは思い出したかのように腹を立てては顔を背ける。チマの活躍に免じてこれ以上の追及をする心算はないようだが、次回画廊へ足を運んだ際の交渉は難しくなるだろう。
「ドゥルッチェ国及びドゥルッチェ王家を侮辱したことを、此処に謝罪させていただきます」
「貴方が態々自分の醜態を口外しないのであれば誰も問うことはないでしょう」
「感謝します」
「それじゃあ今日は私の貸し切りだから、ノチェド様は回れ右を。しっかりと後日、開館している日に足を運んで絵画を楽しんでくださいね」
「はい」
ノチェド一行は一応のことを道具の片付けだけを行い、チマに一式を差し出してから画廊を後にした。
(本日の屈辱を忘れることはないだろう。…然し、ロォワ王レィエ宰相という切れ者に隠れて、アレだけの盤面支配を出来て且つ高位の“記憶系スキル”を保有する実力者がいると知れたのは朗報。……恥を忍んでマーチェド元首と接触をせねば)
布陣札を、圧倒的な実力差で負けた以上、ノチェドは事を大きくすることはない。彼は何れの再戦を想定し牙を研ぐのであった。
「いい勝負だったわ」
手に入れた道具一式を眺めながら、ほくほくと喜ぶチマを見てマカローニとペリーニェは安堵の吐息を吐き出す。
「素人目では結構危ない試合だったようにも見えたが…、態々危ない橋を渡る必要があったのかや?」
「2−3になって優位を持ってかれてたよね?肝を冷やしたよ〜」
「あそこは勝ちを譲ることで捨て札から欲しい札を引き抜いたのよ。あそこで引けなければもう一試合落として、残り三試合を捲る予定だったわ」
「え?」
「正直5−2で八分勝てた試合。相手が何を拾っても。実力が違った」
珍しくゼラが説明しチマが頷いた。
「八分で勝てる試合より相手に勝ちを譲って十分の勝ちを拾いに行く主義だし、二分って馬鹿にできない確率よ」
「。」
ゼラは頷く。
「今日はこめんなさいね。もっとゆっくりと絵画を鑑賞したり取引交渉をしたかったし、ペリーニェの時間も多く浪費させちゃったわ」
「あたしは全然、すごい勝負も観れたしいいよ」
「取引なんかはまた次回すれば良いさ」
「ありがと」
席を立ったチマはググッと伸びをして一礼をする。『ご高覧ありがとうございました』と。
チマ御一行が乗る車輌を見送ったマカローニは瞳を閉じて、真剣な表情で盤面を見つめるアゲセンベの姫を思い出し、画家としての血を滾らせる。
「ラザーニャ!」
「はいっ!」
「チマさんがパスティーチェを発つまで何日有る?」
「二〇日無いくらいかと」
「…、よしならば間に合う。一作品を仕上げるぞ、お前たちは道具の準備をして、トネッテは儂の予定を全て来月へ押し退けろ」
「「「はい!」」」
養子、いやマカローニの子らは一斉に動き出す。