時を少し遡り、
ゼラは毛布に包まれたチマを背負い、雪の積もるルーラー山脈を登っていた。
「もう少しだ…助かったよ。…オレちゃんの力じゃ、チマちゃんの身体で山を登り切るのは難しかったろうから」
「チマ姫様、助かる?」
「助けるぜ、絶対にな。今必要なのは魂の休息、砕け散った魂をくっつけて養生させないと、肉体から剥離しちまう」
「よくわかんない」
「だろうなぁ…」
チマの肉体には、本人以外にもう一人のチマと、統魔族の『盲愛』が同居していることを知らされたゼラだが、イマイチ理解が及ばず、とりあえず足を進めている状況だ。
(釣友を助けないと)
その一心でゼラは足を進めた。
ルーラー山脈の中腹。
枝分かれした山の尾根に隠される形で、気候が穏やかな一角に、木々や花々が賑やかしい楽園のような場所が存在していた。
「ここ?」
「オレちゃんの穢遺地に到着だ」
「温かい。けれど、…穢遺地なのに色がある」
「他とは違うからな。ここは神族によって作られた、オレちゃんの眠る揺り籠で、オレちゃんの墓場だ。…ちと待ってろ」
力を失ったかのように、ゼラの背に崩れるチマに、若干の焦りを覚えるも、前方から現れた蠢く蔦の塊に、警戒を露わにした。
「待て待て!オレちゃんオレちゃん!くひひ、此処でなら身体を形成出来るんだ。チマちゃんが休める揺り籠を作るから、その辺で休んでてくれ」
ウネウネと動かされた蔦には、ぷくりと蕾が現れ、真っ黒な花が咲く。
様子を窺っていると、周囲の木々に絡みついた盲愛は、ハンモック状に体を伸ばし数度揺れてから、また地面から蔦の身体を作り出し手招きのような動きをした。
「此処に寝かせてくれ。後は時間と神族が解決してくれるからさ」
訝しむゼラだが、他の解決手段があるわけでもないので、そっと横たえる。
「っ!?」
するとチマを取り囲むように、光でできた人型が数体現れ、身振り手振りをしながら会話を行っている、そんな様子が見られた。
「ありゃ地上を去った神族だ。此処はオレちゃんの居場所であり、神族が形成した最後の領域、ほんの僅かな力を行使できる場所でもある」
「。」
あまり信心深くないゼラは眉を顰めつつ、チマが視界に入るよう木の根元へ腰を下ろして休息を取る。
「これが先祖返りしたティニディアの子孫?」
「くすくす、そうだよ。キーウイの系統だろうけど、随分と可愛くなっちゃったよね」
「なんとも信じ難い…けれど、力はあるね。他者を重んじ、与える者の力が」
「とりあえず魂魄の再形成を行おう。統魔族に掛けられた呪いは取り除けないけど、アレを討ち滅ぼすだけの時間は稼げる」
彼是話し合う神族は頷き、二人の魂を修復し再形成する。
「アーダスたちが紡いだ希望の一つ、途絶えさせるわけにはいかないからね」
「くすくす、だねぇ」
―――
ルーラー山脈の穢遺地で暫く過ごしていたゼラは、麓で食糧を購入し再び山を登っていた。
気温が一定に保たれている盲愛の穢遺地は、春になるとや野生動物も多く姿を現すも、チマに対して危害を加えることはないようだ。
荷物を降ろし寝顔を確かめると、穏やかそのもので、ゼラは安堵する。
(最近、統魔族も神族の光も見ない。…大丈夫とは言っていたけど)
不安を胸に募らせながら、釣り針と、着色された縫い糸、接着剤を取り出しフライフィッシングのフライを作り始めた。
「……、ん…、ふぁ」
揺れるハンモックの上で、チマはゆったりと目を覚ます。
固まった身体をほぐすように、ゆったりと動かしてみれば、左脚と右眼に違和感を覚える。
(そういえば、雑草野郎に奪われたんだった。腹が立つわね…)
苛立ちを覚えながら上体を起こしたのは『チマ』の方。
周囲を見渡せば木々が色づいた山中で、木の根元には荷物が寝かされている。
「のど…かわいたわね、…わっ!?」
ハンモックから降りようとした彼女は、錆びついた身体の動きに理解が及ばず、地面へと落下し緑の天井を眺めることとなった。
(身体を慣らさないと、復讐も出来ないわね…。……身体からの反発はなくなったけど、身体の持ち主たる
瞳を閉じて心の奥底へ意識を向けると、魂の奥底で寝息を立てるもう一人のチマが見つかった。
(無事ね。…私を護るために砕け散っていたけど、継ぎ目もないくらい綺麗な形。…よかった)
安心するチマが瞳を開くと、慌てた形相のゼラが顔を覗き込み、あわあわと焦っている。
「大丈夫よ」
「!。よかった」
「水が飲みたいのだけど、あるかしら?」
「。」
肯いたゼラは水筒を取り出し、魔法道具で火を起こしてから、人肌くらいまで温め、手渡した。
「どうも。……ふぅ…」
嬉しそうにするゼラに、『チマ』は首を傾げる。
「友達だということは知っているけど、貴女は誰?」
「…!…。第一騎士団所属、ジェローズ・ゼラ。貴女は、統魔族の言ってたもう一人のチマ姫様?」
「ええそうよ、事情は聞いているみたいね。本来のチマは未だ眠っているから、もう少し待って頂戴な」
「。」
首肯したゼラは、調理器具を取り出し、栄養の採れる粥を作り始めた。
(第一騎士団にジェローズ・ゼラなんていなかった。…身体の記憶が正しければ…、随分と腕の立つ騎士らしいけど…)
疑問を浮かべながら観察する『チマ』だが、差し出された絶品粥に舌鼓を打った。