パスティーチェ滞在も残り少しとなった休日、チマはマカローニへ別れを告げるため、画廊兼自宅を訪れていた。
「よく来たなチマさん」
「元気そうね、マカローニ。ご機嫌な様子だけど、何かいいことでもあった?」
「いやなに、間に合ったというだけだ」
「そう?」
何のことか分かってないチマは、首を傾げながら玄関へ足を踏み入れる。
それからジェノベーゼン学園での事や、パスティーチェでの生活の事を中心に、今現在どういう生活をしてどう楽しみ何を学んでいるかを話せば、マカローニは孫との会話を楽しむが如く穏やかな表情で相槌を打つ。
「意外とパスティーチェでの生活が肌に合っているのだな」
「おいそれと外に出れないし、広いお庭もないから運動不足気味だけどね」
「宿暮らしでは狭いか」
「狭いわ。今までお屋敷以外で長期間の生活をしたことなんてなかったから尚更。次に来る時は自由に出来る庭のある宿を取りたいものね」
これは嫌味ではない。広々としたお屋敷で生活し、毎日のように運動を行ってきたチマの、そして夜眼族の住まうカリントの雄大な大地で培われた遺伝子による感覚なのだ。
「マカローニへ会いに」
期待の籠もった視線と共に、チマは付け加えた。
「そうかい。チマさんにそう言われちゃ長生きしないわけにもいかんか」
「是非。憧れの人なんだから、長生きしてもらわないと」
先のない老人と夜眼族の娘は確証のない口約束を行いながら、茶で喉を潤した。
「それでだな。チマさんに贈り物がある」
「贈り物?」
「前回、購入する絵画が決まらなかったろう?だからこちらから一枚の絵を贈ることにした」
「あら。お代なら払うのだけども」
「残念ながらこれは非売品で、売ること出来ない」
特別な絵画であると悟ったチマは、養子たちが運んでくる一枚の絵画から視線を離さず、布が外されるのを待つ。
するとそこには、布陣札を行う真剣な眼差しをしたチマが、今にも一枚の札を盤面に置こうとしている瞬間が切り取られ描かれていた。
一目でマカローニと分かる画風、窓から差した一筋の光に照らされたチマは凛々しく、そして可憐さも兼ね備えている。
「題名は『盤面の姫君』。期間も期間だから最高傑作とは呼べんがな、良い仕上がりになったと自負している」
「…。」
言葉を発する事のないチマは、近寄って様々な角度から絵画を検めると、顎に手を当て首を傾げる。
「…。」
「これ、ラザーニャも協力しているわね。物凄くマカローニの画風に寄せているけど、僅かずつ違和感があるわ」
「おぉ…」
「うへー…」
マカローニとラザーニャは似たような仕草で瞳を逸らし肩を竦める。
「親子の共同作品、いいじゃない。返せって言われても返さないし、アゲセンベの屋敷に飾ってあげるわ」
「人真似ばかり上手い娘だが、何れチマさんの役に立つだろう。ドゥルッチェ王国へ連れて行ってくれるか?」
「お願いします、チマ様」
「…。納得しているのね?」
「「はい」」
「わかったわ。一緒にいらっしゃい、使用人兼画家として雇ってあげるわ」
折れたチマは少し寂し
深々と頭を垂れるマカローニと養子たちの姿は生涯忘れることはないだろう。
「時間を作って
「うっ…」
思い出したかのように顔を
「では素敵な絵画をありがとうございます、マカローニ様。我が至宝として大切に保管及び展示を行いますね」
「気に入ってもらえたようでなによりです、アゲセンベの姫様。貴女とお会いし、卓を挟み歓談を楽しんだ時間は生涯だけでなく後の時間に於いても忘れることは御座いません。お帰りの際は長い旅路となります故、安全と幸運をパスティーチェの地より祈っております」
二人は慇懃な礼をしてから、簡単なハグをしてから一歩ずつ退く。
「本当にパスティーチェへ来て良かったと心から思えるわ。ありがとねラザーニャ」
「滅相もないです。いやホント、お許しいただいた上に遠い異国までご足労いただきありがとうございました。そしてこれからよろしくお願いします」
「こそ泥稼業に手を汚してアゲセンベ・チマ様の顔に泥を塗らないようにな…」
「しないって。本当に痛い目を見たんだから」
「殴られただけで五体満足、指も生え揃っているのだから痛い目には含まないよ…」
「そうかもね。トネッテも皆も元気で、私はドゥルッチェで生きていくから」
「…元気でな」「静かになっちゃうね」「偶にはお休みもらって帰郷しなさい」
「…。儂から言うことはもうない。………。元気でな」
「親父もね」
バツの悪そうな表情をしていた二人だが、最後にはハグをして別れとした。
「『お父さん大好き』とか『今までありがとうございました』とか『愛してる』とか、そういうのは言わないの?私がお父様お母様とお別れすることになったら、そんな簡単な挨拶では済ませないわよ?」
「死んでも言うものか!」「死んでも言いませんよ!」
「ふふっ、必要ないということね。それじゃまたね、マカローニ」
「ああ、またな、チマさん」
車輌へと乗り込んで小さな別れを惜しみながら宿へと戻っていく。
「今生の別れにはならないわ、きっとね」
「どうでもいいですよ、あんなの」
人生の半分近くを親と慕ったマカローニからの別れにラザーニャの視界は僅かに歪んでいて、表情を見られないよう