※ 「031 ラームとフィリア」の中でラームが語った昔話を詳しくしたものです。
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今から約七十年ほど前。
当時の魔族の間では、「魔族は人間の発展を静かに見守るべきだ」と考える者たちと、「魔族が人間を支配するべきだ」という考えの者たちで意見が二つに割れていた。
魔王が「人間と積極的に関わるべきではない。見守るべきだ」という考えを表明していたので、ほとんどの魔族はそれに倣ってそちら側の立場に立っていた。しかし、自分たちの圧倒的魔力に酔いしれた若者の一部がそれをよしと思っていなかった。
初めのうちは議論を交わすだけ ――しかしそれはいつまでたっても平行線を辿るだけ―― だったが、次第に「人間を支配するべきだ」という考えの者の中に力で相手を捩じ伏せようとする動きが現れ始めた。
その首謀者はガルダールという二百歳ほどの若い魔族だった。
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魔王城の最上階。
玉座に魔王がどっしりと座っていた。魔王の名にふさわしい、大きな二本の角と貫禄のある髭を蓄えた眼光鋭い男だった。その魔王の目の前に、膝をついて頭を下げている魔族の青年が一人。目はしっかりと魔王を見据えている。そのしゃんとした姿勢からは、自信に満ち溢れている様子が窺える。
魔王がその青年に向かって言った。
「ラームよ、最近派手に活動しているガルダールとかいう男……何とかあいつを止めてくれぬか」
「ガルダール……ああ、人間を支配するとか言っている、過激派のリーダー格の男でございますね。止めるというのは……つまり?」
ラームは丁寧な言葉遣いで、魔王を見て聞き返す。
「話し合いで解決できればそれに越したことはないが、無理そうなときはやむを得まい」
それはつまり、相手の命を絶ってでもでも止めなければいけないということだとラームは理解した。
「サーシャの教育係であるお前に頼むのは心苦しいが、残念ながらあいつに対抗できるのがお前ぐらいしかおらぬのだ」
「もったいないお言葉。今すぐにでも行って話をつけてきましょう」
「すまぬな。本当なら私が向かうべきところなんだが、私も衰えが隠せなくなってきたのだ。」
「何をおっしゃいますか、魔王様。衰えるだなんて」
そんな話をしながら、ラームも確かに魔王の魔力が年々小さくなっていることは感じていた。
それでも魔王は魔の宝珠を使って、魔族の魔力をコントロールする存在。それは魔力の大小で決まるようなものではなく、魔界全体の調和を保てる規律ある人物にしか任せることはできないのだ。
「サーシャ様に一言申し上げてから、直ちに出発いたします」
ラームは立ち上がり、魔王に一礼してから部屋を出た。
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「サーシャ様」
魔王城のサーシャの部屋。ラームはそこでラビティと戯れているサーシャに声をかけた。
「なーに、ラーム? もう魔法のお勉強の時間?」
まだ生まれてから六十年ほどしか経っていないサーシャは、自分の顔と同じくらいの大きさのラビティを抱きしめながらラームに近づいてきた。
「いえ、サーシャ様。私は数日の間、ここを留守にします。突然いなくなると驚かれると思いまして、こうしてご挨拶に」
「……? ラームいなくなるの? どうして?」
まだ難しい言葉はサーシャにはわからなかった。「いなくなる」という言葉に反応して、彼女の目に涙がたまりかける。
「いえいえ、すぐに帰って参ります。今日のお勉強はお休み、ということです」
「お休み? わーい! 帰ってきたら一緒に遊ぼうね、ラーム!」
今度は「お休み」という言葉を聞いて、サーシャは一転して笑顔を見せる。
「もちろんです、サーシャ様」
ラームは感情豊かなサーシャを見て、彼女の頭に優しく手を置いて撫でた。
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ラームがサーシャに別れを告げてから数時間後。
「お前はそれほどまでの魔力を持ちながら、人間を支配しようとは思わんのか!」
ガルダールがラームに向かって叫ぶ。
「馬鹿げたことを! 魔王様のご意志に背くつもりか!」
暗黒山脈の頂上に近い岩場でガルダールとラームが戦いを始めて、すでに結構な時間が経過していた。二人の魔力はほぼ互角、いや少しラームが上回るといった感じだったが、一進一退の攻防が続いていた。
ガルダールが炎の魔法を放つとラームが魔法の障壁で防御する。ラームが氷の魔法をガルダールに向けると、炎の魔法で相殺する。わずかながら相殺しきれなかった氷が、ガルダールの体に傷をつける。
しかしその傷も魔法を使って時間が経つと回復してしまう。
お互い、このままでは埒が明かないと思ったのか、今度は肉弾戦が始まった。手足に魔力を集中させ、構えをとる。人の目では追えないほどの速さで攻防が繰り広げられる。
……これもほぼ互角。時折ラームの一撃が入るが、ガルダールも回復をかけながら反撃の手を休めようとしなかった。そんな中、ラームはガルダールの攻撃パターンを計算に入れ、勝負を決めにかかった。
「自分たちより劣る人間を支配して何が悪い!」
ガルダールの炎を纏った拳がラームに襲いかかる。
しかしそれを氷を帯びたラームの左腕が軽くいなすと、
「じゃあ俺より劣るお前を、俺が支配してもいいんだよな?」と、今度は炎を纏った右腕でガルダールの顔面に強烈な一撃を加えた。
ガルダールが「左右で別々の魔法を作り出すなんて!」と驚いたのも束の間、今度は光の魔法が彼の体を貫いて下半身を全てえぐり取った。
ガルダールが仰向けに倒れる。必死に回復しようと、腰から下のあたりにぶくぶくと黒い泡が発生する。
そこにとどめを刺そうと、ゆっくりラームが近づいてくる。その両手には金色に輝く光の魔法が既に準備されていた。
「お前は……光の魔法も使えるのか!」
ガルダールは起き上がれずに空を見上げたまま、ラームに話しかける。
「それがどうした」
「光の魔法は魔族の中でも選ばれし者のみが使えるもの……」
「そんなことはどうでもいい」
ラームは両手を合わせ、光の魔法でガルダールを消し去ろうと構えた。それを見て、慌ててガルダールが命乞いのような真似を始めた。
「その才能を消すのはもったいない……どうだ、俺と手を組まないか。その力があれば魔王にも勝てる! 魔王を倒して世界を変えるんだ……」
そんな誘惑にラームが乗るわけがなかった。冷たい目でガルダールを見下したまま、返事すらしなかった。
ただ、ラームには一つ気になったことがあった。
どうしてこいつは助かる見込みのない状況で手を組もうと言い出すのだ? それに俺の才能を消すのはもったいない……だと? どういうこ……はっ!
と、気付いたときには遅かった。
ガルダールの腰から下で泡立っていた小さな黒い泡が一瞬で大きくなった。そして、彼はニヤリと笑うと自爆した。
それは周囲の山の形が変わってしまうほど、大きな爆発だった。
◇◆◇
「……くそっ、やられた!」
ラームは爆発から逃れることができず、王都の西にある森にまで吹き飛ばされてしまった。
体の大部分が消失し、木の幹に胸から上だけがなんとか寄りかかっていた。顔も右目右耳がなくなっていたが、回復魔法で少しずつ形が戻りつつあった。
ここで人間にでも見つかってしまったら、化け物扱いされて殺されてしまうな……。回復の速度を早めないと、とラームは深く息を吸い込んで集中しようとする。
「ひっ!」
茂みの向こうから女性の驚くような声がした。ラームが声の方を向くと、そこには自分を見て驚いた顔で立っている人間の女性がいた。
「……だ、大丈夫ですか?」
その声は震えていながらも、優しさにあふれていた。