明日からは学芸展。閉鎖気味の空間に普段とは異なる風が吹くことになり、チマが生徒たちの親、つまりは多くの貴族たちの目に触れるようになる数日間。換毛期の抜け毛が舞わないように最大限の対処が必要になるのだ。
「にゃっ」
そんな中、チマの帰宅に合わせて駆け寄ってきた新たな毛玉に、使用人たちは遠い目をしながらマカロも浴室へ連行する。
全身の体毛を使用人総出で手入れされているチマは、うとうとと舟を漕いでおり彼女にも疲労が溜まり始めているのだろう。
「お疲れですね、お嬢様」
「これもあと少し、学芸展が終わればゆったりと出来るわ」
「学芸展。私共もお嬢様の踊りとお歌を目に収めたかったのですが、家族とその護衛が精々なので惜しく思うばかりです」
バラや他の使用人たちは残念そうに瞳を伏せていた。
「お父様がなんとかしてくれるみたいだし、それを楽しみになさいな。家族である貴女たちにも見てもらいたいのだからね」
「楽しみにしています」
「…ふぁ」
「…にゃぁ」
「夕餉までお休みになられてくださいませ」
「そうするわ…」
椅子に体重を預けたチマは瞳を閉じ、身体を使用人たちに任せた。
「チマ様の寝顔って本当に可愛いですよね」
「当たり前の事を言うんじゃないよ。あんたもお役目があるんだから、これが終わったらしっかりと休むようにね」
「了解す」
こちらもほんのりと疲労の色が見えるラザーニャで、チマのお手入れを半らに脱衣所を後にしていった。
「助かりましたレィエ宰相、本当にありがとうございました」
「娘と甥っ子が努力を重ねていることは知っているからね、私としても最大限の協力をしてあげたいからさ。記録の魔法具をしっかりと配置して起動を忘れないように、いいかな?」
「はいっ!」
「「…。」」
沈黙した二人の表情は真面目そのもの。
「学芸展で不穏なイベントはない。…が、」
「これが終われば物語も佳境に入りますね。どういう道を進むのかは分かりませんが…」
「事情を知るリン君にだから話すが、一部貴族たちの動きが妙で革命か学校紛争の可能性が高く、王都を中心とした周囲の穢遺地で魔物が活発に活動している姿が見られる」
「デュロルート以外はどれも起こり得る可能性があるということですね」
「王権簒奪を行えるのが、私以外を皆殺しにした場合の私と、王位継承権を持つ王族のチマしかいない以上、優先度は下がるだろうね」
「チマ様を傀儡にするのも難しいですし」
「可能性がゼロじゃないから捨てはしないけど、他への対策に奔走しているところさ。穢遺地に関してもラチェやゼラの第一、そして私の息が掛かった第六騎士団を運用して魔物の駆除、現体制に異を唱える派閥への牽制と、他にもやらなくてはならないことも多いのに大変だよ」
「ご苦労さまですー。…お互いチマ様の為に頑張りましょう」
「ああ、学校での事は頼んだよ、同志」
「はいっ!」
―――
食事を終え、自室で振り付けや歌詞の確認をしているチマの許へシェオがやってきた。
「入ってくれていいわ」
「失礼します。…練習をなさっていたのですね」
「最高の舞台とするためにね。シェオは何か用事でもあった?」
「お茶をお持ちしただけ…、ではなくちょっとしたお話しをと」
「そう。それじゃあ聞こうかしら」
練習を中断したチマは長椅子に腰を下ろし、隣にシェオが座るのを確認してから膝に頭を乗せる。
一度許してしまった以上、禁めることも出来なくなった膝枕は、彼女のお気に入りとなっていた。
「その、舞踏会でのことで。……学校側から許可をいただいたので、私と踊っていただきたく、お願いに参りました」
「え。私は最初からその心算だったのだけど、許可とか必要だったのね」
「一応部外者ですから」
「ふふっ、いつも一緒にいるから学校の生徒と言っても通るんじゃない?」
「流石に厳しいかと。歳も随分と上ですし」
「もしも私とシェオが同い年で、一緒に学校へ通っていたなら…もっと楽しかったんでしょうね。今回の催しにも無理矢理に巻き込んで、あっちこっち奔走して」
「私には十分な頭脳はありませんから、チマ様と同じ王立第一高等教育学校へ通うのは難しいですよ。廊下から授業風景を眺めてみても、分からないことも多いので」
「それは努力次第よ。私のためだったら、貴族になりアゲセンベ伯の夫になる為の勉強はしてくれているし、もしもの時は必死の猛勉強で受かっていたはずよ」
コロコロと愛らしい笑みのチマは、シェオの手の平に自身の頬を擦り付け、彼は身体を強張らせる。
「…、」
奥手だと言われるシェオでも理性の箍は緩むのだろう、唾を飲み込んで手に僅か力を込めれば触り心地のいい体毛に指が埋まってしまう。
「わ、私はこれで失礼させていただきます。夜更かしはなさらぬように」
「ええ。おやすみなさいシェオ」
「おやすみなさいませ、おじょ…チマ様」
―――
星空の下、リンが長椅子に腰掛けていれば、足音と共にビャスが現れ毛布を手渡す。
「冷えるから」
「ありがと」
隣に腰掛けたビャスの手を握りしめれば、温もりと力強さが返ってきて安心を覚える。
「学芸展が過ぎれば、終わってしまったら年度末を前に忙しくなる、かもしれない」
「っお嬢様のこと?」
「うん。それに付随して国や学校が荒れちゃうから、チマ様を護ろうとしてもチマ様自身が動いちゃうはず、…そういう性分だから」
「僕が初めて会った時、お、お嬢様は見ず知らずの僕のため危険へと立ち向かってた」
「次はデュロ殿下を危険から遠ざけるため、一人で走っちゃって。その後、私も助けられた。パスティーチェでは…大変だったね」
「…、スキルなんて無くったって、お嬢様は誰かの助けとなれる立派な方だから」
「うん。」
「「護り、支えないと」」
重なった言葉が嬉しく、二人は笑いあいながら星を眺め、…距離を詰めたビャスがリンにキスをする。