夕餉や湯浴みを終えたチマは自室の長椅子に腰掛けて香草茶で喉を潤す。
「シェオ、ちょっと隣に座って?」
「はい。なにかお話しでも?」
「事件以来二人っきりになれることが無かったから少しね」
「承知しました」
頬を僅かに上気させたシェオがチマと同じ長椅子へ腰掛けると、彼女は遠慮なしに彼の膝に頭を乗せて下から見上げる。
「…お嬢様?」
「まあいいじゃない」
「私は湯浴みが未だでして」
「知ってる」と返したチマは上体を起こしてシェオの胸元に鼻を近づけて二度鳴らす。
「ちょっ、お嬢様、はしたないですよ?!」
「誰も見てないわ」
「見てなければいいってわけじゃないんですけども…」
「落ち着く匂いなんだから」
「…。」
小っ恥ずかしそうなシェオは天井を見つめて時間を過ごしていた。
「はぁ、満足。それで話しなんだけどね」
「あったんですね、お話し」
「ええ。気を利かせて私に聞いてこなかったけど、大きな魔物と戦闘してた時に、少し風変わりな私を見ていたでしょ?」
「…はい。見慣れない黒い剣と、片目を覆った仮面。その件に関して口外なさっておらず、秘匿したい事実なのかと思っていましたが」
「秘匿したいのは確かだし、…シェオにも未だね」
「旦那様と奥様にもお話しなさらない心算なのですか?」
「そうねぇ。話してしまって不安にさせるのは良くないと思うのよ、二人共忙しいじきでしょうし。仮面、という時点でよからぬものだと思われてしまうわ」
「仮面、ですか。…統魔族」
「…。」
なんの返答もないチマは、ただただシェオの瞳を見つめていた。
(統魔族の力を借りた、なんて不安を煽るだけだから。統魔族の襲来なんてよくあることじゃないし)
(お嬢様の身に何があったのでしょうか…?語らない以上、追求する心算はありませんが。お嬢様がそんなことをするはずはないのですが、自身の出生を話せなかった私への当てつけのようにも思えてしまう)
「何が、今後何があるかなんてわからない。…けれど。……、もし私が変わってしまっても、シェオは私の傍にいてほしいのよ」
「変わってしまわれる、のですか?」
「分からないわ。あの時は間違いなく私の意思を動いていた。だけど…次もそうとは限らないし、…なんとなくだけど、もう居場所のない一人ぼっちにはなりなくないの」
「畏まりました。私は生涯を掛けてお嬢様、いえチマ様をお支えすると決めていますので」
「ありがと」
「―――ッ」
チマはシェオの頬に
「んにー」
「あらマカロ。ただい、うげっ!?」
いつも通りのんびりと歩み寄ってくるものとばかり思っていたチマは、勢いよく飛び乗ってきたマカロの重さに吹き出す。尾先まで1メートルと家猫にしては大型の種類、体重もそこそこであり威力は十分であった。
「暫く家を空けちゃってごめんなさいね。うふふ、こんな甘えん坊になるなんて、子猫の時以来じゃない?」
腹の上でゴロゴロと喉を鳴らすマカロを可愛がり、チマは笑みを零す。
「今更ですけど、マカロはかなり大きな種類ですよね」
「虎とかを除けば最大だったかしら、西大陸から渡ってきた長毛猫と東大陸の猫の混血とか聞いたわね。…シェオ、いつか、よろしくね」
「はい」
「…。一応だけど」
「?。……!」
手の甲をなぞり息を吹きかけたチマは自身のレベルが記されている巻紙を出し、シェオに中身を確認させる。
アゲセンベ・チマ。レベル78。保有スキル、怠惰【1/1】。“余剰スキルポイント、50”
「レベルに対してスキルポイントが少ない、ですね」
「1レベル10ポイント付与される私にしては少ないわね」
「「…。」」
チマはシェオの膝に頭を乗せたままマカロを可愛がって時間を過ごす。
―――
「ビャスも来たか」
「はい。ビャスくんにも何れチマ様に起こり得る可能性を話しましたので」
リンとビャスはレィエの許へと訪れて椅子に腰を下ろす。
「報告を聞こうか」
「基本的にはチマ様がお話しした事が殆どなので、私たちが交戦した統魔族『正心』についてです」
「ふむ」
「先ずはビャスくんとスパゲッテさん、二人の『勇者』の力を以って支配体から統魔族を引き剥がすことに成功しました」
「っ仮面を引っ張ったら、光が溢れてすんなりと…」
「なるほど」
(ゲームのビャスルートと同様ということか。時期は早いがそれだけビャスを取り巻く環境が上向き、精神に影響を及ぼしている、若しくは強くなっているということだろうね。こちらとしても用意できる戦力が多い方が助かる、良い傾向にあると捉えよう)
「その後、支配体から離れた『正心』は支配体のない状態で身体を形成、スパゲッテさんが交戦の後、レッテ翁というスパゲッテさんの師匠が現れ、二人に討伐されました。止めはスパゲッテさんです」
「レッテ翁、槍使いの老人か?」
「っはい、と、とても強そうな方でした」
「元九刃聖の、…随分と大物が出てきたようだね」
(チマからの報告だけでもパスティーチェ軍は随分と足が早かったようだし、パスティーチェで起こり得る未来を知っていた人物でもいたのだろうか。そいつはチマに対してどう思って何を知っているのか、…考えてもキリがないか)
「もっと驚くべくは…統魔族が討伐されたということ。本体が死んでいるかは不明だけども、何れ現れる可能性のある『均衡』への切り札になり得るね」
「っ!」
レィエから期待の籠もった視線を受けたビャスは、背筋を伸ばして姿勢を正す。
「こちらでも有事の際は動く心算だけど、チマを狙っていると思われる相手を倒せるのはビャスだということだ。引き受けてくれるかな?」
「ッ!はい!り、リンさんと旦那様は、お嬢様の為に尽力なさっているんです、よね?」
「ああ」「うん」
「なら僕も!僕も協力します!…きっと『勇者』なんていうスキルを持った、僕の使命だから」
握りこぶしを作り一歩踏み出したビャスを見て、二人は微笑ましいと言わんばかりの表情を露わにし協力関係を結んでいき、チマが絶界などを使用したという未報告の情報を告げ話し合いは進む。