三日間ある学芸展は最終日となり午後は舞踏会となる。ドゥルッチェ王国は舞踏文化が古より根付いており、こうした催しに気合を入れて参じる者が非常に多く、特に学校行事の踊りとあれば『気になるあの人へお近づきになる機会』、『意中の相手へ舞踏を魅せつけ売り込む好機』なのだ。
その姿は宛ら極楽鳥や風鳥といったところ。
(本来であればここで
高みの見物を決め込んでいるリンは、アゲセンベ家の使用人と共にチマを着替えさせる手伝いを行い、自身も手早く着替えを済ませた。
冬毛のチマは体毛で膨れ上がっており、主流である動きやすく締め付けの少ない袖や裾を用いるドレスだと、手足が太く不格好に見えてしまう。故に全身をトリミングし夏毛程度まで全体を削ってからドレスを着込むのだ。
「すこしひんやりするわね」
「
「ありがとう。やっぱり寒い時期の舞踏会は気が滅入るわね」
「直近では年末に二回、年始にも二回ほど参加が決まっておりますよ」
「
「未だ入ってはいませんが、今後の事を考えると足を運ぶ必要があるかと」
「真冬に呼ぶのは勘弁してほしいわ。…昔から真冬にこそ舞踏会が多いのだけど」
農閑期の暇つぶし、というのが発生の起源とも言われている。
細かな装飾品も着け終わり、姿見の前でくるりと回ったチマは、モノクロ調で整えられたドレスに身を包み、髪を後ろで纏めたシニヨンヘアとすることで、やや大人びた印象が強くなっている。顔立ちが可愛い寄りではあるが衣装と髪型の影響は強く、背部に視線を向けると尻尾の付け根に宝飾が煌めいて、一層の印象強化が図られていた。
「問題はないわね」
「仕事に抜かりはありません」
「使用人仕事ってもっと簡単なものかと思ってました、」
「私付きが特別大変なだけよ。いつもありがとうね、そしてこれからもよろしくお願いします」
慇懃な礼をしたチマにバラたち長く仕えている使用人は優雅に腰を折り、ラザーニャは目を丸くし慌てて頭を垂れる。
「我々アゲセンベ家に仕える者はチマ様へご奉仕出来ることを至高と感じております」
「ふふっ、堅苦しくなっちゃったわね」
「お嬢様のせいですよ」
一同はころころと笑いながら道具の片付けを開始する。
「それじゃあ行ってくるわ。行きましょう、リン」
「はいっ」
「「行ってらっしゃいませ、お嬢様方」」
扉を開けると二人をエスコートする為、シェオとビャスが待機しており、チマとリンの姿を目にして少しばかりの硬直をした後に賛辞を述べたのだとか。
「言葉を失ってしまうほどの美貌かしら?」
「「……」」
「なんか言いなさいよ」
「「ッ!!」」
見惚れていた男二人は大急ぎで賛辞を述べたのだとか。
チマがシェオに付き添われて大講堂へと足を踏み入れると周囲から様々な声が耳へ届く。
『従者を付き添いに連れてきた哀れな猫』だとか『誘ってくれる人もない可哀想な女』だとか。これらは想定内なので完全に無視を決め、既に会場入りしていたメレやロアやリキュ等、チマ派閥の許へ足を運ぶ。
「お綺麗ですチマ様。夜眼族のご先祖たる八貰臣の、八貰臣様が顕現なされたと錯覚するほどです」
「褒めすぎよメレ。貴女は可愛らしさに振った、流行りのドレスを仕立てたのね。真珠の首飾りと良く似合っていて、航海の神であるスピリフ様も羨んでしまうわ」
(夜眼族のご先祖はキーウイ様よ)
(む、無学で申し訳ないです)
(気にしないで)
「お褒めいただきありがとうございますっ」
あわあわと狼狽えたメレだが、体裁を整えてチマからの賛辞に礼を返す。
(今日こそ、お嬢様に想いを伝える、伝えなくては)
シェオはチマに想いを伝えられないでいた。少しばかり奥手な性分と、チマからは全く恋愛的な意識を向けられておらず、踏み込んだことで関係が崩れることを恐れているからだ。
結果、伸びに伸び、こんな大舞台で気持ちを伝えることになってしまったのだ。
(この引き延ばしに終止符を打つため、そしてなにより…ビャスが少しばかり羨ましい。不純なことを考えているわけではありませんが、結婚するまでの間に恋仲という関係を経験してみたいのです)
周囲からの視線などお構い無しに考え事をしていれば、チマから不思議そうな視線で見上げられておりシェオは身体を震わせて驚いた。
「緊張してるの?」
「え、ええ。それはもう人一倍…。ふぅ…」
「特別に許可を得て私と踊るのだから緊張するわよね。学校へ足を運ぶのは確かだけど、生徒ではないのだし」
「はい」
緊張の理由は別にあるのだが、それを言い出すわけにもいかず、相槌を打ってから周囲に視線を向ける。
一年生であれば見知った顔も多いのだが、全校生徒となると流石にシェオでも厳しくなるのだが、彼を嘲る視線は簡単に捉えることが出来た。
貴族の子が殆どの場所、今現在は爵士地位を受け取り貴族の義務も果たしているが、それでも出生や育ちの影響は拭えない。
心が沈みそうになっていると、チマがそっと手を差し伸べて握りしめてくる。
悪意を遠ざけることは出来ずとも気持ちを和らげることは出来る。
「お嬢様はドゥルッチェ一のお嬢様です」
「久々に聞いたわね…それ。ドゥルッチェで一番になる心算はないけど、身近な誰かの一番になれたのなら良かったわ」
チマが尻尾を揺らせば、ナツを連れたデュロが姿を現し舞踏会の幕開けとなった。
舞踏用の定番の楽曲が奏でられ、大講堂中央から生徒が引いていき二人組が幾組か進んで衆目環視の下で踊り始める。
彼ら彼女らを皮切りに追加で生徒が踊り始めれば、それを眺めつつ歓談に耽る者とで分かれ、よくある舞踏会の始まりだ。
「じゃあ私たちも行くわよ」
「少しお待ちを」
「どうかしたの?」
「すぅー…はぁー…、私シェオはチマ様にお伝えしなくてはならないことがあります」
シェオが意を決してチマの前に跪けば、チマ派閥を中心に周囲にいる者たちは固唾をのんで見守り、チマ本人も真面目な表情で見下ろした。
「チマ様、私はチマ様とお会いしたその日に一目惚れをし、今尚お慕いしております。婚約のお話しを頂き、隣に置いて頂けると仰有ったあの時は至高の一時に御座いました。…ですので私はチマ様のご厚意に甘えるだけでなく、自らの想いを伝え、お支えすることを約束し、舞踏の場を共に過ごしてほしいのです」
(…。)
差し伸べられた手を注視したチマは一度瞳を閉じれば、胸の奥底から湧き上がる今まで知ることになかった、温かな感情の源泉に気が付き吐息を漏らす。
(シェオが顔を真っ赤にして私へ好意を伝えてきた、今までもシェオは私に好意を向けてくれていたのかもしれない。信頼のできる侍従として、なくてはならない右腕として信頼に凭れ掛かっていたから気がつけなかったのかしら。鈍感ね、私は)
瞳を開き琥珀の瞳を輝かせたチマは、シェオが差し出した手取り笑顔を向ける。
「他所を向いちゃ駄目よ」
「今までもこれからも、私瞳にはチマ様しか居りません。好きです、チマ様」
「…、あ、ありがとうシェオ」
周囲の誰にも視線を向けることなく、二人は手を取り合い息を合わせた踊りを披露した。
「漸く思いを伝えたか。…これで安心して私たちも前へ出れる。ナツ、私と国を支える一つの柱となっていただけるかな?」
「はひっ、はいっ!私、トゥルト・ナツは自らの生涯をドゥルッチェとデュロ様へ捧げることを誓います」
跪いたナツの手を取り、デュロたちも踊りだす。
「うぅ、漸くチマ様とシェオさんが結ばれました…」
「そんなに泣くことなの?…シェオさんはちょっと奥手な印象だったけど…」
感涙にむせぶリンを気遣うビャスは、どうしたものかと周囲に助けを求めるも、二人が恋仲なのは周知の事実なので、そそくさと離れて行ってしまった。
「…。落ち着いたら踊ろ?」
「うん…」
今年の舞踏会は例年よりも話題の欠かない催しとなったのである。