※ 「037 魔族の女の子サーシャ」の中で、サーシャが語っていた「魔の宝珠が奪われたとき」の話です。
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今から三年前、サーシャが父である先代の魔王から王位を引き継いで十数年が経った頃。
七十年ほど前に起きた魔族同士の衝突も過去の話となり、魔族たちは争いのない平和で穏やかな日々を送っていた。
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魔王城の最上階、王の間。
玉座の奥に宝物庫があり、そこに魔の宝珠が保管されている。
魔族にとって重要な宝物のひとつだが、特に番人がいて宝珠を守っているわけではなかった。魔王がそこにいるというだけで、宝珠は完全に守られているようなものだからだ。
そもそも魔族にとって宝珠は自分たちの魔力の源であり、奪うという考え自体がなかった。たとえ奪ったところでこんこんと湧き出てくる魔力を使いこなせるわけもなく、自らの身を破滅させてしまうということがわかっているからだ。
一応、魔王が不在の時に限り宝物庫の前に兵士が二人就くことになってはいたが、これまで危機らしい危機に直面したことはなかった。
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「サーシャ様、また外出か」
「森に行ってラビティと遊んでいるんだろう」
宝物庫の前に槍を持って立っている魔族の兵士二人が他愛もない会話を続けている。
「まあ魔王になったとはいえ、まだ子供じゃないか。まだまだ遊びたいお年頃ってわけさ」
「それでも、現時点で魔力的には先代を遥かに凌ぐと言われているからな、恐ろしい才能の持ち主だよ」
「それに、先代の真似をして『われは』とか『〜なのじゃ』とか言っているのが可愛いよな!」
「そこがまたいいんだよな!」
新しく魔王となったサーシャのことを悪くいう魔族はいなかった。彼女は圧倒的な魔力を持ち、まだ子供だというのに魔の宝珠を完全に制御していた。
たまに魔の森にある自分の別荘でラビティと戯れるのも子供らしくていいじゃないか、と魔王城の兵士たちはまるで父親や兄貴になったような感覚でサーシャのことを大切にしていた。
「おい、交代の時間だ」
別の兵士がやってきて、宝物庫の前にいる二人に声をかけた。
「ああ、もうそんな時間か。……あれ、もう一人はどうした?」
「着替えに手間取っていて、詰所で一人もがいていたけど……すぐにやって来るさ」
一人でやってきた男に少し違和感を感じながらも、二人の兵士は見張りを交代し王の間を後にした。
詰所に向かう廊下を歩きながら、再び二人の会話が始まった。
「昔さ、サーシャ様の教育係をしていた男がいたじゃないか、覚えてるか?」
「ああ、あの最強とも言われた……えっと……ラーム! ラームとか言ったはずだ!」
「そうそう、ラーム! あいつ最近見ないよな。」
「そうだな……そういえば聞かないなぁ。サーシャ様の教育係だったんなら、今も側に仕えているとか?」
「だったらたまに見かけるはずだろ? お前、最近ラーム見かけたか?」
「いや……なんか噂で、昔の戦いで爆発に巻き込まれて死んだとも言われているけどな」
二人がそんな会話をしながら詰所に戻ると、そこには血を流して倒れている二人の兵士の姿があった。扉を開けてそれに気づいた兵士たちは驚いて、倒れている二人に声をかける。
「おい! どうした? 何があった?」
肩を抱いて話しかけてみたが、二人とも既に息絶えていた。鎧に着替えようとしている最中に何者かに襲われたのだろう、部屋の中には武器や鎧、兜などの装備が散乱していた。そして、装備がちょうど一人分足りないことに気がついた。
交代するはずだった二人の兵士が倒れていて、装備が一人分足りない。そして先ほど、一人でやってきた交代の兵士……。
「……まさか!?」
二人の兵士は顔を見合わせて、慌てて今歩いてきた道を引き返した。
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「これが魔の宝珠か!」
先ほど見張りを交代した兵士は宝物庫の中に入り、目の前にある魔の宝珠をじっと見つめていた。そして、手を伸ばし宝珠を掴む。
「待て!」
二人の兵士が戻ってきて、宝珠を掴んで悦に浸っている男に対して槍を向ける。男は宝珠を手にしたまま、ニヤリと笑みを浮かべた。
「これからは魔族が人間を支配する時代がやってくるのだ! 魔王に伝えておけ、宝珠は私が正しく使ってやるとな!」
そう言うと、男の身体中から黒い気が吹き出てきた。二人の兵士は槍を向けたまま「この男を止めなければ!」と思いながらも、禍々しい気に圧倒されその場から動くことができなかった。
男から出てきた黒い気は宝珠の周りに集まり、人の形を作り始めた。そして全ての気が出尽くすと、男は糸の切れた操り人形のようにその場に倒れた。
その代わりに、人の形をした黒い気の集まりが宝珠を手にしてあっという間にその場から姿を消した。
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何者かに魔の宝珠が奪われたということはあっという間にサーシャの元へと伝わった。
「黒い気が集まってできた男」という手がかりだけでは犯人の目星もつかず、宝物庫に倒れていた男は黒い気に体を乗っ取られていて、すでに死亡していたこともわかった。
サーシャは宝珠を厳重に保管しておかなかった責任を取り、魔王城を離れ魔の森の別荘を拠点として魔の宝珠を探し続ける。
昔教育係として世話になったラームは、七十年前に「魔王様の考えに反し、人間と親しくなりすぎてしまった自分に居場所はない」として何処かへ姿を消してしまった。小さい頃からの頼れる相手を失ったサーシャは、冥界の王であるハデスの協力も得ながら宝珠探しに奔走した。
さらに宝珠の力を使わずに、自分の魔力だけで魔族を制御するのにも限界があり、暴走する魔物たちも増えてきてしまった。
この頃から、制御の効かなくなった魔物たちが人間の暮らす場所へと進出し悪さをするようになった。