寮から着替えなどの荷物を回収しアゲセンベ家へと戻ってきたリンが、屋敷の玄関を潜るとマカロが床で寝そべっており視線を向け。
「…」
そのまま寝直した。
リンが近寄って頭を撫でてみるても、これといった反応はない。
「っお嬢様以外には塩対応だよ。後、ご飯を要求する時とか」
「逃げないだけで十分十分、もふもふ〜」
「今は
「…。あー」
トゥモの言葉を考えたリンは、アゲセンベ家に住まう二人の夜眼族と一匹の猫が換毛期に入るのだと悟って、マカロを撫でる手を止めた。
「…すごいんですか?」
「すごいんですよ…」
「お手伝いしますね、ここ一月で慣れましたので」
「助かります」
対応の悪いマカロの許から離れ、自室へ荷物を運搬し始めたリンたちが姿を消すと、寝そべっていたマカロは立ち上がり扉の前でお行儀良く座る。
カチャリと扉が開かれればチマが顔を見せ。
「んな」
「あらマカロ、お出迎えなんて珍しいわね。ふふっ、甘えん坊になっちゃって」
ご機嫌なチマがマカロを抱っこすると、ゴロゴロと喉を鳴らす音が聞こえてくる。
「にや」
「マカロとお散歩してくるから、シェオは仕事に戻って頂戴な」
「承知しました」
子猫の頃から、九年もの間可愛がっている妹を抱っこしながらアゲセンベ家の屋敷を歩くと、使用人たちがいつものことだと一礼だけして職務へ戻り、仕事を教わっていたラザーニャは二度見してからバラに怒られていた。
(ここは私の居場所だし、みんな私の家族。…だけど心の奥底から湧き上がる漠然とした不安はなんなのかしら)
「~♪」
鈴が鳴ったかのような鼻歌を奏でて気を紛らわせていれば、マカロはチマのことを理解しているかのように頬を擦り寄せ、不安の染みは漂白されていく。
「心を落ち着けられる居場所が欲しい…。どうしてこんな気持ちが溢れてきたのかしら?」
誰にも聞かれることのなかった言葉が宙を舞う。捨てられた猫の記憶とともに。
―――
「お父様!見てください!私にもスキルが有りましたわ!」
「『怠惰』?……これだけか?王になるべき私の種から芽生えたのが、コレ、か?」
普段から厳しい父親から褒めてもらえるとばかり思っていた子猫は、明白に冷え込んだ瞳を目の当たりにして怯えた表情と共にぎゅっと口を噤む。
「期待していたのだけど残念だよ。…はぁ、コレが使えないとなると考えを改めないといけないな」
「お…お父様…?」
「…。」
「きゃっ」
無視された子猫は父親の前まで走って立ちはだかるのだが、彼の瞳には彼女の姿は写っておらず、虚ろな面持ちで子猫を蹴飛ばし歩き去った。
(どうして?どうして…)
「うっ…うぅ」
忍び泣いた子猫はこの日を境に居場所を失った。
(『諦堕』。いつからこんなスキルに変わってしまったのかしら?)
従者のいない子猫は学校の門を潜り、舞い散る桜の花弁を眺めながら考え事をしていると、後ろから誰かがぶつかってきたので、堪えながら振り返る。
「すみませんっ!綺麗なお花に見惚れてまして!」
「気を付けなくては駄目よ。機嫌を損ねたら面倒な相手もいるのだから」
「はいっ!…猫ちゃん?」
ぶつかってきた少女は子猫を見ては首を傾げ、素直な感想を口にしてしまった。
「私はチマ、猫ちゃんじゃなくて夜眼族だから、覚えておいて頂戴な」
「すみませんっ!!私はブルード男爵家の養女として学校へ通わせていただくことになった、ブルード・リンと申します」
勢いよく頭を下げ名乗りを上げたリンに、チマは「ブルードの養女、確か…」と呟きながら次席入学を果たした市井出身の娘だと思い出す。
「優秀な成績の方ね。私も同じ一年だから、これから三年間よろしくね」
「はいっ!」
彼女たちの一年が始まるのであった。
―――
屋敷内をマカロと散歩したチマは自室へ戻り、長椅子に腰掛けてから刷子を取り出して毛繕いを行う。
長毛種の猫は毛玉が出来やすく毎日入念に体毛を梳る必要がある。自分自身がそうであるように、毛皮の健康の為にチマはマカロへの毛繕いを欠かすことはない。
「あら」
毛玉を発見すれば小さな鋏を手に取り、禿げにならないよう最低限の切除で取り除く。手慣れたものだ。
「ちょっと
「んなぁ」
体格に対して可愛らしい鳴き声の返事に微笑み、夕暮れ時を一人と一匹の姉妹が過ごす
誰かの求めた居場所で、長閑な日常とともに。