猫を追っていったチマ一行は食堂を抜けて食材倉庫へと辿り着く。
ここは猫たちが害獣駆除を行う職場であり、食堂の調理職員から食事を貰える場所でもある。
そんな場所を進んでいると学園の猫が集結しているかのように数匹の猫たちと、負傷した調理職員、逃げ遅れた生徒の計二人蹲っていた。
「負傷しているわ!リン!」
「お任せを!回復魔法持ちなんで、負傷の治癒を行います!」
「あ、ありがとうございます…。えっと、ドゥルッチェの猫姫様と一年のバキューさん、ですかね?」
「そうよ。二人は逃げ遅れでいいのかしら?」
「はい。この子は負傷した私を此処まで運んでくれた生徒なのですが、手当を行っている間に逃げれる雰囲気ではなくなってしまい、猫たちと身を潜めていたのです」
「幸いなことに魔物は姿を見せることは無かったのですが、外を覗いてみれば鎧の化け物がいまして…。あっ、僕はグイネで、」
「私はアノーリです」
困った表情の二人は貴重な回復魔法を施してもらったことに礼を言い、どうしたものかと溜息を吐き出す。
「…流石にここにいては危ないし、外へ逃してあげたいのだけど。距離的に大丈夫かしら?」
「護衛しながらの移動か。あんまりそういう修練は積んでないんだよな」
「僕は一応第六騎士団で、稽古をつけてもらっていますが…っ相手が相手なので」
「恥ずかしながら腰が抜けてしまって…歩くのもやっとこな状況なのです。私のことはいいので、せめてグイネ君の事だけでも逃がしていただけませんか?」
腰を下ろしているアノーリは立ち上がろうと試みるも、脚は震え、腕にも力が入っていない。走って突破する事はおろか、歩いての移動にも四苦八苦するのは容易に想像がつく。
「残念だけど、」
「「…。」」
「どちらか一人を見捨てるなんて事はできないわ」
我儘なチマの発言にリンたちは胸を撫で下ろし、アノーリは困り果てた。
「とりあえず索敵と偵察をして、比較的安全に、リンとビャスが二人を背負って移動出来るだけの道順を探す必要があるわね」
倉庫から飲み物の瓶を拾い上げたチマは一口飲んでは倉庫を出る準備を行う。
「チマ様が行くのですか?!」
「ええ。スパゲッテとビャスは主戦力だから防衛戦力として置きたい。リンはどちらかが負傷した際の治療もだけど、…高いところは苦手だったでしょ、崖の上とか。屋上で周囲を確認する
「今すぐに落ちそう、って場所じゃなければ大丈夫です、…きっと。…まあチマ様なら機動力もありますから、いざという時に魔物を撒くことが出来ますよね…。うーん…」
「私は護る戦いが得意じゃないのよ」
「わかりました。無茶しないでくださいよ」
「無茶を通さなくちゃ、この局面は変えられないわ。安全な札運びで勝てるのは上振れた時と、実力差が顕著な相手だけよ。…今はどちらでもない」
「…。待ってますから」
「待ってて頂戴」
不安そうなリンを抱き寄せ、背中を軽く叩いたチマは残りの飲み物を飲み干し、踵を返す。
「三人とも任せたわよ」
「はいっ!」「はい」「おう!」
振り返ることなくチマは踏み出す。
(意外と…数が少ない?)
周囲を最大限警戒しながら進むチマなのだが、今現在ほとんどの魔物は別の場所へと集結しつつあり、案外にも安全な状況だ。とはいえそれを知る手段はないので、尻尾を立てながら恐る恐る足を進めて屋上へと向かう。
多くの生徒を学園外へ逃がす手助けをしたチマたちの影響もあり、校舎内に逃げ遅れ隠れている生徒を見かけることはない。
順調に足を進め、施錠された屋上の扉を斬り破るとそこには仮面を着けた魔物の姿が。
「っ!」
咄嗟に剣を構えたチマだが、魔物は襲ってくることはなく空を眺めていた。
(今まで戦ったのよりも全然小さい。頭頂部の耳と尻尾…、西方の多種族?)
夜眼族とも思える姿形ではあるのだが、髪はなく頭部まで怪我で覆われ、脚部の構造や細かな部分がより獣らしくなっており、チマに同類かと尋ねても首を傾げる存在であった。
体長は一六〇センチほど。腰には幅広の剣を佩いており、何処か異質な雰囲気を放っていた。
「くすっ」
魔物はチマを見つけると小さな笑い声を零してから、腰に
襲いかかってくることなく、ただチマからの攻撃を待ち受けていた魔物へ、チマが踏み出し距離を詰めると、ひらりひらりと舞い落ちる紙の如く動きで側面を通り抜け当たらない程度に剣を振るった。
(今の動きなら踏み込みを入れることで反撃を入れられたはず。…私を殺す気がない?…確実に他の魔物と一線を画する相手ね、どうしたものかしら…)
「くすくす」
一歩踏み込む。相手は一歩遠ざかり、更に踏み込むとチマに生まれた小さな隙を指摘する為、魔物は脇腹をちょこんと突き、また距離を置く。
これを数度繰り返すとチマの呼吸は早くなり、鼻先や掌に汗が滲み出す。
「なんの心算よ…」
「。」
返答は無いが舞を踊る仕草を行う魔物。
なんとなく、チマには敵意というものが感じ取れず、剣を鞘へと収めれば魔物の方も剣を鞘へ収めチマへと歩み寄る。
(操られている近縁種族かしら?)
腕組みをし観察すると、魔物の方もチマに関心を表し一周してから尻尾をさらりと撫でた。
「きゃっ!?尻尾は触らないでよ!」
「くすっ」
飛び跳ねて逃げれば、また笑い声が一つ。
(抵抗しないのなら仮面を外してみましょ。駄目ならビャスとスパゲッテの許へ連れていけばいいし)
チマの方から歩み寄っても逃げることはなく、仮面に手を掛けても反応はなし。力を込めてみるものの、仮面は動くことなく、魔物そのものも全く動じない。
「堅ったいわね!ぐぐぐ、外れちゃいなさいよー!!勇者、だけしか、外せないとか、非効率すぎるし、負担が掛かりすぎる、でしょうが!!」
歯牙を剥き出しに両手で、全力で引っ張れば爪先が僅かに欠けながら。
「わ、きゃっ!?」
ベリッと仮面が剥がれてチマは吹き飛んでいく。
「いたた…、もう剥がれるなら剥がれるって…、ひぃっ!?!?」
仮面の裏側、そこには夥しい数の眼がギョロギョロと動いており、あまりの気持ち悪さに明後日の方へと放り投げた。すると仮面は砕け散り、砂のように霧散して消えてしまう。
「魔物の頭もだけど、…落ち着いたら夢に出てきそうね…」
「くすくす、大丈夫かな?」
「ええ。別に怪我とかはないのだけど」
「それなら良かった。恩義のある相手が怪我をしたなんて困ってしまうからね」
「?」
聞き慣れない声に顔を上げれば、夜眼族よりも獣味が強い顔立ちをした獣人。
「えっと、貴女は操られていたのかしら?」
「そうとも言えるし、違うとも言えるね。今がどれくらいの時なのかはわからないけど、僕は統魔『正心』を封じた神族の一柱だ。封印する際に自身を楔として打ち込んだのだけど、悲しいかな取り込まれてしまったんだ。困っちゃうよね」
「…。」
「まあ信じてもらえないか。君は…お父様っぽい雰囲気を持っているけど、見た目を加味すれば恐ろしいほど長時間が流れたんだろう。解放してくれてありがとうね、子孫ちゃん。くすっ、時間だ」
女神の身体は徐々に霧散してき、色を失っていく。
「統魔族が力を振るう状況に力を貸せないのは悪いと思っているけど、僕達の紡いだ炎は易々と消えないだろうから頑張ってよ。…『盲愛』くんもよろしくね」
(…。)
「わ、私はアゲセンベ・チマと言います!お名前をお聞きしても?!」
「僕はティニディアの子、“夜を見つめる眼”のキーウイ。それじゃあねアゲセンベ・チマちゃん」
笑い声と共にキーウイは消え去る。